江戸の昔、文字が書ける職業は三つありました。一つ目は武士、二つ目は商人、そしてお寺です。ただ、武士の中には数字は商人が扱うものだからと数字を卑下する人もいたとか。その点、多くのお寺は江戸時代に寺子屋を開くなどしていました。そのため、世界的に見て当時の日本は文盲率が低くかったようです。それが明治以降の近代化を受け入れる下地の一つとなったのではないでしょうか。
積蔵寺のご住職のお話を拝聴
積蔵寺でご住職のお話をお聞きしていて、少しばかり出発が遅れました。積蔵寺を出ると、大祖荒神社を見学しました。大祖荒神社は大祖公会堂前の小高い丘の上に鎮座しています。この荒神社が最後の昇り降りでした。続いて、新庄の田んぼの中を歩きました。
積蔵寺の三十三地蔵 大祖荒神社に向かう 大祖荒神社
新庄の広い田んぼを渡ると、セブンイレブンに向かいました。到着すると、私は冷たいアイスコーヒーを買いました。他の方々は、アイスクリームや氷菓子を買っていました。セブンイレブンで少しばかり休憩したのちと、広大な新庄~余田の田んぼの真ん中を歩きました。2km位歩いたでしょうか。日差しを遮るものが何もない田んぼの畔をもくもくと歩きました。
新庄~余田の田んぼを歩き、流れ恵比寿前の橋に到着
暑い中をもくもくと歩きましたが、仲間と冗談などを交わしながら歩いていると、じきに農協のライスセンターに着き、さらにあっという間に流れ恵比寿に着きました。流れ恵比寿脇を流れる灸川の橋を渡ると、もうすぐ終点です。
灸川から振り返った新庄・余田の田んぼ 終点の東田布施公民館
灸川の言われの一つに牛の灸があります。田植えが終わるころ、「さばら」と呼ばれる牛を大切にする催しがあります。代かきなどで働いた牛を川に連れ出して、働いてくれたことに感謝して丁寧に水で洗ったり撫でるのです。その時期になると、たくさんの牛が今の灸川に集まったとか。その機会を利用して、牛の健康のために背中に灸をしたそうです。それが灸川の由来だそうです。大波野や波野地区は江戸時代、穀倉地帯でした。牛もたくさんいたに違いありません。当時の人は、牛を家族のように大切にしたのです。
流れ恵比寿を過ぎると、山陽本線を横切り、さらに東田布施小学校の横を通って、終点の東田布施公民館に着きました。猛暑でしたが、楽しい史跡巡りウォーキングだったと思います。参加された方々、お疲れ様でした。8月はウォーキングはお休みです。9月に再開します。今後も楽しい史跡巡りウォーキングを予定しています。よろしくお願いいたします。
今回ウォーキングした、柳井市余田新庄(南部)のコース