東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 楽しかった阿月史跡巡りウォーキング(3/4)

2016年07月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 日曜日のため、阿月出張所のトイレは使えません。そのため、トイレがある阿月漁港に行きました。ここで少しばかりトイレ休憩しました。この頃からさらに日が高く昇り、より暑くなりました。阿月漁港を出ると、海岸沿いにある大岩を横切り、赤根武人屋敷跡を見学しました。

 阿月漁港近くの大岩      赤根武人屋敷跡      願成寺の石垣
  

 ところで、赤根武人には一粒種の娘が一人いました。その一人娘に連なる親族が今でもいます。その親族には、赤根武人の話が代々伝わっているのではないかと思います。私が知っている範囲では、赤根武人に連なる家系は、現在三つあるようです。一つ目は赤根が武家養子に入る前の桂島松崎家。その子孫の方は四国松山市におられるそうです。二つ目は赤根の一粒種の娘の家系。武人がいったん養子に入った中富家(本家)を継いだようです。三つは赤根武人の弟の家系です。去年の秋、千葉県におられる武人の弟に連なる方にお会いしました。

          下見では見ることができなかった願成寺本堂


 赤根武人屋敷跡を過ぎると、スキップした願成寺に向かいました。ところで、願成寺でご住職と息子さん(小学6年生)に会いました。実はご住職と息子さんは、西神明宮で整理整頓をしていたそうです。偶然にも西神明宮から願成寺に帰る途中に、我々と出会ったのです。そして、ラッキーにも願成寺の本堂内を見学させていただきました。ありがとうございました。

   願成寺本堂内      愛宕社・疫神社の丘    左愛宕社・右疫神社
  

 願成寺のご住職のお話によると、かつては真言宗だったそうで、今は浄土宗とのこと。真言宗時代のお大師様を見せていただきました。浄土宗なのにどうして防陽八十八箇所霊場巡礼地の一つだったかの理由がこれで分かりました。なお、阿月での防陽霊場は十二番無動寺,十三番青木観音堂,十四番岩休寺,十五番合中地蔵堂,十六番願成寺、そして十七番般若院へと続きます。

             愛宕社・疫神社の丘にて


 願成寺本堂を見学すると、石風呂に行きました。そして、いったんバイパス道路に出て愛宕社・疫神社の丘に行きました。両社の説明を終えると、丘の木陰で昼食休憩をしました。日陰で涼しい風が吹いていました。楽しい昼食休憩が終わると、丘下のお地蔵様を見た後に青木地区に入りました。そして、多賀社の祠を見学した後、青木観音堂に行きました。

 丘下のお地蔵様         多賀社の祠        青木観音堂
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする