東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 石の口八幡宮 夏祭り御神輿神幸(2/2)

2016年07月13日 | ふるさと

 お神輿に同行しながら、お宮係の方々にいろいろ聞きました。すると、西暦奇数年には今年のコースの逆を行くとのことです。このため、今年最後尾に御神輿が来た地区は、来年は先頭になるそうです。不公平にならないようにとの知恵なのでしょうか。ちなみに、高松八幡宮や浮島神社は毎年同じコースで同じ順です。

   新宿井集会所にて      宿井市の横長御旅所        天行居にて
  

 御神輿は、時貞上を出ると新宿井団地の集会所に行きました。そして、次に宿井市(いち)の御旅所に行きました。この御旅所はとても横長です。江戸時代のことですが、石城神社からの三台の御神輿が降りてきて、お休みする御旅所でした。三台が並んで置けるように横長なのです。しかし、明治時代に宿井が田布施町になったことで、石城山の御神輿が来なくなりました。そのため、今は石の口八幡宮の御神輿一台だけが来ます。
 ※江戸時代、宿井村と塩田村は共に熊毛宰判で同じ地域でした。ところが、明治時代に宿井は田布施村と合併し、塩田は大和村と合併しました。この別れのため、元々石城神社の氏子だった宿井村の人々は石の口八幡宮の氏子に変わりました。そのため、塩田村の石城神社からお神輿が来なくなりました。また、天行居近くにある倒壊した巨大石鳥居が再建されないのも、そのことが遠因で、石城神社の鳥居だからのようです。

              城南別所でお祓いされる御神輿


 続いて、お神輿は天行居に行きますが、倒壊した巨大石鳥居の横を通りました。この石鳥居が倒壊していなければ、きっと石鳥居の下をくぐったに違いありません。かつてはバスがこの石鳥居をくぐっていたことがあります。天行居の次に別所に入りました。別所地域は、大きなため池があります。このため池は、江戸時代に作られたとの記録があります。別所堤(つつみ)と呼ばれていました。

  宮田の御旅所        森国・京国にて       最後の京城
  

 別所を出ると、ため池を横切り宮田に入り御神輿が降ろされました。続いて、城南のほたるの里である森国・京国に入りました。たくさんの方々が来ておられました。そして、最後に京城に御神輿が着きました。来年、お神輿は最初に京城に行きます。

          御神輿が帰ってきた石の口八幡宮


 なお、昔はもっと大きい御神輿を若者が担いで回ったそうです。倉庫にその大きな御神輿や御神輿に付き従う槍などの小道具がたくさん納められていました。昔は、さながら大名行列のようではなかったかと想像でできます。京城を出た御神輿は、石の口八幡宮に帰りました。宮司さん、お宮係の方々、暑い中を御神輿について回りお疲れ様でした。

    石の口八幡宮の御神輿に同行して移動したコース ※来年は逆回り

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