東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 国木の西迫,真殿,畑方面の史跡調査(1/2)

2016年05月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 このところ、仕事などが忙しくてなかなか自分の時間が取れませんでした。今回久しぶりに史跡調査に出向きました。出向いた場所は田布施町の国木方面です。最初に行ったのは西迫と呼ばれる地域です。今西田布施納所にある浄泉寺は、今から450年位前(戦国時代)は西迫にあったのです。八尋石八幡宮もかつては西迫にあったとのこと。その跡を探しに石迫に行ったのです。
 たまたま、西迫の峠に近い場所を歩いていると、風化した古いお地蔵様や墓石などがたくさん置かれた場所を見つけました。道の傍にあるのですが、これまで気が付きませんでした。

    風化したお地蔵様や石柱         門でしょうか、二つの石柱
 

 面白いのは、門のような石柱が二つあるのです。その門から入った場所にお堂のようにも見える建物がありました。地区の集会場のようにも見えます。鍵がかかっているようで、玄関は固く閉まっていました。近くに誰もいなかったので、これらの地蔵墓石群や建物について聞くことができませんでした。
 これまでの史跡調査経験から江戸時代以降の痕跡はなんとか残っていることが多いのですが、浄泉寺のように戦国時代の痕跡を探すのはとても困難です。なお、お地蔵様がたくさん安置されているため、八尋石八幡宮の痕跡ではなさそうです。

                二つの石柱近くに、お地蔵様群


 続いて、蓮華寺近くのお堂に行きました。車が行きかう峠にお堂はあります。そのお堂の中には、お地蔵様が安置されていました。どうも大師堂にように思えます。ですが、これまた近所に誰もいなかったため正式なお堂の名前を聞くことができませんでした。

 蓮華寺近くのお大師堂?     不思議で小さな石室    地蔵様が置かれた石室内?
  

 そのお堂の近くに、小さな階段があり道が上に向かっていました。その階段を登ってみることにしました。このような無人の階段上によく祠があります。その階段を上に行くと、草が茂った山道が上に続いていました。そのうち竹が茂って道が分からなくなりました。とにかく、山の上に向かって200m位どんどん藪をこいで進みました。

          山の頂上付近に、静かに鎮座していた祠または神社


 すると、壊れた石室があちこちに見つかるのです。最初、小さな古墳の石室かなと思いましたが、あまりにも小さすぎます。その石室内を覗くと、お地蔵様が安置されていたのでしょうか、石の台のようなものがありました。これらの石室は何なのでしょうか?

        このような石室が次々に現れる、いったい何の石室


 壊れたたくさんの石室を見ていると、はたと思い出しました。それは、近くにある蓮華寺の入口に安置されているたくさんのお地蔵様の言われです。これらのお地蔵様はその昔、西国三十三観世音菩薩として近くの山に祀ってあったそうです。その山が荒れてお地蔵様が埋もれてしまったため、15年位前に、そのお地蔵様を蓮華寺に移したとのことです。壊れた石室内に、このお地蔵様は安置されていたのではないでしょうか。

 このような石室が山のあちこちに         蓮華寺の小さなお地蔵様群
 

 とは言え、これらの壊れた石室内にお地蔵様が安置されていたことが事実かどうか分かりません。これらの石室はかつて巡礼かお詣りの対象だったのかもしれません。高齢化に伴い山にお詣りできない人が増えて、荒れ果ててしまったのでしょう。でも、祠や神社は神道です。なぜお地蔵様なのかが分かりません。近日中に蓮華寺か近隣の方々に確認しようと思います。

             今回史跡調査のため散策した国木周辺

コメント
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