東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 高塔 祇園牛頭天王社祭典 ポン菓子作り

2016年04月29日 | ふるさと



  田布施町 麻郷 高塔地区の春のお祭りである、祇園牛頭天王社祭典の準備を手伝いました。この祭典、2012年2013年と参加しましたが、一昨年と去年は郷土館の仕事のため参加できませんでした。日曜日だったならば参加できなかったかも知れませんが、今年は祝日だったため参加できました。午後15時頃に高塔公会堂に行くと、祭典で配るポン菓子作りがすでにが始まっていました。遅れて参加してすみませんでした。

              爆音が鳴り響き、白煙を上げるポン菓子製造機


 最初手伝ったのは、出来上がったポン菓子を袋詰めする仕事です。袋詰めが終ると、次のポン菓子が出来上がるのを待ちます。爆音がして出来上がったポン菓子が金網に炸裂すると、そのポン菓子を大きめのざるに移します。そして、そのポン菓子に蜜をかけて混ぜ合わせます。しばらく混ぜていると、ポン菓子の温度が下がり、さらさらになります。そのポン菓子を袋に詰めるのです。
 ポン菓子を作っていると、ある方が「祭典準備をスムーズに行うためのマニュアルのようなものがあるといいのでは。」とのこと。祭典が終わって一年後、その細かな手順や方法を少し忘れてしまうことがあるのだと思います。頭の中に入れた記憶だけでは、どうしても少し漏れがありますので。

              できあがったポン菓子の袋詰め作業


 今回の機会を利用して、祭典準備の手順をマニュアル状にしたものでも作ってみようかと思います。そのため、各手順などを写真や映像に残すことから始めようと思います。そして、お祭り当日も時間の流れと作業の様子を記録してみようかと思います。100年も経てば、これらの資料は立派な記憶遺産になると思います。

 下校中の子供にポン菓子   袋詰めされた袋を封印    ポン菓子が終わると掃除
  

 ところで私が子供の頃、ポン菓子業者が高塔にやってきていました。ある日、広場におもむろにポン菓子の機械を据え付け始めます。すると、近所の子供達がお米を持って集まるのです。少しばかりのお金を渡すと、持ってきたお米をポン菓子にしてくれるのです。
 お菓子が無かった時代、ポン菓子のような素朴なものをよく食べていました。今普通にあるお菓子の一つであるチョコレートはその当時、板チョコしかなく年に2度ほどしか食べることができませんでした。銀紙に包まれた板チョコは最高に美味しかったものです。
 祭典の準備をされた方々、お疲れさまでした。

  バケツリレー式にお菓子を         明日のお祭りで配るお菓子袋
  袋詰めしている子供会の方々  
 

コメント
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