東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 生き生き大学 奇兵隊に関わる史跡巡り(2/2)

2016年04月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 昼食は詩情公園でとりました。各人好きな場所に陣取ってのお昼休みです。私は一人階段に座って、配られたお弁当を食べました。ご馳走様でした。美味しかったです。
 食べていると、とても困ったことが起きました。それは、食べている私の周りに鳩が何羽か寄ってくるのです。その鳩たちの目を見ていると、御飯をくれそうな人かどうか人定めしているようなのです。鳩と目が合うと、どうしようかと迷ってしまいます。しかし、ぐっと我慢して何もやらないでいると、諦めたのか他の人の所へ飛んで行きました。たかが鳩ですが、鳩と私の目力勝負でした。

               鳩達に囲まれながら、楽しい昼食時間


 昼食時間は約30分でした。午後1時に再びバスに乗り込んで、次の史跡に行きました。行ったのは、円立寺です。この寺は元治元年にお坊さんたちが結成した奇兵隊緒隊の一つである僧練隊があった場所です。門の前に僧練隊の石碑が建っています。本堂は焼失してしまったため、今は新しい本堂が建っています。この円立寺に、柳井市の月性の親族が嫁いでいます。続いて、上関審判勘場跡に向かいました。

 昼食後、再びバスに乗車   円立寺の僧練隊石碑      上関審判勘場跡
  

 上関審判勘場跡にバスが着くと、門の前までみなさんと行きました。そして、審判勘場について説明しました。例えば、元々は四代にあり、続いて上関に移り、最後に麻郷米出に移ったことを説明しました。そして、現代の三権分立と代官制度の違いについても説明しました。また、米出や浜城がいかに江戸時代から明治にかけて発展していたか、そして発展した理由についても解説しました。

                国木田独歩の詩碑を見学している方々


 上関審判勘場跡を出ると、麻里府公民館に向かいました。公民館に着くと、国木田独歩の詩碑前に行きました。皆さんが揃うと、かつてはこの詩碑が馬島が目の前に見える海岸際に合ったことを説明しました。そして、国木田独歩の青春時代に大きな影響を与えた、麻里府での出来事などについてもお話をしました。
 そして、最後に麻里府海岸の砂浜に皆さんをご案内しました。砂浜に立って、海岸から見える馬島,牛島,祝島などを見ながら、幕末に起きた加徳丸事件について解説しました。今回のテーマが奇兵隊ですので、この加徳丸に関わった上関の義勇隊について、そのてん末を説明しました。、

  国木田独歩の詩碑      老健そよかぜに帰着       楽しく合唱後、解散
   

 麻里府公民館でバスに乗ると、一路麻里府中郷、西田布施国木などを経由して介護老人保健施設そよかぜに戻りました。途中、岸・佐藤両宰相の生家、そして正信寺を車窓から見ました。そよかぜに到着すると、お茶をなどをいただき一服しました。そして、歌を合唱して解散となりました。みなさんお疲れさまでした。
 帰り際、お土産をたくさんいただきました。私の母親の分までいただいて、本当に感謝いたします。帰宅後、母親に手渡すととても喜んでいました。ありがとうございました。

                奇兵隊緒隊に関わる史跡を巡ったコース

コメント
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