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東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷方面ウォーキング実踏調査(2/2)

2015年09月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 麻郷公民館に着くと、少しばかり休憩しました。ウォーキング大会では2人が待機しているそうです。一人は参加を確認する係、一人はハンコを押す係ではないかと思います。なお、看護師さんがコースを巡回するそうです。10分位休憩後、トイレを済ませて歩き始めました。

           10分程度休憩をした麻郷公民館


 麻郷公民館を出ると、しばらくは平生町の箕山を右手に見ながらひたすら歩きました。私が子供の頃は田園が広がっていましたが、今は太陽光発電,携帯のアンテナ.そして耕作放棄の田が目立ちます。平田川も昔と変わりました。茅が川沿いに茂っていましたが、今はその名残が残っています。流れの中を見ると、フナやハヤなどの川魚が元気よく泳いでいました。それは昔のままです。

  麻郷神社で栗拾い     国木田独歩仮寓跡     旧麻郷中学校碑
  

 平田川と別れると、鳥越地区の道を麻郷神社に向かいました。この神社は元々は麻郷護国神社と呼ばれていました。幕末の四境戦争時に周防大島で活躍した第二奇兵隊士が弔われています。さらに、日清,日露,そして太平洋戦争で亡くなった方々も弔われています。毎年4月1日に祭礼が行われています。この麻郷神社の石階段に、栗がたくさん落ちていました。

          最後に訪れた浮島神社(別名ひねきり明神)


 麻郷神社を出ると、高塔地区の道に入りました。しばらく歩いていると、国木田独歩仮寓碑があります。明治時代、この高塔地区(当時は下山)にあった吉見家に独歩は仮寓していました。彼の作品「帰去来」に、高塔山に登って遊んだ話が出てきます。なお、吉見家は、江戸時代に大野毛利を創家した名家です。
 国木田独歩仮寓跡碑をちらりと見た後、どんどん歩いていると麻郷中学校碑が見えてきました。今年は田布施町合併60周年ですが、まさに60年前の合併時までここに麻郷中学校があったのです。私が子供の頃、旧麻郷中学校の建物がまだ残っていました。当時の高塔地区子ども会で、建物の壁を利用して野外映画が放映されていた事を覚えています。その後、建物は壊され養鶏場になりました。

 句碑「松の花降りかかる  1時間程度昼食休憩    傷みが進む川添寮
  この石 かつぎ上ぐ」
  

 国木田独歩仮寓跡碑を過ぎると、田んぼの中を歩いて、最後に先日祭礼に参加した浮島神社に行きました。ここには江良碧松の句碑「松の花 降りかかるこの石 かつぎ上ぐ」があります。その句が刻まれている力石は、大きくないため知らない人が少なくありません。浮島神社で昼食休憩を取りました。そして、川添寮を見学後、ゴールのスポーツセンターに向かいました。今回の実踏調査ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

    今回踏調査した、第5回田布施町ウォーキング大会の寺社コース

コメント
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