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東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡りウォーキングの下見(1/4)

2023年03月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 次回の史跡巡りウォーキングは光市の戸仲方面です。冠梅園から見渡せる範囲の地域を回ることにしています。一番の史跡はここ数年訪れている防陽霊場のうちの五十四番札所の戸仲大師堂です。この大師堂、以前戸仲の街並みを何度か探しましたが、見つけることができませんでした。ところが、ひょんなことで冠天満宮の境内傍にあることが分かりました。昔は戸仲街にあったのでしょうが、信仰がすたれて冠天満宮に移設されたのではないかと思います。

         戸仲大師堂がある冠天満宮国道沿いのお地蔵様


 これまで何ヵ所もの移設された霊場をみました。しかし、移設先で最も多いのはお寺です。神社に移設されたのは戸仲大師堂だけだと思います。廃止されるよりは良いのですが、近所のお寺に何故移設されなかったのか不思議です。

  海岸通りの地蔵様   海に面する新宮自治会館    砂浜にあるお社
  

 さて、10:00に室積MaxValueをスタートすると、海岸に向かうため県道を横切りしました。その後、砂浜の防風林に沿って戸仲に向かって歩きました。しばらく歩くとお地蔵様がありました。続いて、新宮自治会館の南側にあるお社に着きました。

    砂浜の墓地群横のお地蔵様     秩父宮殿下が宿泊した趣ある家
 

 そのお社の石鳥居には天保十一年と刻まれていました。お社には、幕末に亡くなった方の石碑が建っていました。幕末の蛤御門の変の戦いで、今の光市の方々がたくさん亡くなりました。その方々の一人が、このお社付近の出身なのかも知れません。あるいは単に海難事故で亡くなったのかも知れません。そのすぐ近くには墓地をありお地蔵様が安置されていました。また、秩父宮殿下が宿泊したレンガ塀の趣ある家がありました。

     光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート

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柳井市日積から古道を経て銭壺山へウォーキング(4/4)

2023年03月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 天狗堂で立ったまま小休止すると、急斜面を滑るように降りました。下見時に滑って手をついたことが何度かありました。尻餅をついたこともありました。落葉の上に雪が積もっていて、落葉の厚みが分からなかったことも滑る一因でした。
 その反省をもとに、杖を持って行ったのは正解でした。厚く積もった落葉も何のその、滑ることもなく無事に下に着きました。下から見ていると、私に付いてきた方々も滑ることなく無事に下に着きました。

       鳩子の滝からは、春を感じながらのんびりウォーキング


 その後、石ころや岩を避けたり笹や竹を避けたりする箇所がありましたが、快適な歩きで談笑しながら歩きました。私は、遺跡のように残っている棚田跡の石垣を見たり、谷を流れる水の音や鳥の声を聞いたりしました。そのうち、お地蔵様がある鳩子の滝に到着しました。そこで、汗ばんだ服を着替えました。そして、立ったまま小休止しました。

 天狗堂からの急斜面      道を遮ぎる竹藪    鳩子の滝で小休止
  

 鳩子の滝からは車が通ることができる幅の道が続きます。時々横一列になって歩きました。そして、銭壺山,天狗堂,次回のウォーキングなどの話題を話しました。日積ふれあいどころ437に着くと、甘いものが食べたくなりました。下見時と同じアイスクリームを食べました。日積ふれあいどころ437内でデコポンを買って我家に帰りました。

  車道に出ると快適ウォーキング    もうすぐ日積ふれあいどころ437
 

 銭壺山まで登り降りしながら、昔の人はこのように里から里へとすべて歩いていた事に思いをはせました。思い返してみると、私が幼児の頃は平生幼稚園まで麻郷から歩いて通っていました。3km位の距離だったでしょうか。今その距離を歩いて通勤する人はいません。幼児の頃の私は、考えてみれば昔の人だったのでしょうね。今回の史跡巡りウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

    由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート

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柳井市日積から古道を経て銭壺山へウォーキング(3/4)

2023年03月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 やっとの思いで、銭壺山の尾根道にたどり着きました。その後は下見時と同じような快適なハイキングでした。春の日差しは暖かく、歩いていると汗ばむほどです。尾根道をそのまま歩いて銭壺山頂上に向かいました。この銭壺山、この一年の間に四回も登頂しました。しかも四回全て歩いての登りです。二回は由宇から、そして二回は日積からです。歩いて四回も銭壺山に登る人はそういないと思います。次に登るのは何年後のことでしょうか。

         汗ばむほどの春の日差しが暖かい銭壺山頂上


 銭壺山から瀬戸内海,四国,周防大島,日積,そして岩国などを眺めました。雲一つない好天で遠くまで見通すことができました。頂上で少しばかり立ち休憩をすると、数分ほど歩いて東屋に向かいました。谷を迷いながら歩いた疲れを癒しながら昼食休憩にしました。休んでいると、小さな子供がやってきてハグを求められました。今時珍しいほど人見知りしない子供でした。

  銭壺山頂上に向かう    東屋からの周防大島   天狗堂に向かって下山
  

 東屋で休憩していると、なんとY君が現われました。彼はウォーキングには参加しませんでしたが、心配になって銭壺山の東屋で待っていたようです。もう下山したのではないかと思って付近を散策したそうです。東屋に帰ってきたら我々がいたとのこと。彼を囲んでみんなで談笑しました。
 似たようなことがありました。5年前のことですが、千坊山のコバルト台地で休んでいるとY君がひょっこり車でやってきたことがありました。

     天狗堂に到着後小休止         天狗堂からの急斜面
 

 休憩が終わると、下見時と同じコースをたどって銭壺山を下山しました。尾根道から道を分かれて天狗堂に向かいました。天狗堂は今、うっそうとした森に囲まれています。しかし、建てられた当時は樹が生えておらず、斜面下を見下ろすことができる絶景地ではなかったかと思います。今回のウォーキングでも数組の方々が天狗堂に向かっていました。今でも信仰する方がいるのですね。

    由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート

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柳井市日積から古道を経て銭壺山へウォーキング(2/4)

2023年03月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 棚田跡に生える杉林を左右に見ながら、谷底を通る古道をもくもくと歩き続けました。棚田跡を過ぎると急な登り坂になりました。数十年も放置された古道は、あちらこちらが崩れていました。左右の山肌を見渡しながら古道を見つけては歩きました。しばらく歩くと、天狗堂直下にきました。今回は天狗堂に登らないで、歩けそうに見える古道を行ってみました。谷に沿った山道です。これが苦難の始まりでした。

        谷の急斜面に消えた古道を探しつつ慎重に歩く


 天狗堂への道はあまりに急峻で、とても古道とは思えません。昔から往来があったは道は窪んできます。しかし、天狗堂への道はただの斜面にしか見えません。おそらく明治時代以降に作られた新しい道ではないかと思います。
 ところで、本来の古道と思われる道を歩いて行くと、すぐに道が分からなくなりました。回りを見渡すと数十m先に古道が現われていました。古道を見失ってはまた見つけては歩くの連続でした。崖崩れで古道の何ヵ所もが寸断されていたのです。

  棚田跡に生える杉     木々の間を進む    所々が寸断された古道
  

 古道は谷に沿って作られているようでした。谷は大雨や台風で崩れやすいものです。最初は崩れて寸断された古道を容易に発見することができました。しかし、だんだんと古道か獣道か見わけが付きにくくなりました。石垣で補強された古道の箇所がありました。・・・・そのうち道が完全に消えてしまいました。

   急斜面の崖を上へ上へと登る       やっとこさ尾根道を発見
 

 谷から上を見上げると、尾根らしき頂きの木々から空が見えました。そこで、消えた古道とお別れして上へと登りました。30分位でしょうか、滑り落ちそうな斜面を登りました。あまりに急な斜面は四つ這いになりました。そして、やっと尾根に着きました。そこは、銭壺山から伸びる天狗堂に向かう尾根道でした。やれやれ、道を失うような冒険は若者に限ります。

   由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート

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柳井市日積から古道を経て銭壺山へウォーキング(1/4)

2023年03月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日、雪の中を柳井市の日積から鳩子の滝を経由して銭壺山に下見ウォーキングしてきました。歩いた古道には雪が積もっていました。その雪の下には厚い落葉が積もっていたため急な坂道を転げるようにして昇り降りしました。また、寒さで手がかじかんだり耳がしもやけになりました。そんな、極寒の銭壺山下見ウォーキングでした。
 今回は暖かい日光が差し込む本番ウォーキングでした。そのため、歩いていると汗ばんできました。今回は、かつて歩かれたであろう別の古道も通ってみました。しかし、その古道はどこも崩れてしまっていました。そのため、谷底を迷い歩きながらもなんとか銭壺山に着きました。

         何重にも倒れた竹を避けながら古道を進む


 日積ふれあいどころ437に9:30に集合しました。そして、9:40頃にスタートしました。時間に余裕を持たせたため、のんびりと歩き始めました。談笑しながら楽しく歩いていると、道脇から可愛い犬が二頭出てきました。その犬に見送られながら、さらに道を鳩子の滝に向かって進みました。途中、綺麗に整地された田んぼが眼下に見えました。このあたり一帯は、かつては里山風情がより素晴らしかったのではないかと思います。

  犬に見送られて歩く    梅の花がどこも満開    整地された田んぼ
  

 しばらく山道を進んでいると、やっと鳩子の滝に到着しました。その滝の傍にお地蔵様が安置されていました。その地蔵様脇で休憩しつつ、汗ばんだ服を着替えました。10分位休憩すると出発しました。
 そこからの古道は管理されていない藪だらけの山道です。笹を避けながら,倒れた竹を避けながら,さらに岩や石を避けながら、深い山に挟まれた谷の古道を進みました。

   鳩子の滝傍のお地蔵様前で休憩     深く茂る笹を避けながら進む
 

 山と山の間の谷を進んでいると、棚田の跡が次々に出てきました。かつてはその棚田を里人が耕していたに違いありません。しかし、それらの棚田群は数十年も前に見捨てられたのでしょう。その棚田跡には無数の巨木が乱立していました。今回歩いた古道は、由宇と日積を結んでいた古道です。かつては人々が行き交う街道だったとのことです。

    由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート

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猫ちぐら(ほぼろ版)を試作(7/9) 屋根スロープ製作

2023年02月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 やっと、猫ちぐら(ほぼろ版)の屋根のスロープを編むところまで来ました。ここまで編み進むと、あーすれば良かったとか、こーすれば良かったのでは、との反省点ばかりです。一番気になっているのは底部です。最初に座布団を作るように丸く編みました。しかし、後で円柱状の編んだ側面と接合しなければなません。
 そこで、もしかして屋根も底も一体で編めるのではないかと思うようになりました。そもそも、ほぼろは籠です。底を丸く作って上は開いています。それを大きく変更して、底を編みながら屋根も同時に編めないかとの構想です。とは言え、今作っている猫ちぐら(ほぼろ版)を完成させることを優先しなければなりません。その後、新構造猫ちぐらを試作しようと思います。ただし、長い稲わらを入手して作るか、継ぎ足して作ることになりそうです。

         猫ちぐら(ほぼろ版)の屋根スロープを制作中


 さて、屋根スロープにするため円柱状の側面を窄(すぼ)めなければなりません。その方法の一つとして、側面を構成する約70のわら束二つを一つに束ねます。そうすることによって、円筒形が窄まり三角錐形の屋根になります。二つのわら束を一つに束ねるには、単に結ぶかチェーンステッチで編みます。今回は5cmの箇所をチェーンステッチで編みました。

  円周の長さを測定    5cm離れた箇所を編む    チェーンステッチ
  

 ところで、三角錐の屋根を編みながら思いました。チェーンステッチで編む時、余ったわらを加えて縛れば軒下屋根になるのではないかと。今回はチェーンステッチで編み進んでしまったため軒下屋根にはできません。次回猫ちぐらを作る時に試してみようと思います。わらを編んでいると、いろいろなアイデアが浮かんできます。そうこうするうちに、三角錐状の屋根になってきました。

   三角錐状に屋根を編み進む      三角錐状に出来上がった屋根
 

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國木田独歩の史跡、生徒さん達を案内

2023年02月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先週、地元の小学校に出かけて國木田独歩と田布施町に関わりについてお話をしました。そして、独歩が当小学校で英語を教えたり、教え子の一人が後に当小学校の校長先生なったことなどをお話しました。そして、仮寓していた吉見家の子供達と一緒に高塔山に登って本を読み聞かせしたり詩を読んだりしていた事、また吉見家から遠くない麻里府に行って家庭教師をしていた事、その教え子の姉に恋をしてプロポーズして破局した事などのお話しをしました。
 今回は、生徒さん達を連れて吉見家付近の現地案内をしました。そして、独歩の多感な青年時代のお話をしました。

        國木田独歩が仮寓した吉見家前を案内しながら解説


 麻郷小学校の五年生とは高塔公会堂前で落ち合いました。挨拶もそこそこに独歩が仮寓していた吉見家跡に向かいました。現在吉見家はありませんので、独歩吉見家仮寓跡の石碑前まで行って生徒さん達に解説しました。その時、旧吉見家の写真を見せました。そして、吉見家の傍にあった東家や後に麻郷小学校の校長先生になった東家の東久治の写真も見せました。なお、東久治の写真は、麻郷小学校の校長室に歴代校長の一人として飾ってあります。

 吉見家跡への案内板    解説した独歩石碑前    麻郷神社を参拝
  

 その後、独歩がよく登った高塔山を遠望したり、独歩の日記によく出て来る地名などのお話をしました。続いて、独歩が出かけた惣田山招魂社(現麻郷神社)を参拝しました。そこから見下ろすことができる、田んぼ,塩田跡,平生湾,そして曽根などについてお話をしました。
 おまけの解説ですが、明治維新に関わる第二奇兵隊の顕彰碑列柱に行ってお話をしました。戊辰戦争時に亡くなった世良修蔵(列柱に記名)などのお話をしました。麻郷神社で解散としました。

       國木田独歩が仮寓していた高塔周辺と解説したコース

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クルミの苗木4本を植え付ける

2023年02月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 去年のことです。野生のクルミの樹を伐採してしまい、二本だけが残りました。伐採後、クルミの樹がとしても有用なことを知りました。剥いだ樹の皮で籠を編めること、樹液を煮詰めるとシロップにできるなどです。残念なことをしてしまいました。がっくりです。
 そのため、去年伐採したクヌギの跡地にクルミの苗木を4本植えることにしました。クルミの実を収穫できたり、皮を剥ぐことができたり、樹液を採取することができるまで5年はかかると思います。伐採して惜しいことをしました。

         クヌギ伐採跡地に、クルミの苗木を植える


 植え付けたクルミの種類は菓子クルミです。実が大きく殻が割れやすいクルミです。実るようになるまで年数がかかります。小さい苗なので、雑草や蔓に負けないように世話が必要です。なお、落葉樹ですので、樹の下は夏は日陰になり冬は日当たりが良くなります。

  購入した苗木4本    スコップで植え穴掘り    苗を穴に入れる
  

 クルミで一番期待しているのは皮です。その皮が編めるとは思ってもみませんでした。今生えているクルミの皮を大事に剥ぎながら、柔らかくして籠か何かを編んで見たいと思っています。これから年齢的により体が衰えてくると思います。そのため、体に負担が少ない籠編みなど家の中や庭でできる趣味に移行しようと思っています。
 ところで、お正月に孫が座る椅子を製作しました。今、その椅子に座って工作する机を頼まれています。夏までに完成しようと思っています。爺机かあ!

         クルミの苗木を植え付けて、周りに土を被せる

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銭壺山 日積側から積雪の急斜面を登る(3/3)

2023年02月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

  銭壺山の東屋は空気が澄み切って天気は良かったのですが、風が冷たいのでじきに体が冷えてきました。そのため、すぐに下山することにしました。同じ道を降りるので、道に迷う心配はありません。トイレの裏から日積に続く道をどんどん降りました。最初、天狗堂へ向かう参道を通りました。そして、軽い下り坂を通って天狗堂に降りました。

      銭壺山の東屋から見下ろした周防大島,笠佐島,上関方面


 天狗堂から降りる山道がこれまた大変です。登りは二歩進んで一歩ずり落ちましたが、下りは注意しないと転がり落ちてしまいます。なるべく樹の幹を手で掴みながらよろよろと降りました。厚く積もった落ち葉と積雪に足を取られないように細心の注意をしました。

  周防大島の久賀方面    天狗堂を後にして    登ってきた道の跡
  

 距離と時間が短いのだけがとりえの急坂でした。30分位降りて谷底に着くと急坂は終わりです。その谷底から上を見ると、何段にも連なる棚田がありました。今は杉林になってしまった棚田、昭和30年頃までは何家族もこの谷底で生活を営んでいたことが分かります。

   滑り落ちるような急坂を下山     日差しの当たる鳩子の里に到着
 

 谷底の棚田跡をぬうように走る山道をどんどん過ぎると、ようやく鳩子の滝に着きました。ここまで来ると道が開けています。鳩子の滝近くのお地蔵様傍で小休止しました。そして、ふれあいどころ437に向かって歩き続けました。大変な山道でしたが、寒くて休憩する時間があまり取れませんでした。そのため、思いがけなく早くふれあいどころ437に到着しました。歩き通して体が熱く甘みを求めていたのでしょう、野外のテーブルに座ってアイスクリームを食べました。今回の下見に参加された方々お疲れさまでした。
 ところで、今年の史跡巡り予定は次の通りです。よろしくお願い致します。

 1月 柳井市街の昭和の建物 
 2月 柳井市日積~銭壺山
 3月 光市戸仲大師堂~冠梅園
 4月 光市岩田周辺 
 5月 上関町長島
 6月 大畠町神西地区
 7月 平生町山田~伊保荘
 9月 町内田布施川全橋を渡る
 10月 伊保荘~大星山~佐賀
 11月 周防大島源明山

         日積側から銭壺山に登った、積雪の山道コース

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周防大島の史跡探索 和三盆用サトウキビ,マオランをいただく

2023年02月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 周防大島に、お友達とマオランの調査や史跡巡りに行ってきました。いろいろと嬉しいことがありました。最初、八幡生涯学習のむらで開催中の大島今昔写真展を見学しました。ついでに、隣の久賀歴史資料館を覗いてみました。私が制作しているほぼろが何点か展示されていました。ミカンの収穫に使われていたためか、「ほぼろ」ではなく「みかんてぼ」と呼ばれていたようです。
 隣に併設された体験館に小さなサトウキビがたくさん置かれていました。そのサトウキビのお話を伺っていると、思いがけなく安価で売っていただくことができました。そして、長めの茎をプレゼントされました。このサトウキビ、四国で和三盆の原料として栽培されている品種です。この夏に栽培して、子供達にかじらせたり黒砂糖を作らせてみようと思います。

         山羊達に歓迎された上に、たくさんの株をいただいたマオラン


 久賀歴史資料館へは以前、何度か来たことがありました。今回はロープの材料になったマオランに関わる展示がないか調べてみました。すると、直接マオランに関わる物はありませんでしたが、ロープを製造する機械が数点展示されていました。また、いろいろな籠が展示されていました。その中に一点だけシダ籠がありました。なお、資料館の館長さんにお聞きすると、昔マオラン工場があったとのこと。
 その他、興味深い資料がたくさんありましたが、時間が迫っていたため切り上げました。切り上げようとした直後、偶然に体験館で和三盆用のサトウキビを見つけました。史跡調査などでは、とにかく図太く遠慮なく聞いてみることが大事です。おかげで、和三盆用のサトウキビを入手できました。 

  ロープを編む機械     たくさんの農機具    和三盆用のサトウキビ
  

 その後、お昼休憩をするために道の駅に行きました。混んでいたため、やむなくテイクアウトでうどんを食べました。道の駅を散策した後、片添ヶ浜近くの和佐地区に行きました。和佐八幡宮前で、シニアカーに乗っている古老にマオランについてお聞きしました。すると、子供の頃にマオランが家に植えてあったとのこと。また、山向こうにマオラン工場があったとのことをお聞きしました。その後、和佐の史跡である建武二年宝篋印塔(1335年)を見学しに行きました。

  和佐の建武二年宝篋印塔(1335年)   森地区に生えていた野良マオラン
 

 和佐地区を出て車を進めていると、森地区で枯草の捨て場に野良マオランが生えているのを発見しました。続いて、片添ヶ浜を過ぎて小積地区に行きました。そこで、坂を登りながら枝分かれする道をマオランを探して歩きましたが、見つかりませんでした。ついでに小積地区の二尊院をお参りしました。
 次に小積地区を諦めて隣の大積地区を通りました。すると、バス停近くで今にも絶えそうなマオランを見つけました。笹に押されて、5年以内に枯れるのではないかと思われます。

  小積地区の二尊院   外入の小屋で番をする猫  掘ったマオランを株分け
  

 大積地区を出ると、地家室地区に向かって崖上の桜並木道を進みました。途中シーボルト上陸記念碑がありました。沖家室島に立ち寄ろうかと思いましたが、時間がないため今回は止めました。地家室地区から外入に向かうには半島側の伊崎を通ります。しかし、工事中とのことで山越えして外入に行きました。その途中で野良マオランを見つけました。山越えをして外入地区に入ってすぐ、外入湾を見下ろす高台に「夕日の丘展望台」がありました。夕日時に外入湾の夕焼けが美しいのでしょう。

        出迎えてくれた山羊達、マオランが生える傍で飼育


 外入地区に降りると、マオランが生えた場所に着きました。傍で飼われている山羊達がメーメー出迎えてくれました。傍の小屋におられたお二人の方に声をおかけました。すると、マオランを分けていただくことを快くご了解いただきました。「夕日の丘展望台」を管理している地元グルーブの方々だそうです。
 いただいたマオランの株、我家の畑に植え付けようと思います。サトウキビにマオランに、久しぶりに楽しかった周防大島史跡巡りでした。同行していただいたiさんありがとうございました。

         史跡巡りやマオランを探した周防大島ルート

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銭壺山 日積側から積雪の急斜面を登る(2/3)

2023年01月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 散々苦労して、積雪の銭壺山にたどり着きました。快晴の青空を雪雲が巻き上がっていました。数十m先に見えた山頂、最初枝先に梅が咲いているのかと思いました。梅ならば2月末にならないと咲いてないはずです。おかしいなと思いつつ山頂に着くと、梅の正体が分かりました。たくさんの枝先に氷が付いていたのです。つまり、樹氷が白く光って梅の花に見えたのです。

         樹氷に覆われた樹の枝、銭壺山の山頂に到着


 積雪の急斜面を上り詰めた場所に天狗堂のお社がありました。今までいろんな神社にお参りしましたが、天狗を祀ったお社は初めてです。どこから勧請してきたのでしょうか。建物内の記述を読むと、昭和50年代に改築したようです。今でも定期的に掃除やお祭りをしているようにみえます。

   天狗堂のお社      天狗堂に続く参道    天狗堂への参道入口
  

 天狗堂のお社で立ったまま休憩しました。すると、寒さから急に体が凍えてきました。そのため、すぐに脱いだ服を着こみました。少しの間の休憩後、天狗堂後ろの手すりがある山道を登りました。数分で車が通ることができる参道に出ました。その参道、南に行くと駐車場の広場がありました。氏子の方々はこの広場に車を駐車して天狗堂にお参りにいくのでしょう。

  樹氷が付いて白く見える枝や葉     山頂から見下ろした日積の里
 

 山頂に着くと、快晴だったため瀬戸内海,周防大島,日積,岩国,そして広島の呉方面が良く見えました。いつもはなかなか見えない四国が良く見通せました。その四国、屋根らしき建物もよく見えました。厳冬期のため空気が澄み切っていたのでしょう。
 山頂から少し降りると、東屋に行って昼食休憩をとりました。しかしながら、休憩していると凍った空気がすぐに体を冷やします。お湯が入った暖かい紙コップに、凍える手が救われました。少し休憩をとると、すぐに下山しました。

        日積側から銭壺山に登った、積雪の山道コース

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銭壺山 日積側から積雪の急斜面を登る(1/3)

2023年01月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 銭壺山を日積から登山する下見の日でした。早朝雪が舞っており道路も畑も雪が降り積もっていました。当初、下見は中止の方向で考えていました。
 ところが、だんだん空が晴れてきましたし、我家の車はスタッドレスタイヤを履いています。そこで、下見をすることにしました。一番心配していた石井ダム近くは道路が真っ白に積雪し踏み固められていましたが、スタッドレスタイヤの威力ですいすい道路を登っていきました。そんなこんなで、昼頃に登頂しました。空気は透き通り、遠く四国や広島の呉などが見通せました。

           積雪した銭壺山山麓の急斜面を登る


 スタートしたのは日積のふれあいどころ437です。開店時間をだいぶ過ぎていたのですが、積雪のためか駐車したのは私の車だけでした。最初、閉店の日かと思いました。みんな外出を控えていたのでしょう。お客が誰もいないふれあいどころ437をスタートして、のんびり銭壺山に向かって進みました。時間を遅らせて出発したので、日当たりの良い道路はみな雪が解け始めていました。

  ふれあいどころ437   鳩子の里の冬田んぼ   鳩子の滝はもうすぐ
  

 鳩子の滝に向かって緩い登り坂道路をどんどん進みました。しばらく歩くと、銭壺山が真上に見える鳩子の滝に到着しました。お地蔵様傍で最初の休憩をしました。体が熱くなっていたため服を一枚脱ぎました。ここからはさらに急な上り坂が続きました。枯れた竹林は歩きにくかったのですが、その後の道は意外にしっかりしていました。棚田跡や人家跡などを横目に見ながら歩きました。

  最初に休憩したお地蔵様傍      倒れた竹を避けながら進む
 

 しばらく谷間の上り坂を進みました。小さな川を跨いでしばらくすると、急斜面が現われました。しかも、落葉が厚く堆積した超急坂でした。落葉は滑るし、雪が積もっているし、捕まる枝がないため往生しました。そのため、2歩進んで1歩ずり落ちるような登り方でした。何度か転びそうになった急斜面を登りきると、天狗堂の建物が見えてきました。頂上はもうすぐです。

        日積側から銭壺山に登った、積雪の山道コース

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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(4/4)

2023年01月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 岡の上公園で昼食休憩をしていると、だんだん雲行きが怪しくなって寒くなりました。そこで早々に出発することにしました。そして、公園傍にある光台寺に行きました。柳井幼稚園を併設しているため、いつもは園児達で賑やかです。しかし、今回は休日のため静かでした。
 このお寺は別名ワンワン寺と言います。その理由はお寺の楼門の下で手を叩くと、犬の鳴き声のような音が出るとのこと。その理由をみんなで確かめてみました。私も叩いてみましたが、反響音はしますが犬の鳴き声には程遠いようです。オンオンのようにも聞こえます。その音が、人によっては鳴き声に聞こえるのでしょう。

        街並み資料館内に設置された、変わった形のお鈴金魚


 高台寺は楼門はとても立派ですが、本堂がどこにあるのかよく分かりません。楼門から見えた建物が本堂かも知れません。
 続いて、丘をおりて長岡外史石碑に行きました。生誕を記念していますが、実は生誕地は下松とも言われています。第二奇兵隊参謀小方謙九郎(上関の四階楼を建築)の婚外子とのこと。母親が身ごもっている頃に下松から柳井に引っ越したため生誕地がはっきりしないようです。スキーや飛行機の導入などで名をはせた人物です。

   光台寺の楼門      光台寺からの景色     旅館兼銭湯跡
  

 続いて、山崎ミシン商会に行きました。このお店は柳井周辺でミシンを唯一修理できる個人商店です。まさに昭和のお店です。このお店で、足踏みミシンに使う丸皮ベルトを購入しました。店主は高齢で足が悪くて歩けません。それでも、不自由な足でベルトを売っていただきました。続いて、街並み資料館に行きました。

     長岡外史跡生誕記念碑      明治40年建築街並み資料館
 

  街並み資料館前には國木田独歩の銅像(上半身)が置いてありました。扉を開けて中に入ると、数人の方々が説明を受けてていました。1階の突き当りにお鈴金魚がありました。上からお金を入れると鈴が鳴って、お金は下に落ちます。良い音が出ると幸運があるとのことで、みんなお金を入れました。私も入れてみました。下に落ちたお金は回収できます。次に二階に行って故松島詩子の遺品を見学しました。
 街並み資料館を出ると、今回の史跡巡りは終わりです。参加された方々お疲れ様でした。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(3/4)

2023年01月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで何度か柳井高等女学校跡碑を探しに来たことがありましが、なかなか見つけることができんでした。ところが、下見の時に柳井市中央公民館の方に聞いて初めて碑の場所が分かりました。碑は中央公民館と柳井市体育館(バタフライアリーナ)の間に挟まれた場所にありました。しかも、見下ろさないと分かりません。
 続いて、柳井川の下流に沿って歩きました。宝来橋を過ぎて少しすると、立派な立像の愛宕地蔵尊が安置されていました。このお地蔵様は別名火伏地蔵とも言われています。江戸時代に大火に見舞われた方々を弔うお地蔵様のようです。このような火伏地蔵が柳井市にたくさん残されています。それだけ、柳井は頻繁に火事がおきたのでしょう。

       岡の上公園で昼食兼休憩をとる、冬の日差しが暖かく


 さらに柳井川を下りました。この柳井川は江戸時代初期は海岸でした。この海岸に沿って商家が立ち並んでいました。その海岸に突き出るように雁木が並んでいました。もちろん、船が着岸できる船着き場もありました。雁木は20年位前の工事で無くなりましたが、船着き場跡は今でも残されています。続いて柳井川を下っていると、道しるべの石柱がが立っています。田布施方面と平生方面を指し示しています。

 柳井高等女学校跡碑     立派な愛宕地蔵尊    田布施平生への道しるべ
   

 道しるべを見終わると、道を左にとって姫田川上流に向かって歩きました。少し歩くと端相寺が見えてきました。このお寺は江戸時代初期の古地図に載っているため、400年以上続いていることになります。端相寺内を少しばかり見学すると、姫田川をさらに上流に向かって歩きました。すると、斎藤道場と三宝荒神社が見えてきました。

   江戸初期にすでにあった端相寺      斎藤道場と三宝荒神社
 

 姫田川を逸れて、次に岡の上公園に向かいました。到着した頃正午でした。そのため、公園内に置かれている長椅子に座って昼食休憩をとりました。風もなく日差しが降り注いでいたため、暖かく休憩することができました。西側の眼下を見ると、柳井市街を広く見渡すことができました。東側の眼下を見ると、茶臼山古墳や柳井湾を広く見渡すことができました。40分位休憩したでしょうか。日差しが弱くなり少し寒くなってきたため、重い腰を上げて次の史跡に向かうことにしました。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

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今年最初の放課後学習 成器塾、「裁縫と調理」クラスで手回し製粉

2023年01月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 今年も小学校の放課後学習 成器塾が始まりました。私が教えているのは成器塾の「裁縫と調理」クラスです。去年はもっぱら刺し子などの裁縫でしたが、ようやく調理を教える時がやってきました。調理と言っても、今回は小学生が容易に調理できるお汁粉です。
 私が重視しているのは素材から手作りすることです。今回はお汁粉の中にいれるお団子の元になる粉を製粉してもらいました。もち米を製粉して白玉粉に、うるち米を製粉して上新粉にしました。手回しで製粉したことがない子供達でしたが、全員楽しそうに製粉作業をしていました。また、10月に畑で収穫した小豆を、鞘から取り外す作業もしてもらいました。

         もち米の製粉をしながら、ふるいで粉を選別


 今年度の成器塾「裁縫と調理」クラスの生徒の中に、昨年度に引き続いて同じクラスに来ている生徒がいました。つまり、去年度の手回し製粉を経験している生徒がいました。そのため、今回は手回し製粉機の組み立てを最初にしてもらいました。生徒さんは最初戸惑っていましたが、私のヒントで難なく組み立ててくれました。組み立てが終わると、上新粉を作るチームと白玉粉を作るチームに分かれてもらいました。チームが決まると、うるち米ともち米を渡して製粉作業を開始してもらいました。

 もち米を白玉粉に製粉   うるち米を上新粉に製粉  鞘から小豆を取り外す
  

 なお、お汁粉には小豆が欠かせません。製粉機を回して腕が疲れた生徒には、鞘から小豆を取り外す作業をしてもらいました。一時間半ほどの作業でした。生徒さん達はワーワーキャーキャー言いながら、楽しそうに飛び回って作業していました。お汁粉を、粉作りや小豆取りからするのは初めてだったようです。新鮮な体験だったと思います。次回はお汁粉に入れるお団子作りから始めてもらおうと思っています。

   何度も製粉を繰り返して細粉に    ふるいを通して細粉を選別する
 

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