溝呂井児童公園内に入り見渡した後、再び道に戻って歩き始めました。すると、左手にブロック塀に囲まれたお地蔵様が安置されていました。ブロック塀の中を見ると、比較的良く管理されているようで、お地蔵様前にたくさんの花が生けられていました。このお地蔵様のお世話をする方が複数いるのではないかと思います。続いて溝呂井住宅の田んぼ側を回り込むようにして近政大師堂に向かいました。
近政台住宅の北の端にある赤い扉の祠を訪れる
近政大師堂は防陽旗八十八箇所霊場の第七十八番札所です。建物は新しく、最近寄付を元に改築したのではないかと思われます。防陽霊場の表示も分かりやすく大きく掲げられています。回りも綺麗に管理されています。なお、建物の正面側に溜池がありました。その昔この溜池が掘られた時、溜池を御守するために大師堂が立てられたのかも知れません。溜池を御守するためのお社や祠は少なくありません。
道端に建つ小さな祠 溝呂井児童公園 溝呂井住宅のお地蔵様
なお、防陽霊場の順番としては、岩田冠念寺七十七番~近政大師堂七十八番~大塚大師堂七十九番~石亀大師堂八十番と続きます。昭和三十年頃までは巡礼者が巡礼したいたのではないかと思います。
ちなみに柳井金剛寺一番から柳井相江庵まで、二日間の工程だったようです。宿泊したのは室積長徳寺四十八番近くではないかと思います。長徳寺近くでは、巡礼者を宿泊させる特別なお接待があったとのことです。
防陽霊場七十八番札所の近政大師堂 近政住宅に安置されたお地蔵様
近政大師堂を出ると近政住宅の田んぼ側を回り込むように歩きました。田んぼの土手を草刈りをしている方がいました。最初北の端にある祠を訪ねました。扉が赤く塗られているは珍しいです。次に、来た道を少し戻って屋根付きお地蔵様を訪ねました。残念なことに何のお地蔵様か分かる表示がされていませんでした。花などが活けておらず、何も置かれていませんでした。
これで、今回の史跡巡り下見ウォーキングは終わりです。参加された方々お疲れさまでした。本番ウォーキングは4月中旬の予定です。
光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース
お堂を出ると、通称:吹田道路に向かいました。吹田道路に出ると、トンネルを通ってそのまま善流寺に向かおうとしたところ、もうすぐお昼ではありませんか。昼食場所探して西八幡団地内を歩くことにしました。道を歩いていると遠くに親山羊一頭と子山羊三頭が戯れていました。その山羊に近づくと、とんでもない事を発見しました。子山羊の一頭が倒れていて動かないのです。
昼食休憩後、山の中腹にある善流寺を訪れる
山羊達四頭にはそれぞれ紐が付いていました。ところが、その紐が絡まって子山羊の一頭が締め付けられていたのです。そして、地面に倒れていて動かないのです。直ちに、近くに住む飼い主に連絡をしました。少しして飼い主がやって来て紐を外していました。しかし、絡みついてなかなか外れません。やっと外れたと思ったら、倒れていた子山羊の頭がわずかに動きました。一命を取りとめたようですが起き上がりません。体がしびたのでしょうか。飼い主がその子山羊をマッサージしている様子を見ながら出発しました。
絡まった四頭の山羊達 昼食する公園を探す 昼食後善流寺に向かう
西八幡団地の片隅に小さな公園を見つけました。日差しが暑かったため木漏れ日の下に座りました。そして、談笑しながら昼食休憩を取りました。この周辺の団地はどれも新しいようで、空き家は無いようです。昔は子供の数が多かったに違いありません。
防陽霊場七十六番札所上岩田大師堂 溝呂井児童公園近くのお堂跡
昼食休憩が終わると善流寺に向かいました。ご住職にご挨拶をして。本番ウォーキング時に再訪することをお伝えしました。その後、上岩田大師堂に向かいました。大師堂は上岩田自治会館内にあります。元々は近くの土地の上にあったことを地元の方に教えていただきました。続いて、溝呂井に向かいました。そして、溝呂井児童公園近くのお堂跡に行きました。
光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース
故障個所が、9V(006P)電池を取り付ける端子と分かりました。その故障個所を直すため端子を切り開きました。カッターナイフを使って絶縁箇所をはぎ取りました。やはり、9Vのマイナス端子が断線していました。何年もの間、電池を入れ替えている間に切れたのでしょう。そこで、断線した箇所を半田付けして接続しました。その後、電池を取り付けるとラジオ放送を聞くことができるようになりました。電源スイッチ兼音量調整と周波数調整の両ダイヤルは共に正常に動作しました。治って良かったです。
9V電池を入れてスイッチON後、ラジオ放送を聞く
今回のラジオの修理で一番気を使ったのは、断線した9V電源端子の修理です。新しい端子と交換しても良いのですが、このラジオは基板を外すことができません。そのため、端子そのものを剥がして修理しました。今までにない修理方法です。
9V端子の皮膜を剥がす 端子の内部を露出 切断箇所を半田付け
9V端子の修理が終わって9V電池を付けると、ラジオ放送の音が出るようになりました。ついでに、周波数の範囲をSG(Signal Genatater)で計測しました。すると、510~1640KHzで正常範囲でした。ただ、イヤホン端子がはずれていたため、イヤホンが使えません。専用ナットが外れて無いようでしたので、見繕って取り付けて、さらに接着剤で固定しておきました。
なお、イヤホンが故障してるようで音が出ませんでした。代わりに私が持っているイヤホンを差し込むと音が出ました。イヤホンで音を聞きたい場合は購入してもらうしかありません。
とにかく無事に治って良かったです。思い出のラジオだと思いますので、今後も大切に使ってもらえたらと思います。
ナットが無くグラグラするイヤホン端子 周波数範囲を測定の結果、正常
やまと台団地内を歩いた後、老人憩の家近くの小山に登りました。人丸社,稲荷社,そして荒神社などのお社が複数ある小山です。以前、こ小山周辺で土器の欠片がよく出たそうです。この小山は周辺を見渡せるため、かつては祈り所のような施設が代々あったのではないかと思います。実際、荒神社の拝殿のような建物がありました。周辺の草は刈られているようでしたが、今は使われていないお社群のようでした。
お堂近くの広場に安置されたお地蔵様群
複数のお社がある小山を降りると、あるお堂に向かいました。そのお堂に板が打ち付けてあったのですが、文字がかすれて読めません。わずかに「防」の文字が上に読めます。もしかして防陽霊場かも知れませんが、地元の方でないと分かりません。しかし、防陽霊場であってもおかしくないほど管理されていました。そして、建物横にお地蔵様が何体も安置されていました。
小山の人丸社 小山の稲荷社 小山の荒神社
そして、少し離れた広場にも何体かお地蔵様が安置されていました。ご住職のお墓がないので、近くのお寺から説法のため定期的にご住職が訪れていたのではないかと思います。まだ使われているように見受けるお堂でした。本番ウォーキング時に近くの方に聞いてみようと思います。
道脇のお堂の建物を訪れる お堂横に安置されたお地蔵様群
このお堂に着いた頃、だいぶ日が昇っていました。直射日光が突き刺さるようでした。歩いていると汗ばんできました。そのため、立ったまま休憩しながら上着を一枚を脱ぎました。三月のためまだまだ暑くは感じませんが、本番ウォーキングは四月の中旬です。半袖でのウォーキングを考えた方が良さそうです。
光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース
ワラ籠(ほぼろ版)内に収容する袋を前回完成しました。その袋の縁に紐を通して、絞り止めの玉などを取り付けました。その後、背負うための紐として太めのワラ縄を取り付けました。こうして、背負いワラ籠(ほぼろ版)がようやく完成しました。
実際に背負ってみました。すると、意外に抵抗感はありませんでした。次回のウォーキングで背負ってみて、耐久性や背負い心地を試そうと思っています。
完成した背負いワラ籠(ほぼろ版)、史跡巡り時に背負う予定
太ワラ縄をハサミで切って、背負い用と首筋に付ける固定用の二本を切り出しました。最初、背負い用太ワラ縄の両端をほぼろ上部縁二ヶ所に取り付けました。外れないように、いったんほぐしたワラ縄の端を結び直して強く固定しました。
絞り止め用玉を取り付け 背負固定紐を取り付け 背負い紐を縁に取りつけ
背負うための太いワラ縄は、歩いている時に外れたり切れてはいけません。そのため、取り付け箇所を強固にするため接着剤を薄く塗布しておきました。
ところで、三歳の子供に背負わせてみましたが大きすぎるようです。10歳位~小柄な人に向いているかも知れません。また、実際に使ってみないと使い勝手や耐久性などは分かりません。次回の史跡巡りウォーキング時に背負ってみようと思います。
ほぼろの下部にワラ縄を取り付け 三歳の子に大きすぎるか?
浄国寺の鐘撞堂を見ると面白いことに気が付きました。最初、鐘を突くためにどこからお堂に登るのか探しました。隠れた階段があるのではないと思っていました。探していると階段や梯子が無いことが分かりました。さらに、鐘撞堂の天井を見上げると、鐘を突くため紐がぶら下がる穴を見つけました。その穴で分かりました。その穴から地上に垂れる紐を引っ張ると、鐘を突くことができるのです。初めて見る鐘撞堂の構造でした。
浄国寺を出た後、山陽本線を横切りやまと台団地方面に向かう
ところで浄国寺の方に、本番ウォーキング時に本堂に上がらせていただくことやトイレを使わせていただくことを快諾いただきました。ありがとうございました。浄国寺を出るとすぐ、小さな池がありました。産卵時期なのか、うるさいほどカエルが鳴いていました。池の傍を歩くと、急に静かになりました。その池からすぐのところにお地蔵様が安置されていました。
浄国寺の本堂 浄国寺の鐘撞堂 池の近くのお地蔵様
お地蔵様を見終わって視界を広げると、田布施川が見えました。そして、その向こうに三輪神社が鎮座する山が見えました。その後どんどん道を進み、県道を跨いで山の中に入る道をさらに進みました。そして、T字路を右に進むと毘沙門堂の建物と講神社の祠がありました。
毘沙門堂前のお地蔵様群 講神社の祠と石鳥居
なお、荒神社ではなく講神社と呼ばれるのは初めてです。その講神社前に日清戦争から太平洋戦争までの間に亡くなった方々の慰霊碑がありました。陸軍第五師団・・と刻んでありました。光市地区の方々は陸軍第五師団に入営していたのではないでしょうか。毘沙門堂と講神社を出ると、山陽本線を渡ってやまと台団地方面に向かいました。
光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース
4月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。前回は、光市の戸仲方面の史跡を巡りましたが、今回は同じ光市の岩田~三輪周辺を歩きました。JR田布施駅に9:15頃集合した後、9:27の下り電車に乗って隣のJR岩田駅で下車しました。すると駅舎で岩田在住のKさんが待っていました。駅舎で合流すると、岩田周辺の史跡の下見をするために歩き始めました。
岩田の防陽八十八箇所霊場第八十一番札所石亀大師堂
最初に訪れたのは三輪福祉会館近くの荒神社です。そこは広場になっており、小さな荒神社の祠と鳥居が立っていました。そして、その下には道を挟んで公園がありました。その公園の北側にお地蔵様と御大典記念石碑が立っていました。
JR岩田駅の陸橋を渡る 荒神社と石鳥居 静かで小さな公園
御大典記念石碑を見終わると、緩い坂道を登って石亀大師堂に向かいました。しばらく道なりに歩いていると、石亀大師堂に着きました。この大師堂は昭和初期に一度再建されたようです。その再建記念石碑が立っていました。次に大師堂を回り込むように墓地に向かいました。墓地入口には親鸞聖人の銅像が安置されていました。
公園端に安置されたお地蔵様 山道を下って浄国寺に向かう
続いて、来た道を戻って山道に入りました。落葉が積もった山道をしばらく下ると浄国寺が見えてきました。このお寺は幼稚園を併設しているため幼児の賑やかな声が聞こえました。そして、お寺内に園児たちが遊ぶ遊具がありました。幕末時に第二奇兵隊と関係がある郷校縮住舎が置かれていたとのこと。本堂の屋根が傷んでいましたが、鐘撞堂がとても立派でした。
光市岩田~三輪周辺の史跡を巡った下見コース
四年ぶりでしょうか、田布施町さくら祭りが開催されました。久しぶりに楽しんできました。四年前は織物体験コーナーを設営して高校生達に手伝ってもらいました。また会場に郷土館号を走らせました。今回は娘夫婦やその子供達がやって来たため、もっぱら会場を一緒に歩き回って楽しむだけにしました。
祭りのついでに近くにある郷土館を見学しました。そして、いろり山賊にも行ってきました。山賊では座る席が無く、おにぎりを買って散歩コースの椅子に座って食べました。どこも人が多くてゆったりできませんでしたが、季節柄混雑するのは仕方がありません。
さくら祭り会場の田布施川両岸は桜が満開
久しぶりのさくら祭りは四年前よりも混雑していたように思います。お店も10m近い行列でした。そのため、コンビニに行って食べ物を買いました。交流館近くはとても座る場所はありません。田布施川の空いた岸辺にシートを広げました。桜の花吹雪の中、カヌーなどを見ながら休憩を取りました。
超混雑の交流館付近 田布施川の岸辺で休憩 いろり山賊も超混雑
あちこちのお祭りの後、三丘温泉近くの古民家宿「もりのもむ」に行きました。島田川に沿う道傍にある築100年以上の家です。元々は茅葺屋根なのですが、傷んでいるためトタンが張ってありました。ちゃんとした茅葺に戻すためには数百万の費用と6年以上の待機だそうです。
郷土館の蓄音機で童謡を聞く 宿泊した三丘の古民家宿
光市総合福祉センター「あいぱーく光」を出ると、光井川を河口に向かって歩きました。川底を見ながら、砂浜が窪んでいる理由を聞きました。すると、潮を満ちた時にエイがやって来て砂下の貝を掘るのではないかと事でした。エイが貝を食べるために海底を掘る話を聞いたことがあります。シジミの産地がエイの被害にあっているとのニュースを聞いたことがあります。まさかエイとは、カニだとばかり思っていました。
戸仲漁港の周りをのんびりウォーキング
光井川をどんどん歩くと橋の袂に着きました。そこには数体のお地蔵様が安置されていました。周りには家が無いのにちゃんと花が活けてありました。このお地蔵様のお世話をする方がいるのでしょう。続いて、スポーツ交流村に行きました。下見時には入ることができなかったヨットハーバーに入ることができました。
橋の袂のお地蔵様 ヨットハーバーのヨット ヨットの操縦を見学
ヨットの訓練が始まった時に到着しました。小さめのヨットの上を人が行き来してヨットを傾けながら操縦していました。私も20年位前にヨットを習いたくて、山中湖にヨットを見に行ったことがあります。しかし、仕事が忙してく習うチャンスを逃しました。もうチャンスは来ないでしょうが、ヨットを操縦して海をゆうゆうと渡ってみたいものです。
戸仲漁港の恵比寿神社 新生仏教の発祥記念碑
ヨットが海に出おわると、腰を上げて近くの堤防に登りました。この堤防から海側のテトラポットで魚釣りができるようです。イカなどが釣れるとか。最近魚釣りをしていないので、これまた海で魚を釣ってみたくなりました。昔、伊保荘の砂浜でキスなどを釣ったり、釣り船で魚を釣ったことを思い出しました。続いて、戸仲漁港を歩いて恵比寿神社を見たり、新生仏教発祥記念碑やその近くにあるお地蔵様を見ました。その後は、スタートした室積MaxValueに戻りました。参加された方々、お疲れさまでした。次回は光市岩田方面の史跡を巡ります。
光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース
冠天満宮をでると、かんむり橋をわたって冠梅園に行きました。下見の時には咲き残っていた梅は全て散っていました。本数は少ないですが、代わりに桜が咲いていました。梅園の頂上から少し下がった広場に腰を下ろして昼食休憩としました。春の日差しが刺さるようで、今後は日陰で休憩するようです。休憩が終わると、いったん冠天満宮に戻りました。
光市総合福祉センター「あいぱーく光」玄関前のトトロ
冠天満宮からは北に抜ける参道を下りました。下っていると光市の名木ウラジロガシの古木がありました。その古木は巨木で、幹の周りには注連縄が回してありました。昔から地元の方々に尊ばれたのでしょう。その古木からすぐ下に岡庄自治会館がありました。その会館に沿ってさらに道を下ると、お地蔵様が安置されていました。このお地蔵様が好きな理由は、ちゃんとお地蔵様の名前や由来が書かれていることです。将来のためにと残してくれた先人に感謝です。
かんむり橋を渡り梅園に 頂上下で楽しい昼食 ウラジロガシの古木
お地蔵様の名前や由来を読んだ後、トイレ休憩することにしました。下見ではアルクに行きましたが、より近いダイレックスに寄りました。立ったまましばし休憩すると、次の目的地まである光市総合福祉センター「あいぱーく光」に向かいました。そこの玄関に置いてあるトトロです。
名前や由来が分かるお地蔵様 小休止したダイレックス
私がトトロの映画を見たのはいつのことでしょうか。今でもその映画を子供達は見ているようです。それが分かるのは、昔使われていたダイヤルが無い木製電話のことを知っているからです。実際その電話を小学校に持ち込むと、必ず「トトロの電話だ!」と子供達が言うのです。
光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース
冠天満宮に向かうには、戸仲バス停近くの横断歩道まで移動しなればなりません。国道188号線を横切るその横断歩道を渡ると、お地蔵様2体を拝んでから冠天満宮の石階段に向かいました。
冠天満宮の石階段を何度登ったでしょう。何度も登ったため忘れてしまいました。その石階段の途中に防陽八十八箇所霊場五十四番札所の戸仲大師堂があります。元々は戸仲街にあったのでしょうが、いったいどこから移設されたのでしょうか。
太鼓橋のかんむり橋を渡って冠梅園に向かう
ところで、冠天満宮の石階段から数百m先に砂浜があります。しかし、冠天満宮ができた1000年以上前は石階段直下までが砂浜だったのではないでしょうか。さらにその昔、弥生時代はおそらく今の冠天満宮の山裾は波打ち際だったように思います。その後砂浜が広がって、その砂浜に沿って松林が広がったのではないかと思います。
戸仲バス停の横断歩道 冠天満宮前の地蔵様 長い石階段を登る
戸仲大師堂を出ると、再び石階段を登りました。なお、戸仲大師堂のある石階段の反対側に使われていない建物があります。昔、その建物は小動物園を兼ねたレストランだったそうです。場所が悪いのか長続きしなかったようです。
戸仲大師堂前の立派なお地蔵様 冠天満宮の立派な拝殿
ところで、戸仲大師堂を訪れる人が少ないようです。訪れるためには、下から長い石階段を登るか、冠天満宮から降りるしかありません。仮に訪れることができても、やはり長い石階段を通るしか戻ることができません。お年寄りには無理です。そのようなことが原因でレストランも閉鎖されたのではないでしょうか。階段はお年寄りにはきついので仕方がないのでしょう。
続いて冠天満宮に参拝後、かんむり橋を渡って冠梅園に向かいました。
光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース
先日下見したと思ったら、もう本番の史跡巡りウォーキングとなりました。下見から本番まで10日たらずでした。下見と同じように室積MaxValueを10:00にスタートしました。今回は雲一つない快晴でした。風も強くなく暖かい日差しで、一年でもっとも快適なウォーキングをすることができました。先月の銭壺山史跡巡りウォーキングが大変だった分、今回はのんびりとした楽々ウォーキングでした。
秩父宮殿下御宿泊記念石碑が建つレンガ塀の家
スタートすると国道188号線を横切って松林に沿う旧道を歩きました。南に向かうと、3年前に室積海岸沿いの史跡巡りをしたコースです。今回は反対側(北側)の戸仲方面に向かうコースです。左手に松林を見ながら旧道をのんびり歩きました。
スタートしたMaxValue 最初に見たお地蔵様 新宮自治会館裏のお社
皆さんとのんびり春を楽しみながら歩いていると最初のお地蔵様がありました。残念ながら管理がされていないようでした。花が活けておらず寂しげでした。そのすぐ近くに新宮自治会館があり、その裏の海岸側にお社がありました。砂浜に建つお社、海か砂浜に関連があるお社ではないかと思いました。
墓地群に寄り添うようにお地蔵様 国道を横切り冠天満宮に向かう
お社を見終わると、歩いてすぐの所に墓地がありました。そして、墓地に寄り添うように屋根付きのお地蔵様がありました。木札を見ると字が消えそうでしたが、わずかに平和霊場・・・・と読めました。かつてはここを巡礼者が訪れていたのでしょう。その後、しばらく歩いていると国道側に冠天満宮の石階段が見えてきました。そのため、国道を跨いで冠天満宮に向かいました。
光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース
光市総合福祉センター「あいぱーく光」でトトロを見終わると。近くにある光井川を海に向かって歩きました。川を見下ろすと、干潮のためか川底の砂が見えました。その砂に不思議な小さな窪みがたくさんありました。何の窪みでしょうか?もしかしてカニなどが砂をさらった跡でしょうか?よく分かりません。
橋の袂に着くと、お地蔵様が並んでいました。この橋を通る道はかつては街道だったのでしょう。今は車が多く通る国道188号線がメイン道路になっていますが、かつてはこの橋をとおる街道がメイン道路だったのではないかと思います。
橋の袂に安置された屋根付きのお地蔵様
光井川を離れると光井団地内の道を海に向かいました。そして、スポーツ交流村に向かいました。スポーツ交流村にはたくさんの宿泊施設が並んでいました。スポーツをする方々が利用する施設なのでしょう。この施設は海に面しているためヨットハーバーを見たいと思いましたが、鍵がかかっていました。平日は入れないようです。
スポーツ交流村の堤防 防潮堤に登ってみる 戸仲漁港を散策
ヨットを見ることができませんので、海沿いに歩いてみました。すると、巨大な防潮堤がありました。その防潮堤に登ってみました。登ると高くて足がすくみそうでした。防潮堤の海側には無数のテトラポットが無造作に積み上げられていました。そして、海とは反対側を見下ろすと戸仲漁港がありました。
戸仲漁港の恵比寿神社 お地蔵様と新生仏教発祥の地碑
防潮堤を降りると、戸仲漁港に向かいました。漁港を回り込むように歩いていると石鳥居がありました。恵比寿社でした。恵比寿社は海に面する箇所に建てられていることが多いです。海難を防ぐ御神体なのでしょうか。
戸仲漁港を過ぎて光井団地内を歩きました。お地蔵様があったため近づくと、近くに新生仏教発祥の地碑がありました。どんな宗教なのでしょうか、あまり聞いたことがありません。新生仏教発祥の地碑を見終わると、ひたすら出発した室積MaxValueにもどりました。下見に参加された方々、お疲れ様でした。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート
冠梅園で昼食休憩が終わると、いったん冠天満宮に戻りました。手水舎を見ると、たくさんの花弁が浮いていました。神主さんのいきな計らいです。菊の花が一番多く浮いていました。しばしその花びらに見とれました。
次に、冠天満宮から裏道を通ってアルク方面に降りました。途中、岡庄自治会館がありました。その会館を過ぎてすぐの所に、立派なお地蔵様が数体安置されていました。
冠天満宮の手水舎に浮かぶたくさんの花弁
数体のお地蔵様で感心したことがあります。それは、それぞれのお地蔵様の名前や由来が記されていることです。よく道端でお地蔵様を見ることがありますが、ほとんどは名前も由来も分かりません。お年寄りの方が亡くなると、その名前も由来も永遠に分からなくなるのです。そんなお地蔵様やお堂が少なくありません。残念なことです。
冠天満宮下の岡庄自治会館 数体のお地蔵様 お地蔵様傍の祠
そのお地蔵様達の傍にひっそりと祠がありました。その祠を見終わると、アルクに立ち寄りました。トイレの確認です。せっかくなので、立ったまま休憩を取って、ついでに体を軽くしておきました。
トイレ休憩をしたアルク 光市総合福祉センターのトトロ
アルクを出ると、光市総合福祉センター「あいぱーく光」に行きました。お目当てはトトロと猫バスです。到着すると、なんと猫バスがありません。一昨年来た時にはあった猫バス、どこに行ったのでしょう?センター内を探してもありません。職員の方に聞くと、古くなって傷んだので処分したそうです。残念ですが仕方ありません。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート
秩父宮殿下宿泊の家を出ると、しばらく砂浜沿いにしばらく歩き続けました。すると、冠天満宮の石階段が見えました。そこで、国道188に出て横断歩道を回りました。そして、近くにあるお地蔵様を見てから冠天満宮を参拝するため石階段を登りました。その石階段を登っている途中で戸仲大師堂の建物が見えました。
冠天満宮を参拝した後、太鼓橋を渡って冠梅園に向かう
戸仲大師堂は移設されたにしては綺麗に管理されていました。傍に数体のお地蔵様が安置されていました。冠天満宮に移設された理由は、冠天満宮を参拝するついでに戸仲大師堂にお参りできるようにと願ったからかも知れません。
戸仲大師堂前のお地蔵様 戸仲大師堂の建物 冠天満宮の拝殿
戸仲大師堂を出ると、再び石階段を登って冠天満宮に向かいました。石階段を登りきると拝殿は目の前です。拝殿、銅の牛、銅の馬を見ながら立ったまま小休止しました。小休止が住むと、冠梅園に向かいました。冠天満宮からの太鼓橋を渡ると、そこが冠梅園です。
冠梅園のなだらかな頂上道 冠梅園から見下ろした戸仲周辺
冠梅園の梅はもう散り始めていました。今回の下見ウォーキングで散り始めていると言うことは、本番ウォーキングでは散った梅園を歩くようです。散り始めていたためか、平日だったためか梅園はすいていました。日差しが強いので、東屋で昼食休憩を取ることにしました。戸仲や海岸方面を眼下に見ながら休憩をとりました。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート