ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

目に見えないものこそが、大切な財産・・・

2011年09月16日 | Weblog

「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

短いがなんだか深い言葉に思えた次第。以前何かの本では、本当に大事なものは言葉に表せないというようなことを読んだことを思い出した。それともやや似ている。

とかく財産と言えば、目に見えるものと思いがちだ。たとえば、吉野氏は成功して、高級時計のロレックスやベンツにも乗り、数億円の一軒屋に住んでいる。すごいとも思えるが、それは財産とは考えていなかった。

すでに手に入れたものではなく、それらを持っていても恥ずかしくない生活レベルを自信を持って維持することに価値を置いていたのだ。意外だが、むしろ一番の財産は、大学受験をした時、四か月一生懸命勉強したことだという。

受験勉強では1.5だった視力が0.1にまで落ちてしまったそうだ。しかしそれと引き換えに大きな一生の財産を手にしたと感じていた。氏の現在の成功の基礎となったことこそ財産だったのだろう。

自分には、目には見えないが財産と思えるようなものをもっているだろうか、とふと振り返ってしまった。平安に暮らせている日々だろうか。今までの仕事を通じて多くの人と知り合いになれたことだろうか・・・

(蛇足)
昨日、都内某所のレストランで、この本の著者、吉野先生とお会いしました。とても腰の低い紳士でした。


これからの時代、すでにもう、砂漠から芽を出すような生き方が求められている時代・・・

2011年09月15日 | Weblog

「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

いきないりこの本のテーマのようなフレーズが気になった次第。この一冊の中には吉野氏の熱いメッセージがいくつもちりばめられている。本のサブタイトルは“どんな逆境でも絶対折れない自分をつくる50の言葉”ともあった。

筆者の仕事は予備校の古文講師だが、それはフリーターのようなものだとも語っていた。人気を含む実力こそが重要だった。組織からの保障もなかったからだ。プロ野球の世界と同様結果だけが問われる。

ある意味講師は砂漠に播かれた一粒の種のようなものだともいうが、それが実感なのだろう。土地だけは用意されるものの、水も肥料もない、しかも競争が激しい世界だ。結局自力がなければ芽を出すことができない。

吉野氏は私塾も経営しているが、完全自由業ですべて自分の責任でやらねばならないから、かなり過酷なようだ。そこではいかに生徒を引きつける授業ができるかが問われる。

毎日が勝負だと実感しているようだ。古文の勉強も毎日、半分は趣味とはいうが、受験生同様に地道に続けているという。それは常に人気を維持して、いい授業をするためなのだろう。

まあ会社も過去のいい時代のように、年功序列ではなく成果主義になっている。またいくら大企業でも数年後まで安心して勤務できる保障もない。会社員も砂漠から芽を出せるような心構えで実力をつけ、仕事にのぞむことが必要なのだろうな。


その評価はあくまで「会社の」評価でしかない・・・

2011年09月14日 | Weblog
「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

会社などの組織では、与えられ、決められた仕事をきっちりとしてそれなりの成果をあげられれば評価される。今の時代それさえも確実にクリアーすることは難しそうだが。

しかし、いくら決められたことを確実にやり遂げたからといって、それはあくまでその組織内での評価でしかない。それで満足感が得られるならいいが、私はそれだけでは面白くもないと思える。

本当のやりがいはそれにプラスアルファの部分にあるような気がしている。人とは違う何かがあるかにも関心がある。想像や創造性も大切にしたいとも思っている。吉野氏は、自分で課題を見つけていくことが大事だとも述べていた。

それは“自分力”とも表現している。要するに当たり前+アルファの部分にこそ、その人間的魅力があるとも考えているようだ。そんな人間にはオリジナリティを感じるものだな。心がけたい。


嘘を本当にできる勢いってクリエーターにとって大切なこと・・・

2011年09月13日 | Weblog

「芸術脳」茂木健一郎著より。

(前日のつづき)
松任谷由実さんとの対談を終わったあとで、茂木さんが感じたこと。というのも、歌に書かれた詞も実体験ではなく、シミュレーションして作っているからだった。

それが本当のことのようにも聞こえてくる。嘘からでた真というのがあるが、茂木さんはそれと同じだと感じていた。

そのためには、何よりも勢い、元気があることが大切なようだ。茂木さんが、実際に会ってみると、ユーミンには遊びや物事の計画にしても勢いを感じたという。

やはりパワーがなければ、質のいいパフォーマンスは無理に違いない。人を感動させるにはまず自分に勢いがあって、元気であることが基本なのだろうなぁ・・・



過去の自分を超えなきゃいけないって意識・・・

2011年09月12日 | Weblog

「芸術脳」茂木健一郎著より。

(前日のつづき)
これもまた、松任谷由実さんとの対談のなかで茂木さんが語っていたフレーズだった。

オリジナルなものを創作する喜びはかなり大きく、ユーミンは快楽とまで表現していた。しかし、常に自分が過去に作ってきたものとは別のものを作らねばならない。

つまり過去の自分の作品を超えなければという意識はかなり強いようだ。そこで、ユーミンは高橋尚子さんの言葉を引用していた。それは「思い出との戦いです!」だった。

そしてこの言葉の印象が強かったらしく、「Blue Planet」という曲のには「思い出との戦い続けるの」という詞をいれたくらいだと語っていた。

クリエーターは同じことの繰り返しは使えない。常に新しいことを発見していかねばならない。考えれば厳しい世界だとも思える。しかし本人はそれが快感だとも感じているのだから、さすがだ!



クリエーター本人と作品世界の間にギャップがあるほどいいクリエイテヴ・・・

2011年09月11日 | Weblog
「芸術脳」茂木健一郎著より。

これは松任谷由実さんとの対談のなかでのワンフレーズだった。茂木さんはユーミンの歌のファンでカラオケではよく歌うという。

さらに、彼女の作る歌に対して、失恋、嫉妬、心残りなどのような通常はネガティブな感情を甘美なものにしてしまう錬金術師だと感じていたのだ。

ネガティブな感情さえも聞いていると心地よいというのも面白い。ユーミンからすると、だからこそそのまま伝えたくないという気持ちがあるらしい。

そこで、茂木さんはギャップ理論というのを唱えているといって、上記のフレーズのように語っていた。そして、ユーミンの歌の世界には情念の世界とすごくモダンな洗練された世界が同居しているとも語っていた。

それに対して、ユーミン自身はその両方を持ってないと、いいものが作れない気がすると反応していた。つまり一人のなかにギャップや意外性があるとこともクリエーターとしては大切なことらしい。

「ステュディオスな状態」・・・

2011年09月10日 | Weblog
「芸術脳」茂木健一郎著より。

そもそもこの“ステュディオス”(studious)という言葉自体あまりなじみがなさそうだ。この語源を知っている人はほとんどいないだろうという。そこで、その説明がなされていた。

この言葉から派生したものにスタディ(study)があった。これなら誰でも知っている。しかし、勉強というと義務的な語感がある。本来のstudiousは夢中になってのめり込むような状態を指していた。

そこで、スタジオ(studio)は、皆が一緒になって何かを作る場所だということが想像できれば分かりやすい。自分の内側から湧きおこる、これが好きだ!これが楽しい!という充実した状態がステュディオスだった。

茂木さんは少年の頃、昆虫採集に夢中だったという。これもステュディオスな状態と言えた。またこの状態は人には言葉にして説明しにくいものでもあった。こんな状態の時は幸せを感じるのだろう。

「マザー・テレサが話すような英語」のような文章を書きたい・・・

2011年09月09日 | Weblog

「無趣味のすすめ」村上龍著より。

村上氏自身の言葉だったが、これはいったいどういう意味だろう。アルバニア人であるマザー・テレサの英語はたどたどしく現代的な言い回しも流行の常套句もなかった。しかし正確で英語圏の人々にも好感が持たれていたそうだ。

村上氏がかつて映画を撮った時、海外ロケだったので、日本の女優に全編英語で演技をさせたことがあった。その後FMラジオの番組に出た時、若い男のパーソナリティー、その英語が「子どもみたいな英語」でしたね、と評されたそうだ。

そして、ネイティブのを真似た発音で自慢そうに披露したようだ。しかし、村上氏はその発音は正確ではないとその若い男に言ったという。むしろ映画の撮影前に、女優とたどたどしいが正確な英語を話すようにしようと、相談して決めていたのだった。

つまり真似たりなぞったりすることは、情報を正確に伝える力にはなりようがないと考えていた。かっこよさよりも正確さがまず基本のだろう。村上氏はたどたどしくても、伝えたいことが正確に伝わる文章を目指しているそうだ。



失敗を糧として成功する人は本当にごくわずか・・・

2011年09月08日 | Weblog

「無趣味のすすめ」村上龍著より。

しばしば、失敗から学んだとか、失敗のなかに成功のヒントがある、という言葉を聞いたり目にしたりすることがある。それは、失敗というより単なる準備不足やミスともいえそうだ。

同じような失敗を何度も繰り返したりするのは、やはり性格的にも問題があるのかもしれない。そんな人はむしろだらしないといわれそうだ。また失敗が日常化してしまうのも恐ろしい。時にはダメ人間の烙印を押されてしまうだろう。

失敗しても成功したという人は、絶好調のときに失敗していたりするようだ、そうすればリカバリーできるからだった。実際はいつまでたっても成功できない人のほうが圧倒的なようだ。

失敗しても何かを得ることができるのは、挑戦する価値があることに全力で取り組んだが、知識、経験、情報が不足していたという場合だけだと村上氏は述べていた。むしろ普通は挑戦すべきものに出会わないことのほうが多いらしい。

そこで、前提となる条件は「飢え」だという。(挑戦することに価値がある何かと)出会うことに飢えていなければ、それにまったく気づかないままずれ違ってしまうだろうということだった。


アイデアは「組み合わせ」であって、発見などではない。

2011年09月07日 | Weblog

「無趣味のすすめ」村上龍著より。

これは、“企画の立て方”というタイトルの部分にあったフレーズだった。その企画の前提は「アイデア」でもあった。アイデアがなければ優れた企画などできない。

そのアイデアは発見というものではなく、「組み合わせ」によって出来上がるものだった。魅力的、新鮮味のある組み合わせをどれだけ思いつけるかが勝負のようだ。

それは今までどれだけ素材となるものを記憶しているか、また新たな資料を得られたかにも関係している。そう考えると単なる思いつきがアイデアだなどとは言えそうもない。

発想力も筋肉のように鍛え続けなければ、だめなのだろう。そのためには誰よりも長い時間集中して考え抜くことのようだ。しかし、考えている間にはアイデアは生まれない。むしろ、そこから離れた時にふと思い浮かぶことがある。

タイトルとはややずれてしまうが、たとえば、よく知っているはずの人の名前や地名などいくら思い出そうとしても、すぐには出てこないことがある。ところが翌日になるとすんなりと思いだせたりする。それとも似ていそうだ。


良きライバルは得ようと思って得られるものではない。

2011年09月06日 | Weblog
「無趣味のすすめ」村上龍著より。

ここでのタイトルは“ライバルという他者”となっていた。ライバルといって分かりやすいのはスポーツの世界かもしれない。五輪ではその種目の代表に選ばれるためには何人もの力が拮抗したライバルに勝たねば、その願いはかなわない。

またその国の代表に選ばれても、まだ世界には強敵と言われるライバルの存在がある。しかし、ライバルと言われるほどの相手は、当然ながらトップレベルにいるからこそ出会えるということにもなる。

米メジャーリーグで先発のローテーションの枠を競うとなれば、その投手たちは2A、3Aのレベルの選手からはかけ離れてトップにいることになる。もともと評価が低ければたんなるどんぐりの背比べに過ぎないのだろう。

いずれにしても、あいつにだけは負けたくないなどと、他人のことを気にするよりもむしろ、自分自身を充実させ、仕事をしっかりやることのほうが、はるかに重要だと村上氏は指摘していた。まさにその通りだろうなぁ・・・


自分がやりやすいように、ルールをカスタマイズしてしまう。

2011年09月05日 | Weblog

『なぜ、人は「体育会系」に弱いのか』内藤 誼人著より。

ビジネスでは、いくら頑張ったといっても、成績を残さなければダメを押されてしまう。つまりほとんどの仕事では結果のみが評価される。

もし、会社の規則やルールがあったとしても、自分にやりにくければ、時には無視をして結果を出すことも必要だという。確かにルールの範囲内だけで結果を出すのは難しいのいかもしれない。

もし、プロ野球なら打者がバットをどんなふうに構えようと、ヒットが打てれば文句はないのだ。同様に投球フォームも本人に合っていればそれでいいことになる。

かつて、近鉄、オリックスの監督として、野茂投手やイチローを育てた仰木彬さんは、選手のやりたいようにルールをカスタマイズするのが上手な監督だったのだ。

ビジネスは常に結果でしか評価されない。言われたままやったからと言って、うまくいく保証はない。ならば、できれば自分流で結果をだしたいもの。

むしろルールや規則は破られるためにある、と考えれば気が楽になりそうだ。まあそのためには、誰もが文句言えないだけの成果を上げられることが条件だろうが・・・

















ビジネスマンにとって、始終上機嫌でいるのは、最強の武器になる。

2011年09月04日 | Weblog
『なぜ、人は「体育会系」に弱いのか』内藤 誼人著より。

筆者は好かれるコツを3つ挙げろと言われたたら、第一に笑顔、第二に笑顔、第三もやはり笑顔と答えるという。確かに心からの笑顔の嫌いな人はいないだろう。

こちらが笑顔だと、相手からも笑顔をもらいやすいものだ。それが仕事では力を発揮するのだろう。誰も不機嫌そうな人には近づきにくい。

そこで上機嫌になる方法は、いつも上機嫌のふりをしていればいいということだった。これはアメリカの心理学者の言葉でもあった。

無理にでも笑っていると、ほんの少しの違いではあるが、次第に愉快な気持ちになっていくというデータもあった。

また笑っている人を見るとこちらも楽しい気分になれるものだ。笑顔は最強の武器だと念頭に置いておきたいものだな。

親切の大盤振る舞い・・・

2011年09月03日 | Weblog

『なぜ、人は「体育会系」に弱いのか』内藤 誼人著より。

人間関係をよく保つにはこれがいいらしい。普段あまり念頭に置いたことがなかったので新鮮に思えた次第。別のページには、人間関係で大切なのは、自分のほうが、ほんのちょっぴり損をすることだとあった。

つまり相手にトクをしたなと感じさせることが、人間関係を長続きさせるコツらしい。恩を売って、貸しを作ることはかなり有効なようだ。困っている人がいたら、どんどん手を貸すことがいいという。

それが習慣となってしまえば強いのだろう。自分ばかりが損をしていると思わないことだ。つまりそれが、親切の大盤振る舞いということだった。あまり損得ばかり先に考えるのもよくないようだ。

ここには、こんなことも書いてあった。「あなたが貯金した親切や愛情は、そのまま返ってくるのではなく、むしろ、“利息がついて返済される”」と。まあ人に親切にするのは自分だって気持ちがいいことだとも思える。


ある統計によると文系のと理系の平均生涯賃金の差が5千万円・・・

2011年09月02日 | Weblog

「不完全な時代」坂村健著より。

実に気になるワンフレーズだった。どんな統計かはここには書かれていないが、この後に続くのは「当然多いのは文系だ」となっていた。

逆に多いのは理系だとばかり思っていたので意外な気がした。坂村氏はこれほどまで差があると、「金がすべてではない」「好きな道だから頑張って」というのも虚しく感じられるという。

大学志望での理系離れはひどいらしい。工学部の志願者はピークから比べて6割減だという。就職には苦労しない筈の電子工学科は学科が維持できないほど学生が減っているという。

これは日本ばかりではなく、先進国といわれる国ではどこもそうらしい。その分野で生きていこうと思わせるものないのだろうか。知らなかったが、フレーズにもあげたように、生涯賃金の格差もその要因らしい。

組織内の評価は管理職にならなければ、給料はそれほど多くは望めない。そして理系の業務は管理職のキャリアに直結しない。今は能力給が当たり前になっている。もし、理系でも管理職になれば高賃金も可能なのだろう。

また理系の場合、技術者としての能力が発明などによって大化けすることもたまにはあるだろうが、それは例外と考えたほうがよさそうだ。だからと言って文系で高学歴、難関有資格者が有利とは一概にも言えないだろう。

司法試験に合格したからと言って、即収入につながるわけでもない。仕事が得られるかどうか、そこから先は、本人の努力、実力だけが問題になってくる。厳しいものだ。