ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

頭でわかることと腹でわかることを区別し、腹でわからなければ本物ではない。

2010年12月16日 | Weblog

『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

松下幸之助はよくこう言っていたそうだ。やはり裸一貫から世界的な企業をつくりあげた人の言葉は分かりやすい。また“本当の知恵はその汗の中から生まれてくるもの”ということも言っている。

どちらも似たようなことを意味しているのだろう。「頭でわかる」ということは、ものごとを知り理解して知識を得ることとも考えられ、「腹でわかる」とは考え、発想する知恵の部分ではないだろうか。

昔よく言われた言葉に「畳の上の水練」というがある。また水泳の達人の先生の講義をいくら受けても本当に泳げるようにはならない。運動も仕事も体で覚えるしかないのだろう。

まず体で覚えて、つまり汗を流して知恵はついてくるということを松下幸之助は自身の苦労の経験から伝えている。単に出来上がった数字データを見ただけでは、本当のところは見えてこないもの。やはり現場に出て体で実感し知恵を働かせよ、ということだろうな。


成功は人間を愛想よくする。

2010年12月15日 | Weblog

「チャップリン自伝」チャップリン著より。

チャップリンが苦労を重ねた十代を経て、ようやく二十代で成功するようになった時に感じたことだった。ここでの人間とは、自分自身でもあり周囲の人たちでもあったろう。

逆に考えれば、それ以前は愛想よくするほどの余裕はまったくなかったということだろう。日々の仕事に得て、生活してゆくだけで精いっぱいだったのだ。

成功してみると誰ともみんな親しくなれたという。みんなの「チャーリー」になったのだった。もともとチャップリンは社交好きではなかったが、周囲が親しく接してくれれば嬉しかったに違いない。

さらに自分のアイデアにも自信を持てるようになったという。もちろん成功は彼一人の努力だけで成し遂げられたのではなく、周囲の協力があったことも認めていた。

できるだけ愛想よく、気持ちよく、機嫌よく過ごせるために、少しでも余裕を持っていきたいものだな。この時代、余裕を持つのはなかなか難しいが、何か好きなことに没頭できればいいのかな。



顧客に対して自己を開示し、交流を図る。

2010年12月14日 | Weblog


『お客様の「特別」になる方法』小阪祐司著より。

お客さんに長く忘れられないようにしたいと思えば、わざわざ自己開示の必要はなかった。ところが、絆作りをしようと思うなら、自己開示も必要だった。

つまり、これは自分のことを語るということだった。一見仕事なのだから、自分のことなど話す必要はないと思う人もいるだろう。しかし、親しくなる場合はやはり個人的なことを話すことも有益に思える。

単に新製品や招待会のご案内だけでは味気ない。長年の取引があったとしても、逆に自らをまったく語らない人からは、どうしても警戒感が取れないのではないだろうか。

自己開示をすることで、情報の送り手に対して親近感がわいてくるものだ。「キャンプに行きました」「こんな映画を観ました」というような個人的な情報は誰にでもできそうだ。

やはりDMでもニューズレターでもそんなちょっとした一言があるかどうかで、親近感が異なるだろう。そこから絆が生まれるということだった。

顧客に対して自己を開示し、交流を図る。

2010年12月14日 | Weblog

『お客様の「特別」になる方法』小阪祐司著より。

お客さんに長く忘れられないようにしたいと思えば、わざわざ自己開示の必要はなかった。ところが、絆作りをしようと思うなら、自己開示も必要なようだ。

つまり、これは自分のことを語るということだった。一見仕事なのだから、自分のことなど話す必要はないと思う人もいるだろう。しかし、親しくなる場合はやはり個人的なことを話すことも有益に思える。

単に新製品や招待会のご案内だけでは味気ない。長年の取引があったとしても、逆に自らをまったく語らない人からは、どうしても警戒感が取れないのではないだろうか。

自己開示をすることで、情報の送り手に対して親近感がわいてくるものだ。「キャンプに行きました」「こんな映画を観ました」というような個人的な情報は誰にでもできそうだ。

やはりDMでもニューズレターでもそんなちょっとした一言があるかどうかで、親近感が異なってくるものだ。そこから絆が生まれるということだった。


満足は絆を生まない。

2010年12月12日 | Weblog
『お客様の「特別」になる方法』小阪祐司著より。

もしお客さんの「特別」になろうと思えば、すぐに思い浮かぶのは「顧客満足」という言葉のようだ。当然ながらそれは、営業を考えれば基本的なことに過ぎない。

長い営業を考えれば、単に商品やサービスが満足させるものであるだけでは不十分だった。そして、絆を築こうと思えばさらに突っ込んだ行動が必要になってくる。

ある意味それは仕掛けともいえそうだ。適正な価格で良い製品であることの上に、来店を楽しませる工夫があるかなどもそうだろう。そして、楽しいとか感動が繰り返されることが絆作りの要素にも思える。

ここでのポイントは情緒的な体験ができるかどうかということだった。そこへ行けば、ほかにはない価値のものが発見できるということもその一つだった。

「そうそう、こういうものが欲しかった」という気づきを与えてくれればうれしいもの。「いつも」とは違う情緒的な体験は、絆作りに役立つということのようだ。


140文字というのが、逆に絶妙で心地よかった。

2010年12月11日 | Weblog
「メトロポリターナ」2010.12月号より。

これは当然ながら今流行りのツイッターのことだった。この字数制限というのは実に不便に感じてしまう。しかし、これは“あえて”付け加えられているものだったのだ。

メールやホームページ、ブログならいくらでもだらだらと書ける。しかし、ツイッターの140文字の元ネタを探っていくと絵葉書だったらしい。ここにその理由として『Twitter社会論』の著者、津田大介さんの文が紹介されていた。

ドイツの研究者が絵葉書を集めて、何文字で必要最低限の情報を伝えられるかを研究したという。すると、ほとんどが150文字以下だったのだ。それがツイッターの文字制限の参考になったようだ。

伝達のための最新ツールが、まったくのアナログである絵葉書を参考にしたというのもちょっと面白い。でも、いつも140文字に制限されていると、満足なコミュニケーションができるかどうかなぁ・・・


家事をすることで、ムダを省いた効率的な時間の使い方を学べる・・・

2010年12月10日 | Weblog

「相鉄瓦版」2010.12月号より。

この号の特集は「主夫業」についてだった。あまりなじみがないが、ちょっと面白そうな記事だった。上記フレーズは「家庭と向き合うことで得たもの」と題して、作家の鈴木光司さんが書いていたことだった。

鈴木さんは人気小説家であると同時に、文壇最強子育てパパを自認しているらしい。結婚して氏が作家修業中の身の時に、長女を授かったという。奥さんは高校教師をしていたので必然的に家事や育児の大半を担うことになったのだ。

妻が出勤する7時半から5時半の間に家事、育児をこなさなければならなかったようだ。しかもその間にも作家としての活動もしていた。

そんな家事の経験を通して、効率的な時間の使い方を身につけることができたらしい。それがまた、仕事にも応用できたと語る。かなりの努力をしたのだろう。

まあ、一般の会社員ではそう上手くいくかどうか。在宅ということもポイントだろう。ある程度自分の都合に合わせて時間を使えればいいのだろうが。


「絆作りを行ってきて一番良かったのは、仕事が楽しくなったこと」

2010年12月09日 | Weblog

『お客さまの「特別」になる方法』小阪祐司著より。

筆者は“絆が生む恩恵(ベネフィット)”についていろいろと述べていたが、それを実践してきた多くの人が異口同音に発していたことが上記のフレーズだったのだ。

仕事が楽しいということは、当然ながらそれなりに成果が上がっているということを意味するのだろう。苦労ばかりで何の手ごたえもなければ、面白さを感じる余裕などない。

得意先、お客さん個人と良好な関係になれれば、絆が深まったともいえそうだ。すると、親しげに声をかけてくれたり、名前を覚えてもらえ、嬉しさにもつながる。

こんなやりとりが当たり前に行われるようになれば、仕事へのモチベーションは高まる要素でもあろう。何よりも仕事がスムーズに進むことはありがたいもの。


絆がある相手から薦められた商品やサービスは、断られにくくなる。

2010年12月08日 | Weblog

『お客さまの「特別」になる方法』小阪祐司著より。

ここでの大まかなタイトルは、“絆が生む恩恵(ベネフィット)”となっていた。もし、お客さんとの間に絆ができていれば、動機づけのアプローチを行ったときの反応率が格段に上昇するという。

逆のことを考えれば、それは容易に理屈では理解できる。まったく知らない、またはあまり親しくもない人から、これがいいと言われてもあまりその気にならないだろうからだ。

筆者はこの反応率がどれくらい上昇するかを、何度か実験したことがあった。その結果、十倍から、二十倍だったのだ。商品、サービスに同じ経費をかけ十倍売れるのはすごい。

DMの例があった。絆のある顧客千人に出した場合、過去五年間取引がなかった顧客からの反応率は1~3%だった。しかし、絆がある顧客の場合は15%の反応率とかなり高かったのだ。

もちろんまったく過去に実績のなかった、新規の顧客への反応はさらに低く、0.1%程度らしい。こんなことからも、絆は反応率や成約率に大きな違いを生むことが理解できる。


自分は「~を売る」のではなく、「顧客と生涯付き合う」ことが仕事・・・

2010年12月07日 | Weblog
『お客さまの「特別」になる方法』小阪祐司著より。

上記フレーズのカッコ内の「~」の部分には“車”が入っていた。つまりこれは、ある自動車メーカー・ディーラーのナンバーワン営業の人が語っていたことだった。

彼によれば、初めて車を買った人がその後、他社の車に乗り換えないとすれば、生涯消費はかなりの金額になるという。ところが、他社の車に変えられてしまうとその一台限りになってしまう。

だからこそ、顧客を徹底的にフォローすることが大事だと考えていたのだ。彼にとっては売るという意識よりも、長く付き合うという意識を持てるかどうかがポイントのようだ。商売の基本だとも思える。

メーカーの立場からも、顧客の流失が改善されれば、自社の利益も当然ながら上がる。それはかなりの金額になるだろう。そのフォローのし方は個人、個性で創意工夫するしかないのだろうが。それができるかどうかが能力の違いともいえそうだ。



得意なことを自分から進んで宣言すれば、そこにはプライドも責任感も生まれる。

2010年12月06日 | Weblog

『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

本田宗一郎は「能ある鷹は爪を隠すというのが大嫌いなんだ」と言ったそうだ。みんな自分の得意なことで働くべきなんだという。

そうすると人から見れば、苦労に見えることも、本人にとっては一番楽なことで人に認められるからだった。確かにそれは理想的なことでもあるが。

本田氏は自分の得意なところを徹底的に伸ばすほうが、苦手なところを直すより会社にとってはいいことだと考えていた。自分が得意なものを言わないで、会社に不平をいっても意味がないというわけだ。

まずは、自分が得意な分野のものを持つことが大事なのだろう。得意なことを宣言すれば、責任感も生まれてきて、その心の張りが力を伸ばすという理屈だった。

最近心の張りをもって仕事をしていることってあるだろうか、と振り返ってしまった。う~む、なかなか難しい。仕事のかなかで自分の得意を生かすことは必要だな。


一度自分の持っているものをすべてさらけ出し、人から見れば非常識と思われることにチャレンジし続ける。

2010年12月05日 | Weblog
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

(前日のつづき)
これも齋藤氏が、アントニオ猪木のことを述べたものだった。前日も触れたが、異種格闘技戦では、猪木側にとっては普通に使われていたプロレス技が使えないというがんじがらめのルールで行われていた。

しかし、猪木はその路線を続けるためにあえて、その厳しいルールに従って興行をやっていた。ある意味大きな(非常識と思える)チャレンジでもあったのだ。

現役をかなり前に引退した今でも、アントニオ猪木の存在感は大きい。それは明るく前向きに突き進むというスタイルがあるからだろう。たまにテレビで見る笑顔も豪快だ。

ちょっと変わったところでは、猪木にビンタをもらうという儀式も人気がある。彼でなければできない芸当だろう。それは言葉ではなく闘魂スタイルという説教のようだ。


ただ勝てばいいというものではない。それではアマチュアだ。

2010年12月04日 | Weblog

『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

アントニオ猪木の言葉だった。プロレスは理屈抜きに楽しめるところがよかった。最近はほとんどテレビ放映もされないが、かつてはよく観たものだった。また会場にも足を運んだことも何度かあった。

もし「ミスター」という言葉からすぐに長嶋茂雄を連想するなら、「闘魂」という言葉からは、アントニオ猪木を思い浮かべてしまうほどだ。彼の現役時代にはそれほどよく使われた言葉だった。

最近まで格闘技がよく流行っていたが、その走りは、もう30年以上前に行われた、アントニオ猪木対M.アリの異種格闘技戦ではなかったろうか。その後格闘技ブームが次第に起きてきたようだ。

やはり、プロレスでは、観客を喜ばせられなければ価値はないだろう。猪木は相手の得意技を受け止めて、相手の魅力を発揮させる。さらに自らも得意技で勝ちにいくというスタイルだった。

ただ勝ち負けだけではなく、お互いの魅力を引き出しあいながら、真剣に勝負していくのだった。もしこれが一般の仕事でも、どうせやるなら楽しく成果を上げたいと思うのともちょっと似ていそうな気もするが。

ただ単に結果的に営業成績があがったというだけよりも、顧客に対しても十分に満足してもらえたかまで考える余裕が欲しいものだ。さらに自分がどれだけやりがいを持てたかを実感出来れば最高だろうな。


忘れるコツは、別のことにエネルギーを注ぎ込むこと。

2010年12月03日 | Weblog
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

この一冊には多くの有名人が残した“はげまし言葉”が掲載されている。もともとは『週刊文春』に「説教名人」として連載されたものを一冊にまとめたものだった。

上記は作家の宇野千代さんのことについて触れている部分にあったものだ。宇野さんは98歳まで生きて、大変頑強なたちであったらしい。一度も頭痛や肩こり、腰の冷えなどを感じたことがなかったようだ。

宇野さんは、いつでも嫌なことは忘れることにして、自分にとってよい事だけを覚えていることにしていたという。実に都合がいい生き方だ。

そしてそれは習慣になっていたのだった。むしろ特技だともいっている。すごいことを特技としたものだ。こんなことは分かってはいるようだが、なかなか出来そうもない。

さらに強い言葉は、「死んだ後のことは、死んでから考えればよいと思っている」とも述べていたことだ。波乱の多かった人生も、そういう強い意志で乗り切ってきたのだろうな。見習いたい。


大学は教員の新陳代謝にもきちんと責任を持つべきだと思っている。

2010年12月02日 | Weblog

「朝日新聞」2010.11.27付けより。

(前日のつづき)
大学教員の資質について述べている、3人目は関西国際大学長の濱名篤さんだった。濱名さんは、上記フレーズのように述べていた。

また、大学の教員の資質や評価基準は一律には決められないという。それは同じ大学の中でさえ、教員の役割が違うからだった。資質は均一ではあり得ないと述べる。

立場から、教員には「研究より教育に比重を」と求めているようだ。教員には役割を分担しながら学生に学習の仕方を教え、卒業後の人生設計もさせるという。

これはかなり高いレベルの指導の仕方だとも思える。机の上の学問だけでは簡単に教えられそうもない。やはり経験を積んだ社会人教員の力は大きそうだ。

たとえば、犯罪科学を教えるのは、元警察署長や科学捜査研究所のOBだった。単なる書物からだけの知識を教えらるより、学生は興味深く学べそうだ。

そして、教員を採用するときには、最初の任期を3~4年として、この期間に実績を上げられなければ、契約更新とはならないようだ。これが、フレーズにあげたことだった。