チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

熊野古道を歩く・紀伊路編・河瀬橋徳本上人名号碑

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15    16;10   19.962歩  
今日のゴール地点です
河瀬橋の袂にある徳本上人名号碑です


この徳本上人名号碑は藤白坂にある碑です。字がはっきりしていますので参考に…

徳本上人について
1758年6月22日生~1818年没
当時としては長生きだったんですね
和歌山の日高久志村に生まれる
南無阿弥陀仏を唱える事で救われると全国行脚した事で彼方此方にこの徳本上人名号碑があり南無阿弥陀仏と刻まれた独特の文字に特徴があります


昔は井関の旅籠ここで泊まって早朝の旅立ちで難所の鹿ヶ瀬峠を越えたと云います
井関の旅籠跡が続く家並が切れてやっとゴールです



その井関の家並が切れた所に丹賀大権現社
があります。  
急な階段に沢山の赤い鳥居です



無事ゴール出来ました
湯浅の町の散策がゆっくりでしたのでゴール時間を心配しましたが予定時間でした。

聞きますと予定通りの時間にゴールする事も語り部さんに課せられた仕事だと云うことでした。
歩く距離は変える事は出来ませんから見学ヶ所や説明部分で調節されたのでしょう、きっと…

無事でなにより、次回この続きは難所の鹿ヶ瀬峠が待っています。
気合い入れて挑戦したいと思います



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熊野古道を歩く・紀伊路編・津兼王子

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15 15;45 18.000歩   津兼王子

語り部さんの話によれば元の王子跡とは相当距離が離れているようです。
今は阪和道の広川ICの中にあります
案内書があっても難しいような場所でした



みかん畑が疲れた体を癒してくれます


久米崎王子から津兼王子まで平坦な里道が続きます余りの日照りのきつさに帽子の下にタオルを入れて顔に陽陰をつくり歩きました

可なりの早さです、ペースが落ちません。大したものです。みなさん。

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熊野古道を歩く・紀伊路編・久米崎王子

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15       久米崎王子
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熊野古道を歩く・紀伊路編・紀文の碑

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15   15;00    13.647歩    紀文の碑

江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門の生誕地と云う事でナショナルの松下幸之助さんの寄付によって建てられています。
ナショナルでは無いですね、今はパナソニックと云うんですね、

勝楽寺の境内に建っています

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熊野古道を歩く・紀伊路編・JR湯浅駅

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15    14;30

さようなら 湯浅の町とお別れです
楽しい町です、ゆっくり時間をかけて散策したいものです
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熊野古道を歩く・紀伊路編・湯浅町あるき

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15   14;25   11.700歩  道町の道標

石柱の高さが2mを越える大きさで1838年に建てられています



深専寺(じんせんじ)
法皇たちの熊野詣の際は仮行在所にあてられていた寺です

1856年に起きた南海大地震の津波の心得の碑があります
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熊野古道を歩く・紀伊路編・湯浅町あるき

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15  湯浅の町並み  いい感じですね
 

各家が我が家のお宝や自慢物を格子に飾ります



この前の大宇陀・松山保全地区を思い出しました




秋祭りで各町内ごとに神輿がでます
浜町神輿の前を通り全員がお茶の接待を受けました
なんと冷たい冷たいお茶を頂き皆生き返りましたです
ありがとう、、
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熊野古道を歩く・紀伊路編・湯浅醤油角長

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15    13;20    10.558歩   大仙堀


山田川沿いに掘られ醤油の角長の裏で醤油船の荷出しや休息場所だったと云うことです。
只今引き潮で山田川は水位無し状態です



腰かけ岩から弘法井戸を見て方津峠へ、その方津峠は今、150m程の道が残っているだけですが当時を偲びながら歩きました。狭い道です

さあ~いよいよ湯浅です
照りがきつく、町に入って来ましたので何か余計に暑く感じます


本当の醤油で手造り醤油の角長(かどちょう)
特徴
原材料、醗酵方法や容器、火入れ殺菌方式等江戸時代から同じで完成迄の期間は1.3年かけているとの事です。量産量産、低価格の時代に凄いですね。

徳利のような醤油見た事あります、あります。




角長民具館で醤油の説明を受けて勉強しました

1300年頃に径山寺味噌から醤油からの発見で湯浅は醤油発祥の地
自家用だった醤油が商品となってここ湯浅から大阪へ、そして千葉県銚子や香川の小豆島等全国へ普及して行ったと云うことでした
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熊野古道を歩く・紀伊路編・腰かけ岩の跡

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15   後白河法皇が腰を掛けたと云われる石が有った所


今も石は有りますが誰が見ても昔からの石とは思えません。
語り部さんのおっしゃるには『この石は最近で誰かが置いたのでしょう』と

本来の伝説の岩は戦後、畑を開墾する時に邪魔だと砕いてしまったとか、、
伝説とは云え何だか惜しいように思いますが当時は食糧難で喰い生きるのが第一だったでしょうからね。


道六路
糸我から湯浅への熊野古道の左側に谷があります。
この谷には江戸時代の天保の大飢餓で里の人も食糧難で方津峠への坂で飢え死んだ人達を谷底へ葬られた悲惨な話も聞きました

今はその谷はみかん畑になっていてそんなに深くもありませんが、そんな過去を聞きますと自分の今に感謝せずにはおられません

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熊野古道を歩く・紀伊路編・逆川王子

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15   12;40   7.131歩   逆川王子



町の外れにある川の水の流れが海の方と逆に流れているところから逆川と云うらしいですよ

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熊野古道を歩く・紀伊路編・行者石

2008年10月17日 | 熊野古道を歩く
10/15   11;50    6.690歩  行者石

巡礼者達はこの石の上に立ち〈祓の井戸〉の水で心身を清め道中の安全と祈願成就を祈ったと云うことです。


頂上からの下り坂はかなり急でして膝と足指に気を使いました
出来るだけ杖に体重をのせるようにしました

去年の富士登山の下りの事もありますので………

ここは吉川憩いの家で中には入れませんが広場とトイレがあります。

やった~~ランチタイムで~す

白いライトバンがエンジンをかけたまま停まっていましたのでイヤやな~と思って居りましたが私達の弁当を持って来て呉れてました。嫌な気持ちは払拭してしまいました。勝手です、へへへ…

揚げたての天ぷら、温かいご飯、美味しいですね、おかずの量が多く冷たいビールか何かあれば最高のランチタイムなんですがね~

しかし実際はビール飲んでる時間なしでございます、休憩時間は30分ですから…


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