チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

朝日新聞記事に賛同・長野県庁お酌禁止令

2009年06月28日 | リンリン
                 山村暮らしの土手の花



《長野県庁お酌禁止令》の記事を読んで大いに賛成です。

広めましょう、
「そうやそうや」の皆さんの声が聞こえて来るようです。

宴会は手酌酒。
「気を使わなくてすむ」「自分のペースで飲める」
「飲み残しが減った」等々

宴会は交流の場で有り儀礼的にも挨拶や愛想も必要でしょう。


しかし折角の宴会は好きに自分のペースで飲めばいい、そう思いません?
独酌万万歳


酒の場は指しつ指されつ飲むのは此れは此で又いいものですがネ


昔から上役さんには「お流れ頂戴します」とか言って酌をして杯を交して近付いたものでしたが…。
今回は上役さんから酌不要独酌でいくと云われた訳で宴会にも行き安くなる事でしょう


何れにしましてもアルコールの量は控え目に…
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都祁温泉フィットネスバード

2009年06月26日 | リンリン
プールゾーンの屋外ワールプール


今日はたまたま26日で“風呂の日”とかで1400円が半額の700円です。ラッキー~~


15:30~18:30 3時間の長期滞在でした
毎日700円なら嬉しいのですが…無理でしょうか

スイミングプールは20mなのが残念です、普通は25mですよね。

しかし半額の日なのにガラガラ、何故?何故なの?でも有難とう!最高!借り切り独占で~す。


三階は無料の和室の休暇場所が有りますが早く帰って来ました、冷えたビールが待ってますから…
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貴重珍重ロケーション・かる鴨ファミリー

2009年06月24日 | 貴重珍重ロケーション
親鴨は関の上に居て待ってます、(写ってないのが残念で効果半減ですね)子鴨達は挑戦するのですが…


チャリンコで川辺を走ってた時の景色です。

親を追って行きたい気持ちは有るのですが要領も分からないのでしょう、きっと。
親は上で気にしながら唯待っています。

子鴨達の一匹が諦めUターンして川の中州へ、みんなも従います。少し休んだあと又関の方へ行きトライしようと試みますがやっぱりうろうろ…

観察しておりましたが待ち合わせの時間がせまり仕方なくこの場を後にしました、が結果はどうなったのでしょうか?気になります


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15日目、熊野古道を歩く大辺路編・見老津~田子の浦 ゴールそして大阪へ

2009年06月24日 | 熊野古道を歩く




6/18    14:55   25.964歩   田子の浦到着  ゴールイン


歩きました、越えました、14Km。昨日が12Km。合計26Km。
無事完歩いたしました。

今朝の見老津が08:45、里野が11:00、和深駅が13:00、ゴール田子の浦が14:55。ばんざいバンザイ

只今バスはカーテン引いて女子更衣室に早変わりです。
その間男性はお店でお買い物、エ~~ビール何本?するめにおかき、それから~~




15:25 バススタート発車オ~ライ~

大阪迄四時間程のドライブです。早いなぁ~高速道路のおかげです。ありがと~~
運転手さんよろしく~


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15日目、熊野古道を歩く大辺路編・見老津~田子の浦 その2

2009年06月24日 | 熊野古道を歩く
6/18    12:15  歓迎看板『ようこそ、串本町へ』  串本に入りました、ヤッホー




今日最後の岬越え





この地方独特の石垣、すばらしい石工技術




昔栄えた花栽培の沢山の花ハウスですが今は寂しい姿が続きます。
市場性や採算性もあるのでしょうが、人力と経費の問題、でも荒れたこうした景色が目立ちますと印象的に今ひとつ。
同じように閉ざされた家屋も沢山みかけました。結構な屋敷なのに空き家になりますと荒れ方も早く草ばかり目立つ様は哀れさが増します。
地域によってはかなりの数で空き家に挟まった家も複雑でありましょう。

先祖代々守って来た田畑でしょうが年寄りばかり残ってしまった今の農村の姿だと…。
伝統の文化も芸能も継続維持はむずかしい、一度町へ出た若者はなかなか戻って来てくれない、深刻な話をされてました。

今朝通って来た見老津小学校は全校生徒数16人だそうです。一学年2~3人と云う事でしょう、学校も町も大変でしょう、きっと。





6/18   12;25   14.700歩  木の本神社




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15日目、熊野古道を歩く大辺路編・見老津~田子の浦 その1

2009年06月23日 | 熊野古道を歩く



6/18   11;15   11.223歩    里野海岸

熊野古道の大辺路は町中、山越え、海辺道と何ともバラエティに富んでます

ここ里野海岸で昼食タイム30分程、海風を受けながら潮の香りもメニューに加え楽しい弁当です。
冷た~いビールあれば最高にいいんですが山越え歩きの途中では仕方なし、よく似た色のペット茶で辛抱です





ここ里野には‘はまゆう’の自生地があります、きれいでしょう





鉄骨で仕切ったような珍しい岩盤風景

地殻変動によって平面状態ですが地層ですと語り部さん。

層と層の間は強靭で永い間の荒波にも削られ無いと云う事でしょうか?


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日本童謡の園・紀州童謡広場

2009年06月23日 | 熊野古道を歩く
6/18   09;30    3000歩   先発1号車の旅友とのすれ違いです

ここ日本童謡の園は枯木灘に突き出た江須崎にあります。見学トイレ休憩を終えて帰る班とこれから行く班の手を振ってのすれ違いです。
お互い頑張ろうの意味も込められていたでしょう



‘まりと殿様’のブロンズ像と歌碑の前に立ちますとメロディーが流れます

昭和62年に出来たとガイドブックに書いていましたが、何故この地が童謡公園なのかは分かりません。
トイレ借りて云うのなんですが果たしてどれ程訪れる人がいるだろうかなぁと思いました。
沢山の捨て猫ばかりが目立ちその姿が余計寂しい雰囲気を感じましたが………



景色最高です、枯木灘一望で和歌山の朝日夕日100選に選ばれているらしいです
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15日目、熊野古道を歩く大辺路編・見老津駅スタート

2009年06月23日 | 熊野古道を歩く
6/18   08;45   見老津駅で準備体操のあと二日目のスタートです


08;00に串本ホテルをバスは出発、昨日来た道を40分程かけて戻ります

途中添乗員さんの案内がありました
『右手車窓、ここここ、ここのドライブインが今日のゴール地点です』

そこから20分程バスが走ったでしょうか…スタート地点に到着しました。
今日1日かけて進む距離です。






この辺りはこうしたお地蔵さんが沢山目に付くようになりました


山の神木を祀る






ねむの花です。きれいですね。人の通行関係なく見られても見られなくても、花は一生懸命咲いてます。


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串本大和ロイヤルホテル

2009年06月22日 | 熊野古道を歩く
ホテルの部屋窓からの眺めです、橋杭岩です素晴らしい景色、右手には大島

♪ここは~串本、向かいはお~お~しま、、、♪ 謡の世界です

温泉に浸かりクーラーの効いた部屋でこの景色です
後は7時からの夕食ビールで体内涼風ヒヤヒヤ~ヤッタ~




本日のメニューです、まぁ~まぁ~でしょうか~、、、そうしときましょう



はずかし~い、、会場一番のり、、
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14日目、熊野古道を歩く大辺路編・長井坂 その2

2009年06月22日 | 熊野古道を歩く
6/17    16:10    15.985歩    長井坂の頂上からの眺め、如何です


霞なければもっと素晴らしい、潮岬がはっきりと…とか

これから急坂を下りるから慎重にとの指示





6/17   16;50    19.046歩     長井坂東上り口到着 今日のゴール

日照りきつかったのですが山歩きだったので木陰に助けられました

自然に積もった腐葉土の道の感触や歩きにくくても永い年月の根上がり道を歩けた気持ち良さ来て良かったと思いました。ほんとうに…

語り部さん、添乗員さん、ありがとう~

ストレッチ済ませ少し先の無人駅志老津駅迄歩きます
そこにはクーラーの効いたバスが待ってくれてます、ホテル直行です

唯、近くには宿なくバスで40分程の串本まで走ります
と云う事は明日歩く方向であり戻って来てのスタートである訳ですが、ルートでなく地点だけをいいますとバスの40分は歩きの1日分とは???
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14日目、熊野古道を歩く大辺路編・長井坂 その1

2009年06月21日 | 熊野古道を歩く
世界遺産熊野古道、長井坂を登ります。何か神聖な空気を感じます




当時のままの石畳です。いっぽ一歩。凄い体験です。まさしく古道をゆきます







中辺路などには無い風景らしいです。
植林もなくそのままのまんまの景色、きれいな風景です






6/17   15:30    13.829歩    段築


土を盛られて造られた道は全長54m、幅は120cm、独特な構造で造られていて管理が大変とか…。

語り部さんからこの部分でのステッキ使用はやめて頂きたいとの案内がありました

世界遺産になって注目されるのはいいですが環境破壊も進むわけでなかなか難しい場面ですね。
できるだけ荒さないよう気をつけて気を付けて……

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14日目、熊野古道を歩く大辺路編・長井坂へ

2009年06月21日 | 熊野古道を歩く
6/17    13:20    6.107歩    長井坂説明板  





     14:25     10.126歩   和深川王子神社

語り部さんの集落にあります王子神社です
寛永2年(1625年)頃の創建とか、26軒程の集落でこの神社とお寺を維持管理して行くのが財政的に大変だと嘆いておられました
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14日目、熊野古道を歩く大辺路編・周参見~見老津

2009年06月20日 | 熊野古道を歩く
6/17    馬転坂(うまころびざか)への入口


馬も転ぶ程の険しい道と云う所からの命名とか…、語り部さんの話によりますと最近発見された道でこの登り口あたりは当時のままの部分も有ると云うことでした



     
         串の戸石碑群

周参見駅をスタートして町中を抜けて国道42号線に合流して間もなくの所に9基の石碑があります。串とはこの辺りの地名だそうです。
周参見周辺の海岸に堤防を築いた人たちの墓碑を一か所に集められた所


       枯れ木灘のすばらしい眺めです

馬転坂の頂上からの絶景です、吹き出した汗はこの景色とこの眺望で何処かへ飛んでいってしまいます








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13回・熊野古道を歩く大辺路編・周参見~見老津~田子の浦

2009年06月19日 | 熊野古道を歩く
2009.06.17.  周参見の町を歩き出して初めて出会ったきれいな花、ブーゲンビリアです



今回から1泊2日の旅です
乗降場所は西梅田、淀屋橋、ナンバ、天王寺に限られます
京阪沿線ですから淀屋橋を指定して待ちました。未だ8時前と云うのに勤めに行く人の流れが続きます。ご苦労様です。リュック姿がなんだか申し訳なくて……

今回の参加者数は何と51人と凄い参加者、中型バス2台でのスタートでした

ここのバスの座席間隔が広くゆったり、これが最高に有難いことです。

天気はOKバッチリのようです。先週の水曜は豪雨だったと参加者からのメールがありました。
ラッキー~

高速道路のおかげです、3時間程で志原海岸到着後、きれいな海を見ながら早めの昼食です、ホントいい~天気です

今回のコース
1日目  須三見駅~馬転坂~長井坂~見老津駅   世界遺産の長井坂を歩く12km
2日目  見老津駅~江住駅~里野海岸~田子の浦  猪や鹿の足跡を見ながらの14kmです


世界遺産登録の道を歩きます楽しみです



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我あしあとの日記帳との別れ

2009年06月12日 | 山村暮らし
日記焼却作業最後の一冊となった昭和31年の日記帳の炎です


何回かに分けて焼却してきましたが最後です

最初は机上で読み返し終わった年の分を焼却してきました。

笑える事泣ける事、当然いろいろな日がありなかなか焼却を思い切れませんでした。


最初年表形式に出来事を書き出しもしました。
忘れてしまっている事、まだ最近の事と思っていたのに何年も経っている事など、思い出しながら読んでいるとなかなか前へ進まず結局読み返しも書き出しも何もせずに焼却する事にしました。


写真ブックと日記帳の処理は自己整理必須だと教えられ、『それもそう』だと思いました。


そう云えば親類で残った者が難儀したのを思い出しました。


最近知り合いのお人も子供に云われ沢山の写真ブックを処分したとも聞きました。

私も七十路近付きての身辺整理のひとつと云う事ですわ
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