1828年(文政11年)建立
札場の辻は石割峠越えの伊勢本街道と名張~あを越えする初瀬街道との分かれ辻。
其処には国学者の本居宣長が明治9年に吉野旅行の際に泊まった云われる‘あぶらや’が有り
幕末には他に‘河口屋’‘大坂屋’‘阿波屋’等沢山の宿屋が並んでいたそうな…
江戸時代には伊勢詣で、初瀬詣での宿場町として萩原宿(榛原)は大和と伊勢を結ぶ交通の中心地として栄えた。
とあります。
何時も榛原の町は何かにつけて良く行き走りますが車で国道ばかり…
暑い日の今日、初瀬街道の萩原宿を少し歩いて榛原の町を見直しました。
萩原宿、何かいいですね~、風情ありますね~
当時の行き交う人々の姿が浮かんで来ました。
奥田家、明治の初めに建てられたと云うこの家は登録古民家だとか…
この初瀬街道沿いに有る立派なお寺は融通念仏宗の宗祐寺
融通念仏宗と言えば大阪平野に本山があり本堂の木造建築は大阪府一番であります。
何よりも我が宗派でありましてお参りしましたがこの宗祐寺の本堂の天井絵が凄い、中には入れず建具ガラス越しに見てましたが…
立派な境内で榛原本山とありました。
説明では、創建は敏達天皇10年、後に織田信長の家臣の服部宗裕によって再興されたと。
2
一方、伊勢街道の方に行けば宇陀市民病院と宇陀川を挟んで墨坂神社です
崇神天皇9年春3月、天皇の夢枕に神人が現れて「墨坂の神と逢坂の神を祭りたまえ」との伝言があり、そのようにしたところ悪疫は平癒して人民は悦んだと日本書紀に記されている。
元は上萩原天の 森に鎮座していたのを推古天皇15年2月に現在地に移された。
秋の例祭には元の社地から現在の社地へ渡御行列が行われる。
(榛原地図より)
札場の辻は石割峠越えの伊勢本街道と名張~あを越えする初瀬街道との分かれ辻。
其処には国学者の本居宣長が明治9年に吉野旅行の際に泊まった云われる‘あぶらや’が有り
幕末には他に‘河口屋’‘大坂屋’‘阿波屋’等沢山の宿屋が並んでいたそうな…
江戸時代には伊勢詣で、初瀬詣での宿場町として萩原宿(榛原)は大和と伊勢を結ぶ交通の中心地として栄えた。
とあります。
何時も榛原の町は何かにつけて良く行き走りますが車で国道ばかり…
暑い日の今日、初瀬街道の萩原宿を少し歩いて榛原の町を見直しました。
萩原宿、何かいいですね~、風情ありますね~
当時の行き交う人々の姿が浮かんで来ました。
奥田家、明治の初めに建てられたと云うこの家は登録古民家だとか…
この初瀬街道沿いに有る立派なお寺は融通念仏宗の宗祐寺
融通念仏宗と言えば大阪平野に本山があり本堂の木造建築は大阪府一番であります。
何よりも我が宗派でありましてお参りしましたがこの宗祐寺の本堂の天井絵が凄い、中には入れず建具ガラス越しに見てましたが…
立派な境内で榛原本山とありました。
説明では、創建は敏達天皇10年、後に織田信長の家臣の服部宗裕によって再興されたと。
2
一方、伊勢街道の方に行けば宇陀市民病院と宇陀川を挟んで墨坂神社です
崇神天皇9年春3月、天皇の夢枕に神人が現れて「墨坂の神と逢坂の神を祭りたまえ」との伝言があり、そのようにしたところ悪疫は平癒して人民は悦んだと日本書紀に記されている。
元は上萩原天の 森に鎮座していたのを推古天皇15年2月に現在地に移された。
秋の例祭には元の社地から現在の社地へ渡御行列が行われる。
(榛原地図より)