チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

アンナプルナトレッキング(ネパール)2007

2007年12月19日 | 外旅の思い出
朝日のアンナプルナ南とマチャプチャレ  手前が昨夜のテント


初日チャンドコットでのテントキャンプ

夕べは満天の星空
空にはこれ程のお星さんが有ったのですか……
寒さもあったのでしょう夜中二度トイレに起きましたが寒さ忘れて空に見入ってしまっておりました。凄い星空でした。

徐々に明けてゆくヒマラヤの朝
朝日を受けたヒマラヤはすばらしい、、感動

良い天気に恵まれたものです、有難い事です、最高です

3日間の短いトレッキングではありましたが
ネパール山岳地方の村落を歩き人と会い、そして触れ、
生活の一部分を垣間見て、歩きながら自分の日常に
モッタイナイ気持ちになり感謝せずにはおれませんでした




ポカラから車で1.5時間程の山奥ルムレが今回のトレッキング出発地点、
これから終点迄は車道とはお別れ、村への道へ入っていきます。
さあ~トレッキングのはじまりです




こうした店もありこの辺りの中心でありましょう
お店のトイレを借りました。
囲ってあって男女共通便器が一つと水バケツと杓子がありネパールの平均的トイレ




二晩目オーストリアンキャンプ、食事終ってキャンプファイヤーを囲んでスタッフ達とのネパールと日本の踊り合戦ソレソ~レソレソレと賑やかな一時でした

この夜は曇りお星さんは何処へ、、
きっとキャンプファイヤーの灯りに遠慮してくれたのでしょうか……





三日間のトレッキングの終わり終着点フェディです。
ここでお世話になったシェルパさん達とお別れです
ホント沢山の思い出と体験が出来ました
ありがとう
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水郷ソチミルコ(メキシコ)

2007年12月19日 | 外旅の思い出
メキシコシティーの北にある花の水郷ソチミルコの舟遊び、沢山のドハデ?な舟が行き交い、みやげもの屋さんの攻撃に合いました、旅行中である事を忘れ荷物になるのに敷物を数枚買ってしまった想い出。
あちらこちらへの長いバス旅でしたが関東から参加の男性二人ずれの旅友が愉快で場を盛り上げて頂いてホント楽しい旅でした。
それと出発から関空到着まで、ず~っといっしょだった女性ひとり参加の平川さんを思い出しました、今どうしておられるか?あの頃でも高齢のようにお見受けしましたが………
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メキシコ料理レストランでの歓迎風景

2007年12月19日 | 外旅の思い出
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ハシリカ・デ・グアダルーペ寺院(メキシコ)

2007年12月19日 | 外旅の思い出
ハシリカ・デ・グアダルーペ寺院



メキシコ人の信仰のメッカで12月12日の祭りには国中から巡礼者が集まる。

グアダルーペ寺院には黒い髪と褐色の肌をもつ聖母が祭られています。
1531年、先住民のディエゴの前に聖母が現れ、この地に教会を建てるように告げる。
ディエゴは司祭に話すが取りあってもらえない、困っている所へ再び聖母が現れ証拠の品として、その季節には咲いていないバラを与えた。
ディエゴはバラをマントにくるみ、司祭にマントを広げると褐色の聖母の絵が現れた。
司祭は聖母が現れたことを喜び、グアダルーペ寺院を建てた。
この奇跡はバチカンによって公認されております。
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テカボ湖・ミルフォサウンド(NZ) 2005

2007年12月18日 | 外旅の思い出
きれいな国のきれいな湖、、テカポ湖の思い出します


走っても走っても牧草地帯です。
浜名湖程の大きさのテカポ湖のあるテカポ村は300人程の小さい村ですが湖の周辺は別荘地であったり観光客が多く賑わっているとのお話でした。

私達はサザンアルプスのマウントクック(3754m)への途中で昼食と散策でした。
『善き羊飼いの教会』等の見学でしたが、とにかく奇麗な景色、奇麗な湖でした。








ミルフォードサウンドの遊覧船


ホテルの有るクイーンズタウンからミルフォードサウンド迄300Kmとか…
往復600Kmを一日のバス旅です、日本では考えられませんね、一般道ですからね。
まぁ~高速並みの速さでしたが信号なし、渋滞なしですから…

バスの中で聞いたニュージーランドの交通事情
★橋は一車線の交互通行で信号無し
★観光バスは踏切一旦停止するが他の車はしない
★車内は飲食禁止で無灯火
★殆どの道路は一車線対向道路


南緯45度線を行ったり戻ったりしてミルフォードサウンドヘ

10mで1m下がる急勾配のホーマートンネルを抜けると景色が一変、急な岩盤あらわな山々でトンネル工事は大変な難工事であったと云うのはうなずけます。



フィヨルドランドについて
200万年程前の氷河期にはフィヨルドランド一帯に積もった雪が氷になり又解けるの繰り返しの度に土を削り取って又凍る、次第に氷河は深く大きく地形を変えて行く。
そうして出来たこのミルフォードサウンド


ミルフォードサウンドクルーズは2時間程の遊覧です

日本人用の昼食(幕の内弁当)を食べながら……
コーヒー紅茶は自由に飲み放題、しながら………
左右の断崖絶壁、流れ落ちる滝を見ながら………










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西安・中国(1996)

2007年12月18日 | 外旅の思い出
★兵馬俑は始皇帝陵の1.5キロ東にある。
秦の始皇帝の力を感じずにはおれない、凄い。
2000年もの間地中に埋もれていたものが、
目の当たりにして身震いがした。
西安の中心部は城壁に囲まれて解放路、
蓬湖路、等碁盤の目のように道路が走っている。
西安の街ではお決まりのコースなのだろう
レストランシアターなる唐楽宮での夕食。
★陜西省博物館(碑林)では漢、随、唐、宋代に至る
歴代の名筆を刻んだ1905基の石碑が林立している。
お気に入りの拓本二点額と軸を買う。
三蔵法師がインド各地を16年間廻り645年帰国、
持ち帰った経典657部を彼自身が翻訳し
その作業の為に建てた寺慈恩寺つまり
★大雁塔の最上階まで上ったが残念ながら
西安の街は霧で見渡せずだった。
★華清池は周代からの温泉地で楊貴妃が使った風呂あと
蒋介石が捕らえられた捕蒋亭などがあり見学。
楊貴妃(唐代の玄宗皇帝の息子の嫁で唐の没落中
玄宗の指示で美女楊貴妃は自害する)
上海への飛行機が霧の為飛べず空港で2時間待ち。
その間迷惑をかけてと飲み物や弁当が出る、
搭乗すれば機内食、
上海に着けば予定に入っているとレストランへ、
もったいないが殆ど手つかず(一番のご馳走)
だった事等も今となれば旅の思い出の一つ。
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ガンジス河(インド)

2007年12月18日 | 外旅の思い出
   ガンガーの日の出


早朝のベナレスの町、バスを降りて河に向って歩いている時のガイドさんは今日の日の出は無理残念と云われ諦めておりましたが舟に乗りしばらくしますとこの通りすばらしい日の出を迎える事ができました、感動でした。



ヒマラヤの山間部ガンゴトリー氷河が源でヒンドゥスターン平原からベンガル湾まで流れる2500Kmの河

神話によれば
バギーラタと云う王様が先祖の犯した罪を浄める為神々に悲願し苦行を重ねた結果罪を洗い浄める力を持ったガンガー女神が天界から地上に流れ下ったのだとされる。
以来ガンガーはあらゆる人々の罪を浄め、よりよい再生を叶えてくれる聖なる河として崇拝するようになった。
ヒンドゥー教徒はこの河で沐浴する時には母なるガンガーに身をゆだねる安堵感に浸り又死んだ時には母に抱かれてヒマラヤに帰って行く事を願ってガンガー女神に篤い信仰を捧げると云う

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ガンジス河 2(インド)

2007年12月18日 | 外旅の思い出
ガンガーの沐浴風景


ガンジス河の西岸には60ものガートがあるそうです
ガートとは岸辺から階段になって河水に没している堤の事
巡礼者にとっての聖地になっているのは
ワルナーサンガム、パンチガンガー、マルカニカー、ダシュワメード、アッスイー、の5ヶ所
ガイドさんの説明によりますと日の出の太陽に手を合わせて水に浸かり祈る行為を7回繰り返す事が沐浴と云いそれ以外は単なる水遊びだとの事でした

ガートでは火葬中の煙がたっています。写真は禁止です。
周囲には沢山の薪が積まれておりましたし石段には次の順番を待つ色布に包まれた死人が横たわっておりました、女の人らしい。女性は色のついた布で男は白布で包むと決まっているようです。
火葬場は50番のマニカルニカーガートと22番のハリシュチャンドラガートの2ヶ所です。
赤児なんかは焼かずに川の真ん中あたりに重しを付けて沈めると云うことでした、水深20~30mもあるらしいです。
インドの平均寿命は65才とか死が近づいたら身辺整理をしてここでその時を待つと云う、しかしこれを出来るのもお金のある人だと云う。
この辺は少し調べてみたいなと思います
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インド寝台列車の旅

2007年12月17日 | 外旅の思い出
インド国の長距離夜行列車、30分遅れの発車


関西~関東や九州への寝台特急が消えると云う
『銀河』『あかつき』親しまれた愛称が消える。
時が、時代が過ぎる移り変わる…、

インド列車旅を思い出す
ベナレスへの移動に寝台列車に乗った
定刻より30分遅れ、ホームで待つが通過列車も無し、
移動売店で箱の絵を見て買物、めちゃ安、砂糖菓子みたい。
沢山の乗客はみなおとなしく待っている。説明も案内もアナウスされないまま…
やっとの列車に乗り込む。

左側は窓に直角に2段向い合わせに4人ベッド
通路挟んで窓に平行に2段ベッド2人

ホットし荷物の整理をし、疲れた体をベッドに横たえる。
列車の振動が背中に伝わり気持ちがいい

トイレはタンク無しの垂れ流し、線路が見える、昔の日本の列車と同じだと思い出す。
風が吹き上げる感じをして変な感じを体験
停車中は当然使用禁止だ

インドの列車は深夜なのに汽笛鳴らしっ放しだ
線路沿線の家は寝れなく大変だろうと心配したものだが…

ある大きな駅に停車。ホームには大木が何本かあり、出入り自由のよう、
暗い照明、ホームのその木の下は裸で敷物も敷かずの沢山の人が寝ている
何か異様な感じをもつ、

この列車は2時間遅れとか??
朝5時停車駅で真っ赤な太陽の日の出、思わず手をおわす、
旅が無事でありますように……素晴らしい朝日だ。

途中停車駅で脚腰伸ばしにホームに降りる。
少しの時間とは云え売店見たり、いろんな人達の様子を見たのは得した感じ、

列車は町を過ぎ村を走り抜ける、相変わらず汽笛は鳴り続け、朝の景色を呆然とみていると
三三五五壷を持ってあぜ道にしゃがみ込む姿、何だと思います、、トイレらしいです。
紙は使わず壷の水で対応とか。しかし皆んなが毎日でしょう。後処理は??
公園等の始末してない犬の糞でも難儀なのにどう対応しているのかな~~

やがて終着駅、結果的には13時間程の乗車時間、昼前ベナレス駅に降りる。
ホームでは大変なハエの数の歓迎と大変な臭いにそして慣れた筈のインドの景色?なのに理解出来ない景色が目に飛び込んで来る。
これがインド、インドなんだと自分に言い聞かす
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イスタンブール(トルコ)1999

2007年12月17日 | 外旅の思い出
関空~トルコは13時間、
東西文明の十字路と云われるイスタンブール。
1453年トルコ軍は東ローマ帝国を陥落させ
首都コンスタンティノーブルをイスタンブール
と名ずけたらしい。
17世紀オスマントルコが築いた★ブルーモスク
神の知恵の意味する★アヤソフィアモスクは
元はキリスト教会をモザイクやフレスコ画を
漆喰で塗り固めて偶像崇拝を禁じたイスラム
教徒が使う。
6世紀ユスティニアヌス帝時代に築かれた
★地下宮殿。オスマン帝国の力を象徴する
豪華絢爛な装飾調度品、43のホールと285の
部屋、そのインテリアには14tの黄金と40tの
銀が使われていると云う★ドルマバフチェ宮殿。
世界中から贈られた財宝、明治天皇からの
プレゼントもあった★トプカブ宮殿。
5000店が入っていると云われる★グランドバザール、
では同じ様な通りばかりで迷子になってしまった。
それにボスボラス海峡のクルージングや
軍楽隊メフテルの見学。
自由時間に町へ出る、道を渡るのが大変。
それとトルコの車は洗車しないのかドロドロのまま。
言葉は出来ないがスーパーへ買物に入ったのだが
お金の勘定が大変、レジでの支払いが209万リラ
円に換算するには0を3ヶ取って0.4を掛ける
(1999年)面白い体験をして迷いに迷って
ホテルにたどり着いた楽しかった思い出。







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ソロ・プランパナン遺跡・(インドネシア)

2007年12月17日 | 外旅の思い出
プランパナン遺跡



関空から5時間、インドネシア首都ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港着。
東京と大阪の便に限って機内で入国審査が受けられると
云うのは時間の有効利用からも有難い。
ジャカルタからジョグジャカルタ迄は
1時間のフライトである。
ヒンズー遺跡のプランパナン。
シバ神をまつるひンズー教僧の村プランパナンで
修復は50年程かかるとか。
それにしても凄い遺跡である。
ソロと云えば‘ブンガワンソロ’の歌を思い出す、
はっきりと歌詞は知らないがメロディーは覚えている、
調べてみた
ブンガワンソロ涯しなく 清き夢のせ流れゆく
父母も若き日頃 共に聞きし愛の調べ 星は移りゆき
世の人変われど愛はとこしえに ただ一筋
ブンガワンソロ涯しなく 清く夢のせ流れゆく


訳詞 緒園涼子
作曲 グサン・マルトハルト

日本の歌と思っていたがインドネシアの民謡とか
そのソロ川に行く、大河のイメージがあったから
落胆。ソロの町では王様が経営するホテルに宿泊
ガムランでのお出迎えを受ける。
制服は男女とも王室風
ラジャブスタカ博物館やマクネガラン王宮
そして果物市場を見学、種類も豊富
マンゴ、ランブータン、サラー、マンゴスティン、
モンキーバナナ等しかし市場歩きは
面白かったしソロの昼食が美味しかった

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ローテンブルグ(ドイツ)1989

2007年12月17日 | 外旅の思い出
思い出の町ローテンブルクへのバスの車窓、
山は無い見渡すかぎり畑がつづく、縦横にハイウェイ、
何所迄も続くアウトバーンを走っていると
やっぱり広い国だな~アと感じる。
そんな景色に突如として飛び込んで来た町
それがローテンブルク。
日本のように徐々に集落に入って行くのではない。
ここローテンブルクは城壁に囲まれた中世の町、
石畳とレンガの独特の町である。
マルクト広場に面した市議会員宴会堂は‘仕掛け時計’で有名だ。
観光案内によると30年戦争と云う宗教戦争で
1631年プロテスタント側にあったローテンブルクは
ティリー将軍率いるカトリック側スウェーデン軍に占領され
焼き払われる運命にあった町を救う為将軍の申し出を
請けて立ち4リッターのワインを一気に飲み干した
ヌッシュ市長の模様を仕掛け時計にして
毎日11時12時13時14時15時に見られる、
と云う事で14時の時報を待った。感激だ。
辺りにはクリスマス関係の装飾品の店が沢山あり
年中やっているそうな。
言葉は出来ないが町のパン屋さんに入り食べたのだが
何ともそれはそれは美味しくて、
味が変わるのを承知で土産に買って帰ったが、
数日後になり食したがその時の味は無かったものの、
それでも日本にはない美味しいパンで、
今ももう一度あの店に行きたいと思っている。
そうそうそれと普通の町のレストランでの食事の時に出た
飲み物で、水もジュースもビールも皆同じ値段で頼んだ
グラスワインの白が何とも美味しくて、
忘れられないもう一つの味の思い出。
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サンフランシスコ(アメリカ)

2007年12月16日 | 外旅の思い出
       ゴールデン・ゲートブリッジは全長2.780m、高さ66m、支柱間の長さ1.280m


東にシスコ湾、西に太平洋、北は金門海峡と三方を海に囲まれた半島の先にある島へゴールデンゲートブリッジを渡りました。

何度か外旅をしていますが、『アメリカへ来た』と思いましたね。
坂あり山あり、ロスアンゼルス等とは又違いますものね。

空港に着いて先ず思った事は…(涙)(笑)
男性トイレの便器の高さ、、空港特に高かったのでしょうか?

だってやっとこさクリアーですから……
時々つま先立ち、、当然不安定、、

当方165cm、少々短足タイプ、、
子供のオシッコの様子を自分に当てはめて(涙)

みなさん経験ございません???




歩いて彼方此方寄りながら成田不動尊境内に着きました。
何故だか分かりません、成田不動境内から西方の大阪方面を眺めながら足の休憩タイムとしていました時、ツインピークスからサンフランシスコの町を眺めた時のある事を思い出しました。

眺めた景色が似てるようにも思えませんが……



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チェンマイ(タイランド)の想い出

2007年12月15日 | 外旅の思い出
            チェンマイ国際空港



チェンマイ・プラザホテル918号室がチェンマイ観光の拠点でした。


チェンマイ
1296年 ライナータイ国建設
1556年 ビルマ軍の浸入で滅亡


タイランドで一番落着ける、馴染める町と思いました。
全てを知らず云うのはなんですが綺麗で温かさの伝わってくる町の思い出があります。
アユタヤ、スコータイ、ピサヌローク、等々に比べて……


カントークディナーショウで少し飲み過ぎの感ありでしたが、その後のナイトバザールでの行動が酒の勢いが作ってしまいました。

いいんですがハイ、、、

ま~~楽しかったでした、、、


夕べのアルコールが未だお残り状態なのに、翌日はケシや大麻栽培の北部山岳民族村を見学したのです。

が此処への交通便が小型トラックの改造バスの上に凄いグネグネ悪路道。
しっかりバーに掴まりますもお尻痛、その上、夕べの残り物あり。クタクタだった思い出。


でもチェンマイのドイステーブ寺院は凄い立派な寺でした

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アレキサンドリア・カイロ(エジプト)1999

2007年12月13日 | 外旅の思い出
  ピラミッドを背にサハラ砂漠をラクダ漫歩中の思い出です



世界各地で地震等の自然災害が起きています、車が流され高速道路が倒れ、大きなビルや家屋の倒壊等考えられない破壊力、ふと思い出した事、それはあのピラミッド。
150m以上の高さで200m余りの長さのピラミッド、300万個の石を使っていると云うピラミッドです。

機械も車も無い時に、どこから?どうして?運び、どうして?積み上げて造りあげたのか?。
いろいろと‘だろう説’はありますが確固たるものは無くいまだに謎です。

しかし紀元前の時代から今尚、堂々とした雄姿、建造物にもいろいろ………






自爆テロの有ったハン・ハリーリ市場での思い出です


大変活気のある市場で余程しっかりせねば騙されるように思います。
自由行動の時間に私たちもウロウロと市場へ、、

一軒のお店に陳列して有った20$程のネフェルティティの置物を手にして見ていただけなのに強引で離して呉れません。
意思表示をはっきりせねば駄目で日本語でも良いから要る要らない、それでは無いこちら、注文しても手にする迄目を離してはダメ、途中ですり変わる可能性あり、で大変です。

向こうの人は声が大きく喧嘩しているようです、が負けたらあきまへんで大阪弁で頑張りました。
通じたのか拗れかかった売買も成立しましたが(汗汗)でした。
最後は握手して『さようなら』と云って貰って別れましたが恐さ半分でのショッピングでした。

後でガイドさんも云ってましたがやっぱりいろいろトラブルあるみたいで、気をつけたいそんな思い出です。

この市場で自爆テロがあり18人の死傷者が出ました。なんでも外国観光客を狙ったと犯行とか……

97年にはルクソールでは60人程が射殺された大きな惨事がありました。



その後、観光国エジプトは大打撃を受けて我々の訪れた時も未だアレキサンドリアに限っては観光バスでの移動時は朝から晩迄白バイの先導で後ろは銃を構えた警官の乗ったジープが護ってくれました。

国賓並みの扱いで我々の行く先の信号は次々と手動で青に変えられた凄い観光を体験致しました。


最初で最後でしょう、凄い警護のアレキサンドリアの旅の思い出です


国として観光客を最優先に考えている現れで肌で感じたものです。

本当に国まるごと世界遺産のエジプトは全世界、人類が護らねばなりませんね。
紀元前のエジプト文明は現代に於いて解明出来ない不思議ばかりだと云われています。
中国も凄いですがエジプトはその上のように私は思いましたが……




ナイル川の遊覧船上でベリーダンスを頑張りました
酒酔いの勢いもあったのでしょうが見よう見まねで踊り拍手を頂いた思い出です
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