チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

愛リン 折り畳み式自転車とのお別れ

2020年08月31日 | リンリン
少しさかのぼっての話。

お別れの日
『さようならこの家 最後やね~』
『この橋よく渡ったね~』
『この道何度行き来しただろうね~』『長いお付き合い有り難う~』
語りながら乗らずに押して行く。

別れが淋しく家に置いておこうかとも思ったほど………

2006年4月3日から14年間、長~いお付き合いしてきた三代(台)目の3×7 21段変速の軽い折り畳み自転車とお別れすることになった。
淋しい。
『放っておくの~』
聞こえたような!2019.10.21.



よく走ったけどアチコチ不具合起きてきて……仕方ない。
主のワテもお歳やしアチコチ出歩く脚力気力が無くなった。

思い出多い自転車、大概あちこちチャリンコ漫遊して来た。
最初の旅は輪行バックに入って四国今治へのバス旅だった。
朝早くに家を出て阪神バス乗り場の西梅田を目指す。
伊予大島八十八ケ所遍路を結願、殆んどテント泊。
その後、苦労した伊予大島とお別れして、しまなみ海道を走って瀬戸内七福神を巡りながら尾道へ。
どの島の橋も高い所に有るもんで渡るためには大変だった思い出。
14年前になるんだね~

2007年5月20日から、今は亡き先輩と琵琶湖一周を一週間のチャリンコゆっくり旅。
5ツほど歳上の先輩だったのに湖北の長い坂道を頑張って越えた。
賤ヶ岳へも登って尺八を吹いてた先輩、尺八が好きだったんだね。

湖畔にテントを張り、波の音を聞きながら酒呑んで二人並んで寝た夜。
さざ波に負けない音色?を…と尺八の練習をしたなぁ~、負けたけど……
ユースホステルの夜も楽しかった~

今、先輩はこの世に居ない。
恩人、知人、殆んどアチラへいっちゃった。
戻ることは無い、この世は儚いねぇ~


JR茨木駅から電車に乗って滋賀県長浜駅へ、一泊二日の湖北地方をサイクリングに行ったこともあったなぁ。
知り合いがお寺の住職やっていて泊めて貰って朝の勤行に一緒させて貰った思い出。
もうあのお寺には居てない便りが来てた。
あの住職も三つほど歳上だった。
元気にして居られるかなぁ~
ご無沙汰してる。


ホントにいろいろチャリ旅の思い出。
最初、自転車は暮らしの中で補助的な位置付け。
其れが長距離を走る楽しさに目覚める。
しんどいけど達成感がある。
折り畳みの前の二代目ジャイアントクロスバイクの初走りに2001.05.18. 家から奈良の山奥セカンドハウスまで片道51kmをチャリンコで往復している。
寝屋川~168号線私市を越え奈良県に入り阪奈道を走る。大東からの阪奈道路の生駒越えは出来なかった。
奈良~白毫寺~田原~一台峠~馬場~道の駅針テラスで入浴食事してセカンドハウス着。
数日滞在して、帰りは21日に行われていた自転車の競技《ツアージャパン布目ダム》を見て、来た道をそのまま帰った思い出。


《 自転車では無いが、この道は1999.8.17.真夏の暑い日に近鉄奈良駅をスタートして一日かかって道の駅 針~セカンドハウスまで歩いた道でもある。
記録帳見ると歩数37.554歩って記している。
暑さと峠越えで究極だったようでこのような行動は無謀って云うんだよね。
無事で良かったけど。
そして此れには続きが有り、三日後の帰りは近鉄榛原駅まで12.456歩を歩いて、鶴橋駅まで電車に乗って、そして鶴橋から寝屋川の家まで歩いて帰っている。
この日の歩数は34.831歩と記してある。
自分で云うの何だけど体力あったんだよね~》


チャリンコの話に戻って、80歳代突入して自転車でアチコチ出歩く気力も脚力も残念ながら無くなってしまった。
落ちた‼️

チヨッと乗り用の4代目とのツーショット


★1999/11/05.~2001/05/17、
初代マウンテンバイクAYAKO号を譲り受けチャリンコツーリングの世界へ
★2001/05/17.~2006/04/03.
二代目ジャイアントクロスバイク
★そして三代目折り畳みダフォーンとの今回のお別れ

2019.10.20.新ママチャリさんよろしく、あんまり乗らないと思うけど……


/

初代 マウンテンバイク
★1999/11/05.
近鉄額田駅往復200分(生駒山上&宝山寺)
★1999/12/16.10:30~12/17.2:30
淀川堤防下り舞洲一周~阪神整備、
★1999/12/24
淀川堤防上り、厚生年金病院~八幡
★2000/01/06.-42km
市役所~毛馬閘門~阪神野田松本病院
★2000/01/21.-22km
東寝屋川駅~四条畷市役所~四条畷神社
★2000/02/04.-31.4km、15:30~18:30
吹田国立循環器病センター
★2000/02/11.-16km、15:00~16:30
淀川堤防~枚方意賀美神社梅林★2000/02/17.-18.67km
寝屋川斎場~東香里~成田山
★2000/02/18.-20.17km、11:00~13:00
淀川新橋~高槻市役所往復
★2000/04/06.-31.6km
枚方厚生年金病院~王仁公園~王仁博士墓~長尾~山田池公園~小松前~堤防★2000/04/20.-58km、10:00~22:00
みつたけ整形~毛馬閘門~ハギモト~阪神整備~天満市場
★2000/04/28.28km
アサヒ~花博鶴見緑地
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令和二年(2020年)お盆

2020年08月18日 | リンリン

連日40゜を越える所も出て来た日本の夏。コロナと酷暑のなかでの今年のお盆。
我が家でも仏さんを迎えた、早いなぁ~8回目のお盆。
13日に迎え火、16日送り火。4日間は仏壇をお盆飾り沢山のお供え物。
毎晩家族揃って、西国三十三ヶ所観音霊場ご詠歌を一番から結願寺の三十三番迄あげる。40分位かかるかなぁ~

宗派に依って、出身地に依って、家々に依って、お盆の迎え方祀り方は其々違いは有るようで、我が家は夫婦とも奈良県の出で大和式?

融通念佛宗の我が家、同じ宗派のお寺さんに来て貰っているが大阪は奈良とは違う。ご詠歌はあげないと言う。
まぁ~最近は各家それぞれになって来ているようだ。
田舎で一番大きく流れが変わったのは家で葬式をしなくなった。
昔は地域地域で共通の祭壇葬式用具を買い揃えて共有してた。
近隣地域のお世話にならないと葬式は出すことが出来なかった。
逮夜逮夜には近所からお参り有り故人を偲んで語りご詠歌をあげる習わし。

急変したのは村にセレモニー会社が進出して来て葬式のスタイルが変わってしまった。土葬が無くなった。近所との付き合いが無くても葬式が出せる。

村も時代が変わり普段の近所付き合いも希薄になって来ているような感じ…

田舎も町も今は個人個人が主義主張、強くなって来てるもんね~


盆のこの時期にって言うより盆に、何時も娘の居てた部屋の網戸に蝉が止まる。
可なりの長時間ジーっと動かない。
普通、動きとか人を感じたら飛んで行くはずなのに???
なんか~~娘が部屋の様子を見に帰って来てるように思えて。イヤホントに。


16日は19時からのご詠歌を15時からに早め終わってから送り火をして家での行事終了。


夜は家族で平野の融通念佛宗の本山へ万燈会にお参り。
今年はコロナでいろいろ制限縮小し規制されてた。
何もかもに影響が出ている。
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庭木の伐採

2020年08月14日 | 山村暮らし

枝払いの後の姿

1995年、山と畑だったこの土地を頼まれて買って宅地造成工事したのが平成7年7月25日~8月10日。
翌8年5月11日プレハブ建てたこの土地。
今から25年も前になるんだね~
早いなぁ~

自生の樹木、折角だからと抜かずにいた。
物置きとフェンスの間のややこしい場所にチッチャな木。
此れもご縁ってなことで残した木が凄い蔓延り方。チョッと~の世界に。
樹木は土壌になじめば勢い付けてどんどん大きくなるんだね~
新しく植えたり移植したのは水やりや世話が大変なのに。


今まで気にせず放って有ったのにイキナリ、思い立ったら吉日と伐採することにした。
連日猛暑酷暑のこの時期に。
昨日は群馬県で40゜を突破ってニュースも流れてた。

ハシゴをかけて上っての作業は大変。
足場が不安定なことと、限られた無理な態勢を強いられる。
以前はチエーンソーが有ったがチエーンが延びて壊れてからは買ってない。

大した太さじゃ無いしボツボツと……って思い作業はじめたが思ったようには簡単にいかない。
久し振りのノコギリも切れ止んでる↘️↘️

日影作りに少し残して…なんて思い上から切っての作業だったが後で此れならハシゴ使わず地面に立ってノコギリ使いやすい高さでバッサリ❗️やれば良かったかなぁ~とも。
狭い場所だったのと浪板に被害有っても叶わんし。
手間はかかったがチョッとずつ上から枝の部分切り。

しかし、しかし暑い‼️汗だく。シャツが重たくなるほどに。
チョッとした事でも、ハシゴから下りたり上ったり。
一人作業は一人作業なんだよね~

それに幹からの枝分かれが凄い珍しい、何ゆえにこんなに枝分かれしたのか?

意味ありげな芸術作品のような



まぁ~無事に作業終了ホッ‼️
取り敢えず切った枝群?を庭の隅に寄せたがまぁ~凄い。
当分は放置しとこう。
涼しくなってからの作業としょう。

しかし高所での作業、脚立から落ちて亡くなられた話も先般聞いた。
コチラも八十越えて何か有ったら笑われもの、無理なことは避けねばねぇ~
いろいろ思いながらの作業、一件落着。



しかし払った枝の量が半端ない。凄い量。
立ち木の見た時の量と伐採して地面に横たわった量の差にビックリ‼️

今年の夏は世界的に局地的豪雨、異常な迄の酷暑、それに終息見えないコロナ。
オリンピックも もぅ無理でしょう。


昭和15年生だったら戦中派?
終戦なってガムシャラな世界を来たんですよね~
公害も騒音も繁栄の象徴。昭和31年頃の大阪は工場の煙突から煙モクモク、車のクラクション、ピーピーパーバー鳴らし放し。
その煙も騒音も都会の勢いを表してる姿だったんだよね~~
その後日本の大企業さんのおかげでどんどん豊かになって行きましたね。
昭和39年の東京オリンピック、昭和45年の大阪万博は世界に♪世界の国からこんにちわ♪三波春夫さんが歌い、6.500万人が集い、日本国有りをアピールしましたね。
昭和が終わり平成の時代も順調に来て、令和になってからの今年は国際線飛行機も飛べれないエライことに。
何もかも無、無、無、の世界に・・・
米中間もややこしい?
1強が2強になったことがややこしい⁉️

8/11
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コロナで沈んだ盛夏、凉を求めて『桃尾の滝』

2020年08月08日 | リンリン

パワースポットでもある落差23m桃尾の滝

修まったかのように思ったコロナ、大阪も200人を越え毎日増え続いている現状、此れからお盆を迎え、どうしても出歩くこと、人の移動も激しくなる。
どないになって行くことやら……


昔、修験道の行場としても知られている桃尾の滝は大寺院の境内でも有ったことは分かるし、アチコチに祠も有り神聖さも分かります。


ところがところが…
たくましい若い男性軍団が大挙出現。
ビックリ‼️‼️⁉️⁉️

若者たちは一直線に、服着たそのまま、濡れた岩肌這って行き激しく落ちる滝に打たれた。



ナント~ナント云うこと・・・
エライ場面を見ることに・・・

激しく落ちる滝に打たれながらシャツを脱ぎ捨て裸に…
可なりの水量と水力なのに…頑強な体なんだね。

やっぱり水に叩かれ痛いんだと思う、長い間無理だろう、人は減ったが黒人の男性は真ん中で不動、堂々と打たれてた。

お不動さんがいきなり現れたような……
(お不動さんに失礼かなぁ)

やぁ~初めて見る、あれッ!あれッ!と言う間の情景だった。
目を転じると道の下の、滝壺から流れ出る川に何人かが浸かって居たのは対照的……しかしどちらもビックリ場面。

何かのスポーツ選手で試合前に身を浄めに来たんかなぁ?鍛練の一つかなぁ?


癒されに…、凉を求めて…、などで沢山来ている中ではチョッと違和感を感じたのはワテだけだろうか?
元龍福寺境内と言う神域で皆さん静かに過ごされて居て、本を読んでいる人も居てたかなぁ~のなかでの出来ごとだった。

昔、犬鳴山の七宝龍寺でハチマキ白衣姿で一心に般若心経を唱えながら冷たい滝に打たれて修行して居られる場面に出合ったことが有った。思い出した。



この桃尾の滝へは3年ほど前にも来ている。その時は滝開きの神事が行われて居た。今年はコロナで中止になったかもね。

その時は桃尾の滝を右手に見て国見山に登っている。
滝を越えて急坂を上ると広い元龍福寺境内が有り大親寺や不動堂がある。


蒸し暑い日で有ったこと、虫がまつわり困ったこと、根っこ道で歩きにくかったこと、等々あまり良い思い出は残っていない。
しかし懐かしい、今はあの時の体力は無いだろう、淋しいねぇ~しぼんで来ているのが分かるのは………


この日はコナミスポーツクラブ天理へ行く途中にヒョッと思って立ち寄ることに……………8/7
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