チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

70代さん さうなら👋・80代さん これからよろしく🙇・・般若心経写経 7.080 巻達成

2020年06月30日 | リンリン

(祝)【傘寿】
数え歳や満年齢、地方によっていろいろあるようですが80歳。

人生100年の時代で80では未だまだ、って聞こえて来そうですが・・・
しかし此れまで大きな病気もせずに達者に来れた事は結果、親から大きな財産を頂いてたことになりますね。感謝ですね。

少額なれど年金も貰えてます。夫婦とも会社勤めして来られた年金受給者さんとは比較になりませんが贅沢しなけりゃ十分です、一杯の酒代有ればいい。有り難いことです。


山奥の村で7反ほどの田んぼを貰って分家した明治生まれの親父の次男坊で、終戦の時が5歳です。
米を作ってて何で米が無いの?食べるご飯が何で無いの?
子供でも不思議に思いましたよ。

米 少しの中にサツマイモやダンゴ入れて食べるんですから。
サツマイモのツルも貴重な食材でしたね⁉️
『み~んな供出せんなんかったんや』って明治39年生まれの母さんが云ってた。
アカの洗面器も軍艦の為に供出したんは覚えてる。
『知覧の母』の♪戦艦大和が海の藻屑と消えました♪、あの船ですね。

服は進駐軍の毛布でした。
弁当は醤油つけ餅。脱脂粉乳一杯の給食。
高学年なった頃は白ご飯に鰹節まぶした弁当を持たしてくれたけど…家は麦めし。
金持ちの家とは食べるもの着るものにハッキリと差が有りましたなぁ~
子供なりに貧乏納得してたよね~羨ましかったと思うけど…

運動場の野球のバックネットは板張り。エライ思い出。

天然の高野豆腐が作れた寒村、交通と云えば一日二本程のボンネットバスで木炭車。
細い地道をブーブーと。

村の生活がガラっと変わったのは名阪国道が開通してから。


しかし敗戦国が此処まで贅沢に暮らせる世の中になったんですから感謝しか有りませんね。
小さいながらも我が家が有って雨露しのげて三食満幅食べれて、感謝感謝です。

しかししかし新型コロナウイルスで世界中エライことに。
朝日新聞によると6月28日現在の世界感染者数は1000万人を越え、死者は50万人。驚きの数字です。
国内でも感染者2万人近くで、死者1000人近く。
見通したたない此れからの経済活動や人の暮らし。
エライことになりました。


80になったからって云う訳で無いんですがここ最近、気力体力が全て落ちたと場面場面でハッキリと分かる程に。
コロナ騒動でコナミスポーツクラブを4ヶ月休んだ事も有るのかも?

チャリンコ漫遊こと『とんちゃん』。此の『とんちゃん』は酒好きで休肝日無し、ナントも厄介な(笑)男ですわ~

自動車免許の返納をやかましく言われてるんですが、返納すれば気儘な山村ひとり暮らしを止めねばなりませんがな。
しかし事故したら自身も家族も最悪ですしね。
どうしたもんですかねぇ~


此れからも、今までのように元気に、医療費は余り使わず一日一日を楽しく、人さんに迷惑かけず、酒に力を借りながら暮らして行けたら…って思っています。
4ケ月コロナで休んだコナミスポーツクラブ、7月から再スタート予定💃💃💃


10年前、60歳代の最後の年に70歳を迎える記念に始めた般若心経の写経が6月28日80歳の誕生日に、ナント~7.080巻に。(70代~80代)

10年続けるって事はなかなかねぇ~
毎日欠かさず二巻ほど書くんですからね。日本一周旅の時は車の中で。
ようやりましたよ~
何をしても長続きしない男が…


次の目標は取り敢えず8.000巻、最終目標は10.000巻???
いつ頃何歳ごろになりますことやら?

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童謡『月の沙漠』の意味

2020年06月25日 | リンリン

な~にも歌と関係ない昔の写真


先日カラオケ店で閉店時間がきてエンディング曲で『月の沙漠』が歌われた。
回しマイクがきて久しぶりに歌った。
子供のころからよく聞いた曲だが詞を間違えて覚えていて其のまま勝手に歌っていたようだ。
こんかい知った、分かった。

なんか~、もの悲しいメロディー。
遠い國の王子さんとお姫さんがらくだに乗って旅へ・・・
深くは考えたこと無かった。

この度、キッチリ歌わねばって歌詞を調べて居ていろいろ知ることになる。
砂漠って云えば、さはら砂漠やゴビ砂漠を直感的思う。

『月の沙漠』の歌は「砂」が「沙」と字が違うのも気付いてなかった。

「沙」水が少ない。
「漠」は広々としたようす。
土だらけの「土漠」
岩だらけの「岩漠」ってのも有るらしい。

作詞家の加藤まさお先生は藤枝市の出身だが結核を患って千葉県の御宿町で療養生活をしていたと云う。
どうもその時の御宿町の海岸の砂浜らしい?
御宿町には「月の沙漠記念館」や銅像が有るらしい。
知らなかった。

この御宿町は日本一周旅で、犬吠埼~九十九里浜~勝浦へと房総半島一周した時に128号線を通っている。残念。


結論。
この歌は『死出の旅』歌。
いろいろ納得させられる。

金の鞍には銀のカメ(瓶)
銀の鞍には金のカメ。
長い間の思いの詰まったカメを交換して紐で結んである。

3番の二人はお揃いの白い上衣を着て…は “死に衣装”。

1番では並んでました。
4番では縦一筋に…トボトボと。

4番だけが二行多いですね。
砂丘を越えてゆきました。
黙って越えてゆきました。
この砂丘は “三途の川” のこと。
らしいですよ。

さて皆さんは如何に・・・・


“白い上衣” について余談ですが…
昔、四国遍路した時に着たのは白衣、南無大師遍照金剛を着て杖ついて1ヶ月を費やし、別格合わせて108ケ寺結願した。
車で観光しながら。
ご利益ないでしょうがねぇ~
白衣の思い出ですわ。
ーーーーーーーーーーーーー

童謡『月の沙漠』

1)
月の沙漠をはるばると
旅のらくだがゆきました
金と銀との鞍おいて
ふたつならんでゆきました

2)
金の鞍には銀のカメ
銀の鞍には金のカメ
二つのカメはそれぞれに
紐で結んでありました

3)
先の鞍には王子さま
後の鞍にはお姫さま
乗ったふたりはお揃いの
白い上衣を着てました

4)
広い沙漠をひと筋に
ふたりは何処へゆくのでしょう
おぼろにけぶる月の夜を
対のらくだはとぼとぼと

沙丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました

作詩…加藤まさお (1897~1977)
作曲…佐々木すぐる(1892~1966)

大正12年(1923年)発表


大和高原の月



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