チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

大関豪栄道関の全勝優勝の御礼と来場所連続優勝祈願に相撲神社参り

2016年10月29日 | リンリン

大関豪栄道の夏場所での全勝優勝。
大関の実力に運や神の力も加わった。
凄い勢いやった~~

大和桜井にある相撲神社にお参りしてきました。
この相撲神社は我が国の相撲発祥の地とのこと。





日本書紀の中に、はじめて相撲がとられた時の話が記されている。垂仁天皇のとき、大臣の一人が『當麻に當麻蹴速(たいまのけはや)という、ものすごく強いものがおり、命がけで力比べしたいものだ、と言っております』と言った。すると別の大臣は『出雲の国に野見宿彌(のみのすくね)と言う勇士がおります』と答えた。そこで纒向のカタヤケシの地において、天皇の前で二人に力比べをさせることになった。
お互いに足の蹴りあいとなり、最後は出雲の野見宿彌が勝った。
これが相撲のはじまりと言われている。
…パンフより…

この相撲神社の祭神は野見宿彌



2



近くの兵主神社(ひょうず)は穴師坐兵主神社、穴師坐大兵主神社、巻向坐兵主神社の三神合祀の神社。
崇神天皇の時代、倭姫命 が天皇の御膳の守護神として奉られた。


拝殿には奈良市出身の徳勝龍も……






昭和37年には当時の理事長の双葉山を祭主に横綱大鵬や柏戸、大関の琴ヶ浜、北葉山、佐太ノ山はじめ幕内の全力士が参加して(上の写真のブルーシート、)
カタヤカシゆかりの土俵で手数入りが奉納されたらしい


ーーーーーーーー
広報ねやがわ11月号の表紙には
全勝優勝した大関豪栄道関の晴れ姿が…

さぁ~問題は次の九州場所だよ~~
連続優勝やってやろうじゃないか~~
そして横綱へーーー

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居酒屋好きのおっさんがフランスランチ

2016年10月22日 | リンリン

2つ年上の従姉さんと久方振りのランチタイム
そうやなぁ~、今までに何回ぐらい会っているかなぁ~
メール貰って、電話して会うことに……

この従姉さんは元は幼稚園の先生をやったはったんですわ。
旦那さんはもう前に亡くなり、1人息子は独立、孫は東京。ズゥ~と独り暮らし。
年金同様に地代も入る豊かな暮らしされてます。
そして何よりも達者、出歩くし喋るし又半面細かい刺繍されていて凄い。

いろんな話を見聞きしてるとアッと云う間の時間でした。

もう余り行き来がない母方のいろんなニュースを聞きました。
亡くなっている人多くこうして会える事の幸せに感謝感謝だ、の結論でした。





お店から出た所で従姉さんが友達にバッタリ。
何このタイミング。
ビックリされてました。
従姉さんと同じように独り暮らし83才の女性ですが、此の女性とても83才には見えないメッチャ若い。
73才でも通用する若さ、イヤほんとビックリ❗❗
喋りも容姿も顔艶も………
此の女性も家に籠らず出歩くこと、いろんなサークルに入り楽しんでいる。
笑顔で大きな声で……。
全く従姉さんと同じタイプ、だから気が合い友達なんや~~

長い立ち話になりましたがイヤ~驚きました~
若いもんがアッチコッチ痛い……耳がどうのこうの……とても言えなかったですわ(涙)(涙)

しかし今回のフランス料理、その都度説明してくれてましたが、聞き慣れない単語と細い声で殆ど聞き取れずうなずいて居ただけでした。
(チョッと難聴進んだかなぁ~)





もう25年程前になりますがフランス旅行ツアーに参加した時にパリの街なかレストランで食事したのですが今回のとはチョッと違いました。
コースはコースでも、もっとシンプル?質素な感じだったように思い出しますが…
まぁ~そりゃぁ~和食だっていろいろ有りますからね~


―――――――――――――――――
付録

★只今、我が家の裏
大木のキンモクセイがいい臭い拡散中


★こちらは山村暮らし地
庭に毎年咲くひとり生えのりんどうの花


★今年の淀川の堤防
毎年雑草の勢力種が変わります。
今年はセイダカアワダチ草が凄い。
全ての雑草が呑み込まれてしまった感じ……
何年か前にも有ったが又ぶり返した。
淀川の堤防も何十キロと有るわけで、場所に依って変わるでしょうが……

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大関豪栄道その3・優勝パレード

2016年10月17日 | リンリン

秋場所全勝優勝した大関豪栄道関の地元での優勝パレードが寝屋川市駅前通りのさわやかロードでありました。
沿道には、なんと何と~22.000人の市民が祝福に集まった~

4時半頃からのパレードなのに2時頃から沿道に陣取る熱心なファンが沢山。

催事メーンの紅白舞台や報道機関の櫓など…




広い歩道も半分に仕切られ観覧者用に確保してましたが人が溢れ一般の人の通行しにくい状態が続きました。
とにかくエライ盛り上がりでした。

プロとは言え催事のこの企画が凄い、流石やなぁ~と変な所で関心してました。
でもね、これ全て豪栄道関1人の為の催しですよね~
東京で二回、埼玉で一回、そして今回寝屋川でのパレードですからね~
本人如何な気持ちだろうなぁ~と思いますよね。
優勝したことで本人もビックリするほど身辺変わったのでは………



どうしても今度の九州場所は頑張って欲しいもんです。
アチコチお呼びかかって大変だと思うけどね。
豪栄道関の技力量にプラス、この今の勢いと運とを重ね突っ走って欲しいものや

久しぶりの目出度いパレードに興奮、
一生懸命手を振りました。
しかししかし長時間の立ちんぼエライお疲れ様でした。

2


この日のパレードに毎日新聞が企画特集として配布してました。
豪栄道の優勝記念特集紙を。

◆豪栄道は高校時代に春の選抜、高校総体、国体の高校三冠を達成している。

2005年初場所…初土俵
2005年春場所…序ノ口優勝
2005年名場所…三段目優勝
2005年九場所…幕下優勝
2006年秋場所…幕下優勝2回目
2006年九場所…新十両
2007年秋場所…新入幕、敢闘賞
2008年秋場所…敢闘賞2回目
2008年九場所…新三役
2009年初場所…技能賞
2009年夏場所…新関脇
2010年名場所…野球賭博で謹慎処分
2010年九場所…再入幕
2011年技量審査?で技能賞2回目
2012年春場所…敢闘賞3回目
2012年夏場所…再関脇昇進・殊勲賞
2012年九場所…技能賞3回目
2013年秋場所…殊勲賞2回目
2014年春場所…殊勲賞3回目
2014年夏場所…殊勲賞4回目
2014年名場所…殊勲賞5回目
2014年秋場所…新大関

2016年秋場所…全勝初優勝

万歳\(^-^)/


この日は豪栄道関の優勝パレード協賛募金の受け付け最終日だと知り市役所の二階へ行ってホンの数口ですが協力してきました


2016.10.17.朝日朝刊


とにかく来場所に期待しましょう
がんばれ❗がんばれ❗豪栄道ごうえいどう~~~

3

あちこちの祝賀ムード

図書館でも豪栄道コーナー


花屋さんも


たこ焼屋


衣料品店さん


周旋屋さん


等々アチコチに………
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曽爾村・門僕神社のまつり

2016年10月10日 | リンリン

毎年体育の日の前日に行われると云う、曽爾村門僕神社(カドフサジンジャ)の秋祭りに行ってきました。


門僕神社は獅子舞で有名、神さんは春日大社と同じ天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)
何処の神社ででもですが居わせられる神さんの名は難しいですね。
曽爾の場合は神社名の読みも難しい門僕と書いてカドフサですからね~

この神社の鳥居横に有る大木のイチョウは葉に銀杏の実を付ける種子植物なのにシダ植物の特徴を持っている珍しいオハツキイチョウで奈良県天然記念物。


今日の目的は、1720年頃から受け継がれている『曽爾の獅子舞』
伊勢大神楽の原点に近い形が残っていると云う。
奉舞、神前舞、悪魔払、参神楽、獅子踊り、接ぎ獅子、等

種類の豊富さと質の高さが評価されて、奈良県無形民俗文化財指定。

この日は朝からあいにくの雨、山村暮らし地から曽爾村までは35km程、雨の場合は近くのふれあいホールに会場を移して行われると云うので取り敢えず行ってみることに。
有り難いことに曽爾村近くになると小雨になって来てやれやれ…

曽爾村役場の駐車場が開放されていて無料、ガードマンの誘導に従い駐車。
奈良、三重ナンバーは元より堺、和泉、大阪、なにわナンバーが沢山、9時頃に着くためには相当早く出てきたのでしょう。同じ大阪ナンバーでもコチトラは40分程の近場なんだよね~

9時過ぎ到着、催事は8時から既に始まってました。
役場駐車場から神社迄は笠ささずだつたのが少し経ってから、そこそこの雨降りに。
境内の会場では砂も入れられましたが中断、皆さん笠さしてジーと立ちん坊。

小降りになって再開、その後は良い方向に向いて順調に………
しかし足もと悪く獅子舞さんも大変、晴れ姿が汚れるし、下駄や草履なので動き辛そう気の毒でした。

各地区からの獅子舞が司会者に依って紹介、披露奉納され進行していきます。





2

〇獅子舞の種類(長野地区、今井地区、伊賀見地区、三大字合同)

神楽系・・・神前の舞い等
剣 系・・・悪魔払い等
荒舞系・・・荒舞い等
曲芸系・・・接ぎ獅子 √
獅子踊り・・道化獅子等 √
各戸回り・・荒神払い










/




上は『接ぎ獅子』のお二人さんです。
獅子頭をとれば子供さん、よくまぁ~あれだけの演技が出来たもの……
何よりもビックリ❗❗
重たい獅子頭を被り、男の人の肩に立って揺るがず立ち続け、舞いながら回る訳でしょう。
1本の真柱が通っているような。
それも長い間ですからね~
化粧した男の人の顔は真剣そのものだったですね。


【すこ】
門僕神社にお供えして有る【すこ】
餅と柿を里芋の茎に交互に刺して頂上にケイトウの花を飾り乙女を表していると云う。
その昔、娘さんを人身お供えとして生贄にしていた頃の名残りだとか……


もうズゥ~と前にメキシコを旅した時に聞いた話を思い出した。
アステカ文明、テオティワカン遺跡太陽のピラミッドへ登った時の話。
汚れない生身の少女を太陽の神に捧げる話を…
その時の印象が強烈だったんでしょう、他は忘れているのに、フッと思い出しましたわ。

もう一方側の参道



門僕神社の前を流れる青蓮寺川には人のみの沈下橋が架かっていました。



雨の朝からご苦労さん、腰下ろす事もなくズゥ~と立ち続け。
脚み~んな固まってしまった感じ…

靴もズボンの裾も飛散した砂汚れで凄い様様ですわな。
帰途中、榛原のみはる温泉で湯につかり足をモミモミ、休んで帰りました。
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【奈良県最古の道標】と【我が家裏庭の彼岸花】

2016年10月04日 | 貴重珍重ロケーション

この奈良県最古の道標と云うのは榛原から御杖村方面へ走る国道369号線、伊勢本街道沿いの檜牧地区に立っています。
ご近所さんでしょう、新しい供花など管理が行き届いていました。



寛文4年(1664年)奈良県最古の道標で全国ででも5番目に古い道標だそうですよ。
真ん中に『奉供養巡礼』
左右に『右いせみち、左やまみち』

各行の上には阿弥陀三尊を表す梵字が彫られているらしいですが、全てに判読出きるものはなかったですわ。

普段は何気なく走っている道ですが今回は「この辺りでは?」
後続の車の無いのを確認して、速度落とし左側ばかり注視、ヒョッとしてで停車。バッチリピッタリ。

改めてお伊勢さん参り当時に思いを馳せ両手のひらでソォウ~っとタッチ、エネルギー?を頂いて帰りました。


―――――――――――――――――――――――
その2

もうひとつは彼岸花の話



仏隆寺の彼岸花の続きに思うことがあるのです。
我が家の裏庭の不思議な話しなんですが、お隣さんも近所の他には彼岸花の咲いている所は有りません。
勿論30年以上住んで居て咲いたことも無い、当然植えたことも無い。
その彼岸花が家人が突然亡くなったその年から咲き出したんです。
これって何なんですか~

それからは毎年同じ場所に同じ二本の彼岸花が咲くんです。
あれから5年、5回目の彼岸花です。
不思議ですね~
つい結びつけてしまうんです。
結びつけたくなるような事がいろいろ起きると云うか有るんですわ~

肉体は亡びても霊は近くに…
今なお一緒に住んで居るのかなぁ~

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はいばら浪漫地図・その3

2016年10月03日 | リンリン
仏隆寺の石段は大和三名段のひとつと云う石段と樹齢900年の桜、そして少なくなった彼岸花。

『はいばら浪漫地図』
1回目は(2015.5.27)
宗祐寺、伊勢街道、墨坂神社
2回目は(2016.5.9)
鳥見山、宇陀水分神社、八咫烏神社

今回、探訪の残りの三ヶ所は
⑦仏隆寺⑧戒長寺⑨ぬれ地蔵


先ずは仏隆寺、説明文から。
仏隆寺は850年に空海の高弟.堅惠(けんね)によって創建されました。
真言宗室生寺末寺に属し本尊十一面観音菩薩立像は聖徳太子の作といわれています。
七堂伽藍の立派なお寺で、室生寺の南門すなわち正面の門として極寺と末寺の関係にあり、室生山の宿坊または住職の隠居寺として重要な役目がありました。
大和茶の発祥地でもあり、空海が帰朝の際にその種子をもたらし、堅恵が寺内で栽培したものが全国へ普及したとされ、茶臼も残っています。
また、天然記念物の古桜は樹齢900年で、周囲7.5m、高さ16mを越え、日本一ともいわれています。
秋は彼岸花も美しい。
(高井バス停下車、東へ2km)

ところがこの彼岸花、少し淋しいのでは…

その訳は猪と鹿の仕業だと云う。
根っこから皆食べてしまうのらしい。

居合わせた男性は、以前は沢山でそれは美しかったと……

この仏隆寺の石段は室生寺奥の院の石段と桜井の談山神社の石段と共に『大和三名段』と言われているらしい。
石段へは気持ちだけの協力金、仏隆寺の入山料は200円、箱に払って門を入ればピポンピポンとなる仕掛け、寺でこんなの初めて。

大和茶発祥の地の碑や本堂、不動堂や開祖堅恵(ケンネ)の立派な石室廟




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⑧戒長寺
東海自然歩道を東へ、大和富士の東麓で標高600mの高台にある静かな山寺が戒長寺です。
地方の戒律道場として藤原時代に隆盛を極めたことは、9体の藤原仏を伝承していることからもわかります。
また、わが国唯一といわれている十二神将を刻んだ銅鐘や葉のへりに小さな実がつくオハツキイチョウなど見どころがいっぱい。
(山辺三バス停下車、徒歩2km)

同じ境内の右横に並んで戒場神社が……


バス停の近くには篠畑(ささはた)神社「元伊勢」や、額井岳~戒長寺へのハイキングコース脇には奈良時代の歌人である “山部赤人” の墓と歌碑等も有る





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⑨ぬれ地蔵
室生ダムの水位が下がり、何回目かでやっとお会い出来た濡れ地蔵さんです

伊勢街道のあを越え道に面している石仏で、室生火山岩の切り立った崖に1m82cmの舟形に彫りくぼめ、中に地蔵菩薩を半肉彫りにしてあります。
鎌倉中期の作で、雨が降ると岩壁が濡れ、水が上から滝のように落ちてくるためこの名がつけられました。
現在は、ダムの満水時にその秀麗な姿を隠す魅惑的なお地蔵さんとして親しまれています。
(山辺口バス停下車300m南下)

春頃の水没している濡れ地蔵への参道と周辺の様子です。
両側の供花筒辺り迄水位が上がる時期もあるらしい。前方岩肌の水中に居られます。




秋の彼岸の頃のダムの水位が下がった時の同じような場所





何時だったか~
毎日テレビの『ちちんぷいぷい』って番組で室生口大野から長谷寺までを歩いた時にこの濡れ地蔵を訪ねています。
たまたま見ていて、そのタイミングにご縁を感じました。

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