京阪中書島駅下車、伏見港公園
久し振りのウォーキング催しの参加。
この日の天気は良し、催し受付駅が近い所をネット検索、当然京阪沿線で…朝になって決定。
毎年続けてきた大阪五私鉄ウォークには今年は参加していない。
ワテの足も調子もの…
朝起きて『アリャ❗イタ~』っと思っても、いつしか『ありゃ❗』っと消えている。
今日も~、と云うか~
何か予定したら~、と云うか~
膝辺りが痛む感じになる。
変な~?症候群?
だから申し込み不要、自由参加型がいい。
完歩スタンプも要らないから若しもの時はゴール受付時間の制限にも関係ない。
ダラダラ我が儘を云ってるのでは無い…
ダメな時が気楽だから・・・
スタート時間だけは守らないと催行マップが貰えない。
ところが今回はビックリ❗参加者に地図と一緒に京阪グッズのボールペンが振る舞われた~、ラッキー
9:30~10:00が受付時間
受付スタートは伏見港公園、ゴールは八幡背割りの『さくらであい館』迄の約11km、受付終了15:00。
スタートして感じたのは歩く速度が早い、リュックにいろんなウォーキング参加メダルを付けている人が多い。
コチラは鈍行?普通?マイペースだ、チョッとこの集団から離れる方がいい。
参加者全てがこんな早さじゃ無いはずだ。
いい感じの横大路運動公園を歩く。
緑多く、空気も美味しく感じるし沢山の人が弁当したり、休んだり……
野球場もある大きな公園を抜けるとツイ先程乗って来た京阪電車の側道に出る。
ワォ~、位置関係がつかめて無い。
淀駅向いて歩いているのだ。
史跡 戊辰戦争激戦址
(1868年幕府軍と政府軍との激戦地、ボシン戦没者の碑)
対照的に賑わう淀競馬場の風景
新発見でした~!
小っちゃな子供を連れたお母さんやアベックさん達がゾクゾクとバスから下りて来る。
まるで遊園地か何かのように・・・
オジさん逹ばかりではなかったんや~
競馬せんもんはわからんはー
むかし園田競馬場の前を通った時、阪急園田駅から競馬場迄の道は男性ばかり若い女性は居なかったと思うけど。??
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京街道とは
近世における京都・大坂間の街道。
豊臣秀吉が大坂・淀・伏見に築城の後1594年(文禄3年)に淀川左岸に文禄堤を築造し、堤防上を道路として伏見と大坂間の近道としたのが起源。
江戸幕府は道路をさらに整備し京街道に伏見・淀・枚方・守口の4宿駅を設定し品川から大津迄の東海道五十三次の他にその延長上の宿とみなし、道中奉行の管轄下においた。
京街道と云うが面影は無い。部分的にでも残って無い。
電車の高架化や競馬場の拡張やらで消されてしまったんだね。
淀駅前のモニュメント「淀の水車」と「淀の渡し跡」の碑
輿杼神社(よどじんじゃ)~淀城跡~涼森神社、美豆城跡~御幸橋
淀城跡には懐かしい思い出が………
調べると、今から丁度10年前の19年5月20日に来てるのだ。
27日迄1週間の予定で尺八の先輩とチャリンコで琵琶湖周遊をした時の1番最初と最後の休憩地だったんだ。
丸々の丁度10年前だったと云うのも何か“ご縁”を感じる。
あれから10年たったんかいなぁ~、早過ぎる、なんだこの早さは…
テント積んで…湖畔で尺八吹いて…
彦根の豊公園では沢山の修学旅行中の女学生に囲まれて赤くなって1曲吹いてた先輩、たった今思い出した。
6つ程歳上の先輩、逢坂山や奥琵琶湖パークウェイのチャリ押しはしんどかったねぇ~
戝ケ岳に登り余呉湖眺めながら尺八吹いてた先輩、絵が好きでスケッチしてたね~先輩。
1週間の琵琶湖周遊の走行距離は357.5kmと記録してあるよ、凄かったね~先輩。
その時の先輩はもう居ない、居ない。
一緒に来ることはない。
思い出抱いて生きてゆく、
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さくらであい館ゴール(今回の参加者数1004人と発表してあった)
2017.3.25.開館の展望台も有るホヤホヤ施設。
桜のシーズンには有料になるらしい展望台からは木津川と宇治川が合流する背割り方面が美しく見えた。
三川合流し淀川となる、がしかし桂川の流れは確認出来ない。
もう一枚は帰りの駅八幡市駅石清水八幡宮方面
今回はスタートしてゴールする迄、1度も尻下ろさず、休まずよく頑張った~誉めてあげたい?
今回のコースはアップダウンなく、何時もの町歩きと同じで余り負担かかって無かったようで公園で皆さん休んで居られたが追い抜き追い越し歩ききった。
ゴールして、展望台に上って、ブラブラ八幡市駅へ…その後石清水八幡宮の麓、東高野街道沿いの安居橋近くでシート広げてドッカと長い休憩タイム。
ほどよい疲れと歩き終えた事の満足感に浸りながらグィ~グィ~とやりました~
この日の歩数は22.500歩、その内3METs以上歩数は19.000歩。エクササイズ8.8EX。
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