新・ボヤッキーでトンズラーな日記

そこいら辺にいる普通のオッサンです。日々気にくわない事や腹が立ったことをつぶやいています。

それでもまだ終わらないオウム事件

2006-09-17 23:37:29 | 雑記
オウム真理教の教祖だった麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑がようやく決まりました。

とは言っても、コイツが死刑になったって事件の後遺症でいまだに苦しんでおられる方々や亡くなられた方々の遺族が救われるわけではないし、教団の残党もいまだ残っているので完全解決とはいかないんですよね(--;)。

それにしてもこのオウム事件は各方面の日本の問題点がゴロゴロと出てきた事件でもありました。
TBSが絡んだ坂本弁護士一家殺人事件、確たる証拠もなしに被害者を“犯人”と決めつけトコトンいじめまくった警察やマスコミ、無差別の大量殺人を目的とした地下鉄サリン事件のような大事件を起こしておきながら、なぜか破防法の適応を拒んだ当時の村山首相及びその周辺等…数え上げたらキリがありません。

それに松本智津夫被告が在日朝鮮人であり、教団幹部にも在日がゴロゴロしており、北朝鮮や朝鮮系暴力団、日本のもう一つのカルト宗教とも水面下で交流があって、更には毒ガス以外に麻薬も精製しておりそれを資金源としていた、ってのも殆ど報道されませんでした。

ま、今はネットが発達したおかげで上記のような(真偽はともかく)情報はちょっと探せば手に入るようになったのでいくらマスコミが隠しても無理なんですけどね(^^;)


さてオウム真理教と言えば、数年前から私の日記を読んでいる人はご存じでしょうが、私の友人が一時期オウムに入信してた事がありました

その辺の経緯をかつて日記に書いておいたのですが、自分でも何時書いたのか忘れてしまって、昨日ず~っと過去の日記チェックしてたら、2004年2月28日、1審で松本智津夫被告の死刑判決が出た時に書いていました。

と言うわけでせっかくですから、ここのブログを開いてから読み出した方の為にその時書いた日記を改めてアップしておきます。

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それは今を去ること十ン年前。当時、社会人になりたてだった私の同期に「W君(仮名)」と言うヤツがいました。
コイツとは同じ営業所に配属された事もあってそれなりに仲が良かったのですが、会社に入って1年位すると営業職が合わなかったのか、それとも振られた女の恨みのせいか(私はいまだにこちらだと思っていますが…)原因不明の発疹が体に出るようになり、体調も崩して会社を休みがちになってしまったんです。

その後もあまり体調が芳しくなかったW君は営業から社内事務に転属させてもらったのですが、そこの部長とソリが合わなかったせいもあるのか、益々体調が悪くなっていく様子。
ちょうどその頃あたりからだったかな?「体調を戻す為に博多駅前にあるヨガ教室に通っている」てのを本人から聞いたのは。

その時は「ふ~ん。ま、ヨガなら体に悪くはないだろう。」程度ですんだのですが、その後ちょっとしてからW君が「会社勤めは悪業を積むだけ」とか「幽体離脱が出来るようになった」とか言い出したんです。
「これはちょっとヤバイんじゃないか?」と思った私は、W君とその辺についてよ~く話し合って見ると、実はそのヨガ教室は宗教団体が開催していて、その名前が「オウム真理教」だったんです。

しかし、今でこそ誰もがオウムはカルト宗教集団だと知ってはいますが、当時はまだまだ殆ど存在を知られていないマイナー集団だったので、当然、当時の私もその名前は初耳。
でも、W君の発言からしてあまり良さげな宗教団体だとも思えないので、「そのヨガ教室を辞めろ」と言ったのですが、W君は「今行っている教室には館長(だったかな?)をはじめとして悟りを開いた人が何人もいて、俺も修行すれば悟りを開いて仏になれると言われた。その証拠に言われた通り修行をしていたら力がつき始めて、昨日も幽体離脱して上から自分の肉体を見ていたんだよ。」とか言って全く聞き耳持たず。

それを聞いた後、その辺に詳しい知り合いにオウムについて聞いて見た所「ヨガ教室を開いて人を集めて、集まった人達をオウムに勧誘するのはあそこの手なんだよね。でもハッキリ言ってかなり胡散臭い団体だから早く辞めさせた方が良いよ」との事。

そう聞いてはお節介な私の事。
その後機会があればその事でW君と話をしていたのですが、彼は聞く耳を持たないどころか段々オウムの教義にのめり込んでいく始末で、それに伴い会社にも段々来なくなっていきました。

そしてある冬の日の夜、深夜12時近くに「ピンポーン」と玄関のチャイムが!

「今時分、誰だ?」と思いながら玄関を開けてみると、そこには思い詰めた顔をしたW君が立っていました。

部屋にあげて「どうしたん、こんな時間に?何かあったんか?」と聞くと、W君は「今日、会社に辞表出してきた」とポツリと一言。

「何で相談してくれなかったんや?あのクソ部長も素直に受け取らずにちったぁ止めてくれりゃいいのに!ホンマにもう…。とにかく明日すぐに部長の所に行って辞表取り返してこい!」と言ったのですが、本人は「いや、会社に勤めると言う事は嘘を付かなくてはいけない。嘘を付くのは悪業を積む事だから修行の妨げになる。だから俺は会社を辞めるんだ」と頑として聞きません。

もうこれ以上は何を言っても無駄だと思ったので、とりあえず「これからどうするんだ?」とW君に聞くと「富士のすそ野にオウムの修行場があるんだ(上九一色村にあったサティアンの事ですね)。そこに行って徹底的に修行して悟りを開く。」

その後の会話は、頭に血が上ってしまっていたので細かい所はハッキリ覚えていないのですが
「じゃあ、いつからそこ(修行場)に行くんだ?」
「明日すぐ」
「え?じゃあ部屋の荷物とかはどうするん?」
「そのまま置いていく」
「両親とかには言ったのか?」
「………」
「おまえなあ…とにかく両親にはちゃんと連絡しろよ」
「………」

結局その晩でお別れだと言うので「とにかく何かあったら絶対に俺に連絡してこいよ。」と言うと「判った。じゃあ。」と帰って行きました。
しかし彼が帰った後、結局彼を止められなかった自分に腹が立つやら情けないやらで涙が出てきました。

そんな事があってから数週間経った頃だったかな?

朝、突然営業企画部長に呼び出されて、開口一番「お前、Wが何処に行ったか知らんか?両親がアイツと連絡が取れなくなったので心配してこっちに来て、さっきアイツの部屋に行ったら荷物はそのままになっているので会社の方で何か知らないか?って今連絡が来てるんだ!しかも会社辞めたのも知らなかったらしいんだ!」

と言われたので「あちゃあ、アイツやっぱり両親に連絡してなかったのか」と心の中で思いながら「アイツならオウムって宗教団体の修行場に行くって言って富士のすそ野に行っちゃいました」と言った途端、部長を始め、回りにいた連中の顔が一斉にこわばって「えっ!」の大合唱!

「ホントかそれは!とにかくすぐ両親にその事を連絡しなきゃいかん!」と言いながら部長は総務に電話し始め、その後しばらくその話題で社内がザワついていました。

「今更ザワついても遅いっちゅうねん。アイツが悩んでいる時にアンタらがいじめたりしたからだろうが!」と心の中で思いつつ、とりあえず両親にW君の行方を教える事が出来た、ってのでちょっとホッとしていたりしましたが(^^;)。

更にそれからほぼ1年位経ったかな?ある日、突然W君から電話が掛かってきたんです!これには私もビックリ!

「おうWか!無事生きていたのか?今どこにいるん?あれからどうしてたん?」
「あの後すぐに富士の修行場に行って修行してたんだけど、どうも聞いていた話と違うし、自分が思っていたような内容とも全然違っていたので、一ヶ月位して逃げ出して、今は両親の所に帰ってきた。」
「そうか~!あそこを辞めて来たのか。それは良かった。声を聞けてホッとしたよ。」
「お前にも心配掛けたから一応無事なのを連絡しておこうと思って」
「そうかそうか。いや、お前が無事だったならそれでいいんだ。でも、何か嬉しくなってきたな。」
「とりあえず今日は無事な事を報告したかっただけだから。じゃあ又連絡するな」

てな感じでその時は電話を切ったのですが、短いながらもW君が無事だったのには本当に嬉しくて、その後ワケもなくはしゃいでしまいましたよ(^^)。


でも、W君が入信していた頃はまだ修行場から逃げだす事が出来たし脱退者を追いかける事はしなかったみたいですが、その後位から段々オウムはカルトに走っていって、財産を全て取り上げたり一度入信したら脱退を許さなくなったりしていったみたいなので、彼は本当に色んな意味で危ない所だったんだろうな、と最近になってその事を考えてゾッとしてしまいました。

その後、彼はちゃんとした職に就いて嫁さんももらったとの事。
何か私よりも全うに生きていないか(^^)?


彼との面と向かっての付き合いは短いものでしたが、こんな事もあって、私に生きていく上で貴重な事を教えてくれた、忘れられない友人の一人になりました

人間生きていく限り、道に迷う事も、見失う事も、方向を間違う事もあります。

でもそれは当たり前の事。
間違えても、迷っても彼のようにどこかで気づいて修正していけばいいんです
どんなに苦しい状況でも自分が「何とかしよう」と思えば、きっと道は開けてきますって(^^)!少なくとも私は自分の経験も含めて今でもそう信じています。

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って感じで書いてました。
そういえばWとはもう10年近く連絡取ってないなぁ…。

ところで良く勘違いする人がいるのですが、「何とかしよう」と「何とかなる」は一見似ているようですが、実際は全く違います
「何とかしよう」とは状況を好転させようと自分から行動する事で、動けば自ずと道は開けていきますが、「何とかなる」と言うような“待ちの姿勢”では悪化する事の方が得てして多いものです。

経験者が言うんだから間違いありませんって!