原発は是か非か?
かつて、そんな議論を激しく戦わせた時代があった。
原発に対する反対運動が巻き起こった時代があった。
あの議論や運動は一体何をこの時代にもたらしたのだろうか?
そんなことをつらつらと考えていると虚しさだけが湧いてくる。
我が国に民主主義はあったのだろうか?
国民が主役だと言われながら民意は国家に通じていたのだろうか?
どんなに危険であろうと結局は国策にストップをかけることはできなかった。
強大な権力の前には我らの意志や反対運動はいつの時代にも無力であった。
その結果が原発事故である!
恐れていたことが今、現実のものとなりつつある。
人間の生命活動が寄って立つかけがえのない自然が汚染されつつある。
事の成り行き次第では東北だけでなく関東も東海も放棄しなければならないかも知れない。
この原発事故は収束どころか、どう見ても悪化に向かっているとしか思えない。
幸いにして、このまま終息してくれたら、、、、。
国家はこの事故を教訓にしようとするだろうか?
それとも、電力が足りないからと国策を変えようとしないのだろうか?
その時こそ、我らはこぞって声を上げるべきである!
我らは、放射能の脅威に怯えながら生きることを断固拒否すると。
決して多くは望まない、ただ健全な土地と心の平安だけが欲しいのだと。
電力が4200万キロワットしかないのなら、それに順応して生きればいい。
太陽光発電だけではどうにもならないだろうが、皆が少しずつ我慢を分け合えばいい。
汚染された土地を捨てて逃げ惑うより、その方が遥かに未来へと希望を繋ぐことができる。
我らが溌剌として生きられるのは、未来への希望があるからこそである!
健全な国があり、土地があり、帰る家があり、家族があり、健康があり、
安全な水と空気と食があり、未来に生きる子供や若者たちが無傷であり
平穏な日々があればこそ未来への希望は保たれる。
不毛の大地と、傷つけられた遺伝子に未来は託せない。
それが守られるなら、他には何もいらないと言い切ってもいいくらいである。
子供たちや自然が健全でいてくれたら、我らの英知と工夫で日本は必ず蘇る。
しばらくの間、経済成長が鈍化しようが、国力が減退しようが、
不毛な大地と傷ついた子供たちを未来に残すよりは遥かにましである。
僕は日本人だから
安全でおいしい野菜を食べたい。
安全でおいしい魚介類を食べたい。
安全でおいしいお米とお蕎麦とを食べたい。
日本の大自然の懐で心ゆくまで遊びたい。
住み慣れた土地で親しんだご近所と笑って暮らしたい。
いま日本人の僕たちは、発想の転換を迫られている時なのかもしれない。
安全な水と空気と土地が保証されるなら、少しばかり不便な生活をも選ぶべきではないだろうか?
間違っても、便利な生活と引き換えに、放射能に汚染された大地や子供たちを未来に残すべきではない。
住み慣れた国や土地を捨てて逃げ惑うリスクを取ることだけは選んではならないと考える。
かつて、そんな議論を激しく戦わせた時代があった。
原発に対する反対運動が巻き起こった時代があった。
あの議論や運動は一体何をこの時代にもたらしたのだろうか?
そんなことをつらつらと考えていると虚しさだけが湧いてくる。
我が国に民主主義はあったのだろうか?
国民が主役だと言われながら民意は国家に通じていたのだろうか?
どんなに危険であろうと結局は国策にストップをかけることはできなかった。
強大な権力の前には我らの意志や反対運動はいつの時代にも無力であった。
その結果が原発事故である!
恐れていたことが今、現実のものとなりつつある。
人間の生命活動が寄って立つかけがえのない自然が汚染されつつある。
事の成り行き次第では東北だけでなく関東も東海も放棄しなければならないかも知れない。
この原発事故は収束どころか、どう見ても悪化に向かっているとしか思えない。
幸いにして、このまま終息してくれたら、、、、。
国家はこの事故を教訓にしようとするだろうか?
それとも、電力が足りないからと国策を変えようとしないのだろうか?
その時こそ、我らはこぞって声を上げるべきである!
我らは、放射能の脅威に怯えながら生きることを断固拒否すると。
決して多くは望まない、ただ健全な土地と心の平安だけが欲しいのだと。
電力が4200万キロワットしかないのなら、それに順応して生きればいい。
太陽光発電だけではどうにもならないだろうが、皆が少しずつ我慢を分け合えばいい。
汚染された土地を捨てて逃げ惑うより、その方が遥かに未来へと希望を繋ぐことができる。
我らが溌剌として生きられるのは、未来への希望があるからこそである!
健全な国があり、土地があり、帰る家があり、家族があり、健康があり、
安全な水と空気と食があり、未来に生きる子供や若者たちが無傷であり
平穏な日々があればこそ未来への希望は保たれる。
不毛の大地と、傷つけられた遺伝子に未来は託せない。
それが守られるなら、他には何もいらないと言い切ってもいいくらいである。
子供たちや自然が健全でいてくれたら、我らの英知と工夫で日本は必ず蘇る。
しばらくの間、経済成長が鈍化しようが、国力が減退しようが、
不毛な大地と傷ついた子供たちを未来に残すよりは遥かにましである。
僕は日本人だから
安全でおいしい野菜を食べたい。
安全でおいしい魚介類を食べたい。
安全でおいしいお米とお蕎麦とを食べたい。
日本の大自然の懐で心ゆくまで遊びたい。
住み慣れた土地で親しんだご近所と笑って暮らしたい。
いま日本人の僕たちは、発想の転換を迫られている時なのかもしれない。
安全な水と空気と土地が保証されるなら、少しばかり不便な生活をも選ぶべきではないだろうか?
間違っても、便利な生活と引き換えに、放射能に汚染された大地や子供たちを未来に残すべきではない。
住み慣れた国や土地を捨てて逃げ惑うリスクを取ることだけは選んではならないと考える。
原発事故という非常時の司令塔が日本政府にない、原子力安全・保安院は、特許庁に出向で行ってた人など高度な専門知識の無い人だけで構成されている、天下り先のお飾り組織で、今の非常時には役に立たない無用の長物でしかない、なぜ保安院はここまで無能で横柄なのか?
日本の原子力行政は、原子力委員会が推進、原子力安全委員会が抑制ということになっていたが、政府がいつの間にか、原子力安全・保安院というのを作り、「抑制機関無しの原子力行政」を始めた、そのため、安全を考えて抑制する立場だった「原子力安全委員会」は国民に代わって、直接原子力の安全を守ることができなくなった、原子力安全・保安院は全権を持ち、電力会社や原子力安全委員会などに強い影響を持つようになった。これがテレビで見た保安院の人の傲慢な態度にあらわれいる、
保安院は常に原発に口を出し、俺の言うことを聞かなければ認可しないぞと言い、そして現場を知らないという状態で推移していた、このことが「地震で破壊する原発」を作ってきた原因であり、さらに「震度6など想定していなかった」とか「地震対策はしてきたが、津波が起こるとは知らなかった」などという奇妙な言い訳を作り出す原因にもなっている、テレビにでた保安院の人は謝りもせず、傲慢な態度に終始した.これは「事故は俺が起こしたのではない」ということだが、「原発の安全に責任を持つ」という気持ちが無い人が、「原発の安全規制の権力を持っている」という事に他ならない、彼らは規制について強い権限を持っている、だから電力会社は認可をもらうためにペコペコしなければならない、でも事故が起こったら知らない顔をする、今、事故が進行中だが、保安院は登場しても混乱するだけなので東京電力と政府だけで進めろべきだと思う。
電源が復旧して燃料棒の冷却をするとしても、少なくとも3~5年間、冷却を続ける必要があるので、その間は放射線が漏れ出るままとなる、5年間の冷却後は、冷却プールから燃料を取り出した後、原発内の核分裂物質を除去しコンクリートで永久封印する、その周辺半径30Kmは半永久的な立ち入り禁止区域となる。
アメリカのスリーマイル島原発事故の経験から見て、今後30年は日本での原発の新規建設は無理、よって日本の原子力産業は衰退・滅亡する!東芝・三菱・日立等は大打撃を受け、今後の経済に大きく影響するでしょう、もち!海外からの受注も無くなるでしょう(因に福島原発1基の値段は5000億円)今は東日本と西日本とで周波数が違うので電力の融通ができないが1000億円あれば融通できる施設が作れるのでやるべきでしょう!
原発事故は原爆と違って不完全燃焼の状態なので、広島・長崎と同じには行かず、今後数十年のスパンで被害が残る、チェルノブイリ原発は事故後、巨大な「石棺」で封じ込めたものの、現在は放射能が漏れ出し、「石棺」そのものを巨大な蒲鉾型の「シェルター」で封じ込めなければならない状態です。
なので私も高崎さんと同じ「ノー・モア原発」です!
つねっさ行ったのですね!
分かりやすい解説をしていただきありがとうございます。
原子力行政の裏側が明るみに出るにつけ安全という言葉がしぼんでしまいそうです。
保安院の他人事のような話しぶりにも虫唾がはしります。
つねっさ、最近は津久井に仕事に出向くたびに立ち寄ってます。
どちらかというと『うどん文化』の色濃い津久井に旨い蕎麦はありえないと思っていたのですがなかなかイケるのです。
こんど焚火の帰りに寄ってみますかね。
セリ汁のキャンセルごめんなさいね。
2日間、風邪で寝込んでます。
来週は多分大丈夫かと、、、、。
日に日に怖さが増しています。
原子力発電の事故に対して私たちにはどうすることもできませんが
せめて被災地の人たちのためには私にできることを少しずつ続けていきたいと思います。
いま縁側でお新香つまみながら一休み。
子供たちや、この畑や小川が放射能に汚染されて住めなくなったら。
多分、希望も未来も絶望に変わってしまう。
いままで数十年間、原発事故がなかったとしてもひとたび起これば何もかも不毛にしてしまう。
熊さんの言うとおり核と人類は共存できない、共存してはいけないのだと思う。
原発がなくたってやっていける、そんな日本に変えていかなければならないとつくづく考えさせられた今回の原発事故でした。
ところで熊さんてどんな人なの?
なかなか理論派で実直な人と見た!
前回のブログが跡形もなく消えてるのわかってる?
俺のコメントも消えちゃってるけど何かトラブルでもあったの?
若い頃は蕎麦なんて絶対に食わなかったのに、20代後半、家族で信州旅行に行った時、食い物屋が「蕎麦屋」しかないので、致し方なく、入ってから、蕎麦にハマりました、歳を重ねると、食の好みが変わるんですね、最近は蕎麦以外は食いません。
来週こそは、体調万全でお願いします!
予定が狂いますので(爆!
人の事は言えませんね、私も去年キャンセルした事がありましたね(自爆!
原発のことはゆっくりじっくり真剣に考えて欲しいと思います。
そして未来を担うゆっき-さんたち若者がそれぞれに
自分なりの考え方が持てるようになってくれればいいと思います。
この機会に是非ご家族や学友の皆さんと議論の場ができれば素晴らしいと思います。
今はとにかく被災地のためにできることを実践する。
一人の力は小さいけれど、それが集まれば大きなチカラに変わります。
その小さな一人になることが今は何よりも大切なことだと思います。
ゆっき-さんに是非これを見て欲しいと思います。
↓
世界の誰もがこんな気持ちでいつづけてくれたらと願っています。
http://www.youtube.com/watch?v=OqRk0K5SNTY&feature=related
人類を滅ぼすほどのリスクと隣り合わせの繁栄というものが如何に脆いものかと痛感させられた事故でした。
このまま収束してくれればいいのだけれど、、、、。
不幸にも汚染が広がって行くのだとしたら希望や未来が絶望に変わってしまう、そのとおりだと思います。
ところで熊さんの人物像、興味ある?
信州出身の熊さんは子供の頃の交通事故で左半身が不自由ですが
右腕は驚嘆するほどの腕っぷしの持ち主です。
それ以外にも様々に不遇な境遇にありながら自力で自立の道を切り開いてきたタフな男です。
結婚してから定時制高校に通った努力家で勉強家でもあります。
今はNC旋盤を扱うエンジニアですが、山や川や海にも精通し、
どんな境遇に陥っても彼なら生き延びられると思わせるランボ-のような男です。
更には車や機械に精通した云わば理系の頭脳を持った理論派かつ熱血漢でもあります。
彼と話していると、学ぶことばかりで刺激的で面白いのですわ。
こんど一緒に遊びましょうかね。
ところで先のブログだけれどKちゃんにコロントを返そうとしていたら突然きえちゃってさ。
どんなトラブロか未だに原因がつかめないのですよ。
関麺、いつも食べたいと思いつつ昼飯のタイミングが合わなくて。
一度は食べておかないとね。
次週は多分体調万全、天気も良さそうだし
のんびりとリハビリさせてもらいます。
よろしくです!
音楽は好きなのでCDも毎日聞いているのに恥ずかしいです。
いま何度も繰り返し繰り返し聴きいていました。
詩の一言一言に共感し、ソウルフルな歌声に感動して今でも涙が溢れて止まりません。
いま助けを求めている人たちがいるのに知らん顔なんてできない。
そのうち誰かがやってくれるなんて考えていたらいけないんだ。
ありがとうございました。
かつて僕もこの曲を初めて聴いたときの衝撃を忘れません。
今また聴いて新鮮な感動を得ています。
歌に込められたメッセ-ジのチカラ、すごいですね。
アメリカのア-ティストたちのすごさを思い知らされた思いです。
歌は世界の共通語、この曲に共感して立ち上がった人たちも沢山いたのだろうと思います。
ついでにこれも見て下さいね。
原発の嘘が少しだけ理解できると思います。
001~005まであります。
http://www.youtube.com/watch?v=OzGnBFNU1bI&feature=youtu.be