この3日間、朝から晩までテレビ局はどこもかしこも地震報道ばかりに終始している。
災害発生時にいつも疑問に思うことがある。
この金太郎飴のような報道の在り方は何とかならないものだろうかと。
例えば24時間の終夜放送はNHKに任せて、
民放各社は役割分担をして何か他に担うべきことがあるはずである。
独自性を発揮しているラジオと比べて、テレビの横並び姿勢に辟易してしまう。
太平洋沿岸の東北各地の惨状を目にし被災した方々を思うと心が痛むばかりだ。
この大震災から復興し元の生活に戻るまでには気の遠くなるような時間を要するだろう。
この絶望的な惨状を前にして果たして体力と気力は持ちこたえられるのだろうか?
この大きな不幸は、崩壊寸前であった菅政権の延命をもたらした。
無能な菅政権の延命は我ら国民にとって第二の不幸である。
しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。
いま必要なことは、国のリ-ダ-が国民に対して力強いメッセ-ジを発信することである。
国の総力を挙げて被災地を早期に復興し必ずや元の生活に戻してみせる!
そのために国民ひとりひとりの力を貸して欲しい!
財源も足りない、1円でも多くの義援金を同朋のために出して欲しい!
我らはそのメッセ-ジに必ず応えるだろう。
菅直人には応えたくもないが被災した同朋のためなら必ずや応える。
絶望の淵に沈んでいる同朋を思えば我らだけが温くぬくとしている訳にはいかない。
この際、子供手当など即刻全廃してしまえばいい!
働ける環境にある者は働けばよい!
それだけでも被災しなかった我らは恵まれている。
貧しくたって子供は育てられる。
我らや先輩世代は今より遥かに貧しい中で子供を育ててきた。
我らの親の世代はもっと貧しくても子供を立派に育ててきた。
子供手当など甘やかし政策の極みである。
子供手当など充てにするなど恥と思えばいい。
支給された子供手当をそのまま義援金に充てるくらいでちょうどいい!
そのくらいの覚悟をもててこそ日本国民といえるのではないだろうか?
大震災の復興のためには財源がいくらあっても足りないだろう。
被災しなかった我らが少しくらいひもじい思いをしたってかまわない。
被災した方々は途方もない年月、不安と悲しみとひもじさから逃れられないのだ。
この際、無駄は徹底的に省いてありったけの財源を復興事業に充てて欲しいと考える。
片肺飛行のままでは日本の経済も活力もそがれたままになる。
被災地の完全復興を果たしてこそ本来の日本が蘇る。
我らも出来る限りの援助で復興事業の一助にさせて頂きたい。
これは決して対岸の火事ではない。
我らも必ず被災する時が来る。
その時、被災者になった我らにできることは何ひとつない。
難を逃れた同朋の差し伸べてくれる励ましと助けが唯一の生きる糧となるのだ。
一人ひとりの力は小さくても1億人の力を合わせればとてつもなく大きな力になる!
災害発生時にいつも疑問に思うことがある。
この金太郎飴のような報道の在り方は何とかならないものだろうかと。
例えば24時間の終夜放送はNHKに任せて、
民放各社は役割分担をして何か他に担うべきことがあるはずである。
独自性を発揮しているラジオと比べて、テレビの横並び姿勢に辟易してしまう。
太平洋沿岸の東北各地の惨状を目にし被災した方々を思うと心が痛むばかりだ。
この大震災から復興し元の生活に戻るまでには気の遠くなるような時間を要するだろう。
この絶望的な惨状を前にして果たして体力と気力は持ちこたえられるのだろうか?
この大きな不幸は、崩壊寸前であった菅政権の延命をもたらした。
無能な菅政権の延命は我ら国民にとって第二の不幸である。
しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。
いま必要なことは、国のリ-ダ-が国民に対して力強いメッセ-ジを発信することである。
国の総力を挙げて被災地を早期に復興し必ずや元の生活に戻してみせる!
そのために国民ひとりひとりの力を貸して欲しい!
財源も足りない、1円でも多くの義援金を同朋のために出して欲しい!
我らはそのメッセ-ジに必ず応えるだろう。
菅直人には応えたくもないが被災した同朋のためなら必ずや応える。
絶望の淵に沈んでいる同朋を思えば我らだけが温くぬくとしている訳にはいかない。
この際、子供手当など即刻全廃してしまえばいい!
働ける環境にある者は働けばよい!
それだけでも被災しなかった我らは恵まれている。
貧しくたって子供は育てられる。
我らや先輩世代は今より遥かに貧しい中で子供を育ててきた。
我らの親の世代はもっと貧しくても子供を立派に育ててきた。
子供手当など甘やかし政策の極みである。
子供手当など充てにするなど恥と思えばいい。
支給された子供手当をそのまま義援金に充てるくらいでちょうどいい!
そのくらいの覚悟をもててこそ日本国民といえるのではないだろうか?
大震災の復興のためには財源がいくらあっても足りないだろう。
被災しなかった我らが少しくらいひもじい思いをしたってかまわない。
被災した方々は途方もない年月、不安と悲しみとひもじさから逃れられないのだ。
この際、無駄は徹底的に省いてありったけの財源を復興事業に充てて欲しいと考える。
片肺飛行のままでは日本の経済も活力もそがれたままになる。
被災地の完全復興を果たしてこそ本来の日本が蘇る。
我らも出来る限りの援助で復興事業の一助にさせて頂きたい。
これは決して対岸の火事ではない。
我らも必ず被災する時が来る。
その時、被災者になった我らにできることは何ひとつない。
難を逃れた同朋の差し伸べてくれる励ましと助けが唯一の生きる糧となるのだ。
一人ひとりの力は小さくても1億人の力を合わせればとてつもなく大きな力になる!
地震・津波・被爆と最悪の事態が続け様に発生してます。
今、我々に出来る事は、無駄な通信・電力消費等をし、更に義援金の援助等出来る限りの事をしなくては。
報道もかなりの情報操作が入っているので、鵜呑みにしちゃイカンですな。
クラスメイトにも被災地出身の友達がいます。
一人でできることは微力ですが皆が集まれば大きな力になると思います。
でもボランティアとお金とどちらが役に立つか迷います。
先ほど、家中の不要なコンセントを抜きました。
明日は献血と募金に行って来ようと思っています。
ホント、対岸の火事ではないですね!
俺もそのつもりです。
なかなか現地へ行くことはできないけど
その分、寄付で気持ちを表したいと思う。
先の見えない不安といら立ち
肉親や友達を失った悲しみ
それを思うといてもたってもいられない。
経験した者でないと分からないことだよな。
なんとか頑張りぬいて欲しいです。
原発、怖いですな。
もう20年も前のことですが原発に関する本を
読んで愕然とした記憶が蘇りました。
なんでも、福島原発で事故が起きた場合
ホントに危険なのは東京や横浜なんだって。
福島からの気流に乗った放射能は東京や横浜を直撃するってことらしいんだよね。
原発を作るとき、作ってからも関係者は絶対に安全だと言ってたけれど、絶対ってことは絶対にないからね。
東京や横浜、ホントにヤバイかもね。
労力を提供することもお金を提供することも
どちらも立派なボランティアだと思いますよ。
しかも、労力を提供することだけが美しいことではなくて、お金を提供することを決して恥じることもないと思います。
復興に係る人の話を聞いたことがあるけれど
現場ではボランティアとして参加してもらうよりお金の方がはるかに有難いと言っていたことが印象的でした。
食料も仮設住宅も、それを建てる人たちの報酬もすべてお金が必要だからお金はいくらあっても足りないのだそうです。
震災には救援の後に復興事業が待ってる訳で
更にまたお金が必要な訳なんですね。
ボランティアで現場の足手まとい(失礼)になるよりもお金の方が生きた使い方をしてもらえると思うのですが。
ホントに対岸の火事ではありません。
同じ日本人として、自分のことに置き換えて考える必要があると思うのです。
肉親や住処を失い、仕事を失い、先の見えない果てしない不安を思うとたまらなくなりますね。
何も現地に行く必要はないと思うよ。
救援の時期には人手が必要なのだけれど我らは足手まといになるし、その時間もなかなか取れないからね。
1000万人の人が1万円の寄付をしたら1千億円になる、ちりも積もればすごいことになるよね。企業などの団体はもっと多額の寄付をするだろうからね。それでも、とても足りないけれど大きなチカラにはなることには変わりないと思いますね。
民法はヘリコプターで取材でなく何よりも生存者の救助にあたるべきである。
日頃の古いアウトドァー用具があったので昨日トラックで相馬市の友人の所に行ってきました、そんなことで自分の心を慰めております、困った事態になってしまった、山親爺は泣いている。
今すぐできること、とりあえず
四万十への「おあし」を被災地へ送ること。
それしかできません。