年末に録画しておいた岡林信康のDVDを観た。
フォ-クの神様と言われた岡林は還暦を過ぎて今、カッコ良くなったなあと思う。
昔の岡林とは打って変わって、言葉も表情も生き方も実に穏やかな印象を受けた。
歳を重ねるごとに、あんな風に自然体で穏やかになれたらいいのにとつくづく思う。
僕が岡林の歌を知ったのは中学生の頃であろうか?
新宿地下道で反戦安保の集会に集まった若者たちの歌う姿が夜ごとテレビに映し出されていた。
♪ 友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの 焔を燃やせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある ♪
反戦安保の何たるかを殆ど理解できなかった僕も、
あの轟くような歌声と強い意志の籠った歌詞には感動したものである。
その後の受験勉強やあてどない未来を思うとき、どれだけ勇気をもらったことだろうか。
♪ 今日の仕事はつらかった
あとは焼酎を あおるだけ ♪
録画したDVDから最初に流れたのは『山谷ブル-ス』であった。
この曲にも想い出がある。
大学に入った年の夏、僕は高校時代からの友達Sと千葉の工事現場にいた。
どうしてもまとまった金が欲しかったからである。
その年の春、僕とSは海外旅行を企ていた。
それも無銭旅行である。
『遺骨収集団に参加すれば只でグァムへ行けるぞ!』
Sが持ってきたのは、こんな企画であった。
こんなチャンスは二度とない、無一文の僕たちの結論であった。
ところがである、そんなに甘い話しはないのであって。
よくよく調べてみると参加費用の数万円が必要であった。
この軍資金稼ぎに件の工事現場へと言うわけである。
口入れ屋のおっさんに連れられて辿り着いたのは千葉の姉ヶ崎であった。
へばらない程度に働く、土方の仕事術を知らなかった僕とSは遮二無二働いてへとへとになった。
飯のあとの焼酎をあおりながら岡林の『山谷ブル-ス』を歌ったものである。
飯場には得体の知れぬ25人ほどのならず者がいて寝起きを共にしたのだけれど
それはそれでおもしい日々でもあったのだが辛い仕事は1週間とはもたなかった。
食費やら口入れ屋の手数料を引かれて2万円ほどの金を握りしめて
東京へ帰ったのだけれどグァム行きの船には到底乗れない金額である。
泣く泣く諦めて僕ひとり二泊三日の槍ヶ岳山行へと旅立った。
これが丹沢以外で初めての本格的な山との出会いとなり山に通い詰める切っ掛けになった。
人生は、どこでどう転ぶか分からない。
だからまたおもしろいのだけれど、あと何年かで還暦を迎えようとしている僕も
肩肘張らずに自然体で山や溪を楽しんでいる姿は岡林と重なるような気がしてならない。
そんな風に思ってくすくすと含み笑いなどをしている自分に
また可笑しさが込み上げてしまう今日この頃なのでありました。
フォ-クの神様と言われた岡林は還暦を過ぎて今、カッコ良くなったなあと思う。
昔の岡林とは打って変わって、言葉も表情も生き方も実に穏やかな印象を受けた。
歳を重ねるごとに、あんな風に自然体で穏やかになれたらいいのにとつくづく思う。
僕が岡林の歌を知ったのは中学生の頃であろうか?
新宿地下道で反戦安保の集会に集まった若者たちの歌う姿が夜ごとテレビに映し出されていた。
♪ 友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの 焔を燃やせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある ♪
反戦安保の何たるかを殆ど理解できなかった僕も、
あの轟くような歌声と強い意志の籠った歌詞には感動したものである。
その後の受験勉強やあてどない未来を思うとき、どれだけ勇気をもらったことだろうか。
♪ 今日の仕事はつらかった
あとは焼酎を あおるだけ ♪
録画したDVDから最初に流れたのは『山谷ブル-ス』であった。
この曲にも想い出がある。
大学に入った年の夏、僕は高校時代からの友達Sと千葉の工事現場にいた。
どうしてもまとまった金が欲しかったからである。
その年の春、僕とSは海外旅行を企ていた。
それも無銭旅行である。
『遺骨収集団に参加すれば只でグァムへ行けるぞ!』
Sが持ってきたのは、こんな企画であった。
こんなチャンスは二度とない、無一文の僕たちの結論であった。
ところがである、そんなに甘い話しはないのであって。
よくよく調べてみると参加費用の数万円が必要であった。
この軍資金稼ぎに件の工事現場へと言うわけである。
口入れ屋のおっさんに連れられて辿り着いたのは千葉の姉ヶ崎であった。
へばらない程度に働く、土方の仕事術を知らなかった僕とSは遮二無二働いてへとへとになった。
飯のあとの焼酎をあおりながら岡林の『山谷ブル-ス』を歌ったものである。
飯場には得体の知れぬ25人ほどのならず者がいて寝起きを共にしたのだけれど
それはそれでおもしい日々でもあったのだが辛い仕事は1週間とはもたなかった。
食費やら口入れ屋の手数料を引かれて2万円ほどの金を握りしめて
東京へ帰ったのだけれどグァム行きの船には到底乗れない金額である。
泣く泣く諦めて僕ひとり二泊三日の槍ヶ岳山行へと旅立った。
これが丹沢以外で初めての本格的な山との出会いとなり山に通い詰める切っ掛けになった。
人生は、どこでどう転ぶか分からない。
だからまたおもしろいのだけれど、あと何年かで還暦を迎えようとしている僕も
肩肘張らずに自然体で山や溪を楽しんでいる姿は岡林と重なるような気がしてならない。
そんな風に思ってくすくすと含み笑いなどをしている自分に
また可笑しさが込み上げてしまう今日この頃なのでありました。