ゴォ-ン、ゴォ-ン、ゴォ-ン…。
お城の時計塔が十二時を告げる鐘を鳴らし、王子様とのダンスに夢中になっていたシンデレラははっと我に返りました。
それにしてもシンデレラも王子様も、舞踏会が何時に始まったにしろ夜中の十二時まで踊り続けるなんて大した体力です。それに付き合わされている、舞踏会に招かれたお客様、さらには演奏を延々と続けなければならなかった宮廷楽団の方々もいい迷惑です。
それはまあともかく、十二時になればシンデレラにかかっていた魔法も解け、シンデレラは元のみすぼらしい灰被り娘に戻ってしまいます。そんな恥ずかしい姿を王子様に見られるわけにはいきません。
「まあ、大変、帰らなくっちゃ」
そう言ってシンデレラは一緒に踊っていた王子様の手を振りほどこうとしました。シンデレラのこの振る舞いに驚いたのは王子様の方です。それまで共に楽しい時間を過ごしてはずの女性がいきなり帰るといい出したら、王子様でなくても、おいおい、それはないだろと言いたくなります。
「どうしたというのだ、そなた…」
そう言いかけて王子様は自分が一緒に踊っていた女性の名前を聞いていなかったことにようやく気付きました。名前どころか、住所も、好きな食べ物も、趣味も、スリ-サイズも…。ワオ!何という大失態!
王子様は一瞬自分の迂闊さを呪い、天を仰ぎ、オゥマイガッと十字を切るマネをしました。その隙をついてシンデレラは王子様の脇をするりとすり抜け、階段へと駆け出しました。
しかし所詮ドレスをまとったシンデレラが足の速さで王子様に敵うはずもありません。王子様は階段の途中でシンデレラに追いつきかけました。
「待ちたまえ、そなた…」
王子様がその手をシンデレラの肩に置こうとした、その時です。 ひときわ大きく、まるで世界の隅々にまで一日の終わりを知らしめようかというようにゴゥオォォワワワァ-ンと時計塔が最後の鐘の音を鳴り響かせました。
そして王子様は思わず息を飲んで立ちすくんでしまいました。何ということでしょう。ウォォォン…という鐘の音の、重く、低いその余韻の中で、シンデレラの体からまるで蝶の燐粉のように光がふっと発せられては消え、消えては発し、それが繰り返され、シンデレラの姿が少しづつ変わっていったのです。
それまで着ていた最新流行の最高級品かつ最悪趣味のパ-ティドレスから、町娘の身なりに、いいえ、町娘というのでさえはばかられる、薄汚れた乞食のような格好に変わってしまったのです。
必死に走っていたシンデレラ自身は自分の姿が変わってしまったことに気付かないようでした。また自分の靴の片一方が懸命に駆けるあまり脱げてしまったことにも…。
駆けていくシンデレラの後ろ姿をただ茫然と見送りながら、王子様はシンデレラが履いていた靴を拾いあげ、首をかしげました。
「何という不思議な娘なのであろう…」
王子様は一人呆然と立ち尽くしたまま、名前も知らぬ娘の消え去った闇を、いつまでも、いつまでもただ
見つめていました。
舞踏会の次の日、シンデレラは一睡もせずに朝を迎えました。
とはいっても舞踏会での興奮が冷めやらず寝つけなかった、というわけでも、王子様のことを想うあまり目が冴えてしまった、というわけでもありません。
本来ならば舞踏会の間に片付けておかなければならなかった、ジャガイモの皮剥き、台所の床掃除、姉達の飼っている猫の蚤取り、馬の毛並み繕い、洗濯、縫い物、その他諸々の雑用がシンデレラから眠りを奪ったのです。魔法使いのおばあさんもさすがにそこまでのフォローには気が回りませんでした。
もちろん本当であればシンデレラとしても舞踏会から帰ってすぐにベッドに倒れ込みたくて仕方ありませんでした(とはいってもシンデレラのベッドは古くなって使われなくなった暖炉に藁を敷きつめただけの粗末なものでしたが)。
何しろ舞踏会の間中ずっと王子様と踊りっぱなしでしたし、靴を片っぽ忘れた事に気付いて途中で戻ったのはいいのだけれど、お城に再び入ることは叶わず、小一時間も花壇の隅でしゃがみ込んだまま、結局お城から家までの(行きは馬車で楽ちんだった)道のりを片方裸足で歩いて帰らなければなりませんでした。
とにかくすぐに眠りにつくというような贅沢はシンデレラには到底許されませんでした。もし言いつけておいた用事を怠けていたことがわかったら、義母や義姉に何と言って苛められるかわかりません。
シンデレラはジャガイモの最後の一個の皮を一番鶏の鳴き声とともにようやく剥き終え、ふらふらとしながらも何とか立ち上がりました。体力はとうに限界を超え、意識は朦朧とし、頭もひどくズキズキと痛みます。
もう、だめ…。死んじゃう…。
さすがのシンデレラも思わず弱音を吐いて、へたり込みそうでした。しかしこれから義母や義姉のために朝食を用意しなければなりません。彼女たちがまた朝からよく御召し上がりになられるので用意する量も半端ではありません。
シンデレラはふらつく足取りでかまどの前に立つと、今日の朝食のメニュ-は何にしようかしら…とぼんやりとした頭で考えました。何を作ろうかしら…。昨日は何を作ったのかしら…。シンデレラにとって今日は昨日の続き、いつもと同じ、何一つ変わらない地獄の始まりでした。
「シンデレラっ!!」
台所のドアがバンと開け放たれ、テ-ブルに突っ伏して眠っていたシンデレラはヒャッと飛び起きました。
「お前ったら、何て朝寝坊で、怠け者で、愚図なんだろ?まだ朝飯の用意もできてないじゃないか?一体何様のつもりなんだい?」
赤い布を見て突っ込んできた猛牛よろしくまくし立ててきたのはシンデレラの義母でした。かまどにかけられた鍋にはお湯がぐつぐつと煮えたぎっています。
「ごめんなさい、お義母様、私ったら、つい、つい、ごめんなさい、お義母様!眠ってしまって!」
シンデレラの言葉などまるで耳に入らず、目ざとい義母はすぐにそのことに気が付きました。
「まあっ、まあっ、まあっ、何てことなの、シンデレラ、お前ったら、靴を片っぽしか履いてないじゃあないか?」
そうでした。シンデレラはお城に靴を忘れたままでした。ちなみに彼女には替えの靴、などという贅沢なものはありません。
「ごめんなさい、私ったら、靴を、靴を、失くしてしまって…」
涙声で謝るシンデレラに義母は冷たく言い放ちました。
「シンデレラ、お前の馬鹿さ加減にはほとほと愛想が尽きたよ。いいかい、罰として、これから一ヵ月の間、靴を片っぽだけでお過ごし!」
「そ、そんな、これから冬を迎えるというのに…」
「まあ、お母様ったら、シンデレラにはホントお優しいんだから」
シンデレラの言葉を途中で遮ったのは、いつの間に現れたのか、一番上の義姉でした。
「私だったら、少なくとも半年は靴を片っぽで過ごさせるのに!」
「そんな、そんな、お義姉様、半年もだなんて…」
「まあ、お母様も、お姉様も、シンデレラにはお甘くって困るわ」
シンデレラの言葉を再び遮ったのはやはりいつの間に現れたのか、二番目の義姉でした。彼女は勿体ぶって言いました。
「私だったら一年間は裸足で過ごさせるのに」
もうシンデレラには何かを言い返す気力も失われていました。どうして、自分ばかりがこんな目に合わなければいけないのだろう。どうして自分ばっかり…。お母さん…。
その時、来客を告げる呼び鈴が鳴らされました。
「まあ、誰かしらね、こんな朝早くに」
最初、義母はシンデレラに来客の応対をさせようとしましたが、シンデレラの薄汚い格好に目を留め、さすがにそれは思い止まりました。
義母が玄関先でお客様の相手をしている間、シンデレラは朝食の準備をしていたので、そのお客様の姿を目にすることはかないませんでした。しかし、そのお客様は家の隅々にまで通るほどたいそう朗々とした、大きな声の持ち主だったので、自らが城からやってきた王子の使いの者であること、本日昼十二時ちょうど、国中の未婚の女性は普段履き慣れた靴を持参して城の大広間に集まること、などと述べていることはシンデレラの耳にも入ってきました。
「どの靴を持っていこうかしら、お母様?」
朝食を食べている間も、義姉達二人は大はしゃぎです。普段履き慣れた靴を、というお達しも耳の穴から鼻の穴に突き抜けてしまったようでした。
「でも、シンデレラは、」
そう言って二人の義姉は顔を見合わせ、ケラケラと蛙のような笑い声をあげました。
「靴を失くしてしまったからお城には行けないわよ、ねぇ」
自分たちがよそ行き用の靴を持っていこうとしていることなどまるで頭に無いような台詞を彼女たちは声を合わせて言いました。
けれどシンデレラは、義姉達の嫌味もよく耳に入りませんでした。目の前で起こっていることが全てどこか遠い世界の、自分には関係のない出来事のようでした。
「じゃあ、行ってくるわね、シンデレラ、留守番、ちゃあんと、よろしくね」
昼近くになり、二人の義姉は顔に化粧をぎとぎとと塗りたくり、まだ一度も履いたことのない取っておきの靴を後生大事に抱え、また義母は付添いでお城へと出掛けていきました。
一人残されたシンデレラは黙々とジャガイモの皮を剥きながら、義姉達はお城の大広間で王子様とお目通り叶っているのだろうかと思いを巡らしました。そしてこうも思いました。再び自分が王子様と会える日がいつか来るのだろうか…。
その時です、馬のいななきが聞こえたのは!
誰かしら、義母たちが用事を早めに切り上げて戻ってきたのかしら…。
不審に思ったシンデレラはジャガイモの皮剥きの手を休め、表に出ました。そしてシンデレラはあっと声を上げてしまいました。
そこにいたのは、誰であろう、白馬に乗った王子様だったのです。
「お、王子様…」
シンデレラは目の前に王子様がいることが信じられず、言葉を失っていました。
王子様はそんなシンデレラを横目でちらりと見ると、さらりとした前髪を優雅にかきわけ、ひらりと白馬から降り立ちました。
「シンデレラよ…」
どこで調べたのか、王子様はシンデレラの名を優しく呼ぶと、シンデレラがあの日忘れていった片方だけの靴を彼女に差し出しました。
王子様…。
シンデレラは感激のあまり、涙を流しそうになりました。
私の、私のために、わざわざ、靴を、届けて、くれ、る、なんて。王子様…。
王子様は、シンデレラの手を優しく包み込み、そっと靴を握らせると、耳元でこうささやきました。
「シンデレラ、この靴を、このボロボロの薄汚い靴を、あの日と同じようにガラスの、いや、出来たら金の靴に変えてくれないか、私の、目の、前で」
さて、これにて一段目は終了です。
随分と性悪な結末になったものと自負しております。二段目はさらに輪を掛けて極悪なものとなっています。
そういったものが苦手な方、食傷気味な方は読み進めない方が賢明でしょう。
それでは二段目をどうぞ。
*『シンデレラは眠れない』(二段目) へ
お城の時計塔が十二時を告げる鐘を鳴らし、王子様とのダンスに夢中になっていたシンデレラははっと我に返りました。
それにしてもシンデレラも王子様も、舞踏会が何時に始まったにしろ夜中の十二時まで踊り続けるなんて大した体力です。それに付き合わされている、舞踏会に招かれたお客様、さらには演奏を延々と続けなければならなかった宮廷楽団の方々もいい迷惑です。
それはまあともかく、十二時になればシンデレラにかかっていた魔法も解け、シンデレラは元のみすぼらしい灰被り娘に戻ってしまいます。そんな恥ずかしい姿を王子様に見られるわけにはいきません。
「まあ、大変、帰らなくっちゃ」
そう言ってシンデレラは一緒に踊っていた王子様の手を振りほどこうとしました。シンデレラのこの振る舞いに驚いたのは王子様の方です。それまで共に楽しい時間を過ごしてはずの女性がいきなり帰るといい出したら、王子様でなくても、おいおい、それはないだろと言いたくなります。
「どうしたというのだ、そなた…」
そう言いかけて王子様は自分が一緒に踊っていた女性の名前を聞いていなかったことにようやく気付きました。名前どころか、住所も、好きな食べ物も、趣味も、スリ-サイズも…。ワオ!何という大失態!
王子様は一瞬自分の迂闊さを呪い、天を仰ぎ、オゥマイガッと十字を切るマネをしました。その隙をついてシンデレラは王子様の脇をするりとすり抜け、階段へと駆け出しました。
しかし所詮ドレスをまとったシンデレラが足の速さで王子様に敵うはずもありません。王子様は階段の途中でシンデレラに追いつきかけました。
「待ちたまえ、そなた…」
王子様がその手をシンデレラの肩に置こうとした、その時です。 ひときわ大きく、まるで世界の隅々にまで一日の終わりを知らしめようかというようにゴゥオォォワワワァ-ンと時計塔が最後の鐘の音を鳴り響かせました。
そして王子様は思わず息を飲んで立ちすくんでしまいました。何ということでしょう。ウォォォン…という鐘の音の、重く、低いその余韻の中で、シンデレラの体からまるで蝶の燐粉のように光がふっと発せられては消え、消えては発し、それが繰り返され、シンデレラの姿が少しづつ変わっていったのです。
それまで着ていた最新流行の最高級品かつ最悪趣味のパ-ティドレスから、町娘の身なりに、いいえ、町娘というのでさえはばかられる、薄汚れた乞食のような格好に変わってしまったのです。
必死に走っていたシンデレラ自身は自分の姿が変わってしまったことに気付かないようでした。また自分の靴の片一方が懸命に駆けるあまり脱げてしまったことにも…。
駆けていくシンデレラの後ろ姿をただ茫然と見送りながら、王子様はシンデレラが履いていた靴を拾いあげ、首をかしげました。
「何という不思議な娘なのであろう…」
王子様は一人呆然と立ち尽くしたまま、名前も知らぬ娘の消え去った闇を、いつまでも、いつまでもただ
見つめていました。
舞踏会の次の日、シンデレラは一睡もせずに朝を迎えました。
とはいっても舞踏会での興奮が冷めやらず寝つけなかった、というわけでも、王子様のことを想うあまり目が冴えてしまった、というわけでもありません。
本来ならば舞踏会の間に片付けておかなければならなかった、ジャガイモの皮剥き、台所の床掃除、姉達の飼っている猫の蚤取り、馬の毛並み繕い、洗濯、縫い物、その他諸々の雑用がシンデレラから眠りを奪ったのです。魔法使いのおばあさんもさすがにそこまでのフォローには気が回りませんでした。
もちろん本当であればシンデレラとしても舞踏会から帰ってすぐにベッドに倒れ込みたくて仕方ありませんでした(とはいってもシンデレラのベッドは古くなって使われなくなった暖炉に藁を敷きつめただけの粗末なものでしたが)。
何しろ舞踏会の間中ずっと王子様と踊りっぱなしでしたし、靴を片っぽ忘れた事に気付いて途中で戻ったのはいいのだけれど、お城に再び入ることは叶わず、小一時間も花壇の隅でしゃがみ込んだまま、結局お城から家までの(行きは馬車で楽ちんだった)道のりを片方裸足で歩いて帰らなければなりませんでした。
とにかくすぐに眠りにつくというような贅沢はシンデレラには到底許されませんでした。もし言いつけておいた用事を怠けていたことがわかったら、義母や義姉に何と言って苛められるかわかりません。
シンデレラはジャガイモの最後の一個の皮を一番鶏の鳴き声とともにようやく剥き終え、ふらふらとしながらも何とか立ち上がりました。体力はとうに限界を超え、意識は朦朧とし、頭もひどくズキズキと痛みます。
もう、だめ…。死んじゃう…。
さすがのシンデレラも思わず弱音を吐いて、へたり込みそうでした。しかしこれから義母や義姉のために朝食を用意しなければなりません。彼女たちがまた朝からよく御召し上がりになられるので用意する量も半端ではありません。
シンデレラはふらつく足取りでかまどの前に立つと、今日の朝食のメニュ-は何にしようかしら…とぼんやりとした頭で考えました。何を作ろうかしら…。昨日は何を作ったのかしら…。シンデレラにとって今日は昨日の続き、いつもと同じ、何一つ変わらない地獄の始まりでした。
「シンデレラっ!!」
台所のドアがバンと開け放たれ、テ-ブルに突っ伏して眠っていたシンデレラはヒャッと飛び起きました。
「お前ったら、何て朝寝坊で、怠け者で、愚図なんだろ?まだ朝飯の用意もできてないじゃないか?一体何様のつもりなんだい?」
赤い布を見て突っ込んできた猛牛よろしくまくし立ててきたのはシンデレラの義母でした。かまどにかけられた鍋にはお湯がぐつぐつと煮えたぎっています。
「ごめんなさい、お義母様、私ったら、つい、つい、ごめんなさい、お義母様!眠ってしまって!」
シンデレラの言葉などまるで耳に入らず、目ざとい義母はすぐにそのことに気が付きました。
「まあっ、まあっ、まあっ、何てことなの、シンデレラ、お前ったら、靴を片っぽしか履いてないじゃあないか?」
そうでした。シンデレラはお城に靴を忘れたままでした。ちなみに彼女には替えの靴、などという贅沢なものはありません。
「ごめんなさい、私ったら、靴を、靴を、失くしてしまって…」
涙声で謝るシンデレラに義母は冷たく言い放ちました。
「シンデレラ、お前の馬鹿さ加減にはほとほと愛想が尽きたよ。いいかい、罰として、これから一ヵ月の間、靴を片っぽだけでお過ごし!」
「そ、そんな、これから冬を迎えるというのに…」
「まあ、お母様ったら、シンデレラにはホントお優しいんだから」
シンデレラの言葉を途中で遮ったのは、いつの間に現れたのか、一番上の義姉でした。
「私だったら、少なくとも半年は靴を片っぽで過ごさせるのに!」
「そんな、そんな、お義姉様、半年もだなんて…」
「まあ、お母様も、お姉様も、シンデレラにはお甘くって困るわ」
シンデレラの言葉を再び遮ったのはやはりいつの間に現れたのか、二番目の義姉でした。彼女は勿体ぶって言いました。
「私だったら一年間は裸足で過ごさせるのに」
もうシンデレラには何かを言い返す気力も失われていました。どうして、自分ばかりがこんな目に合わなければいけないのだろう。どうして自分ばっかり…。お母さん…。
その時、来客を告げる呼び鈴が鳴らされました。
「まあ、誰かしらね、こんな朝早くに」
最初、義母はシンデレラに来客の応対をさせようとしましたが、シンデレラの薄汚い格好に目を留め、さすがにそれは思い止まりました。
義母が玄関先でお客様の相手をしている間、シンデレラは朝食の準備をしていたので、そのお客様の姿を目にすることはかないませんでした。しかし、そのお客様は家の隅々にまで通るほどたいそう朗々とした、大きな声の持ち主だったので、自らが城からやってきた王子の使いの者であること、本日昼十二時ちょうど、国中の未婚の女性は普段履き慣れた靴を持参して城の大広間に集まること、などと述べていることはシンデレラの耳にも入ってきました。
「どの靴を持っていこうかしら、お母様?」
朝食を食べている間も、義姉達二人は大はしゃぎです。普段履き慣れた靴を、というお達しも耳の穴から鼻の穴に突き抜けてしまったようでした。
「でも、シンデレラは、」
そう言って二人の義姉は顔を見合わせ、ケラケラと蛙のような笑い声をあげました。
「靴を失くしてしまったからお城には行けないわよ、ねぇ」
自分たちがよそ行き用の靴を持っていこうとしていることなどまるで頭に無いような台詞を彼女たちは声を合わせて言いました。
けれどシンデレラは、義姉達の嫌味もよく耳に入りませんでした。目の前で起こっていることが全てどこか遠い世界の、自分には関係のない出来事のようでした。
「じゃあ、行ってくるわね、シンデレラ、留守番、ちゃあんと、よろしくね」
昼近くになり、二人の義姉は顔に化粧をぎとぎとと塗りたくり、まだ一度も履いたことのない取っておきの靴を後生大事に抱え、また義母は付添いでお城へと出掛けていきました。
一人残されたシンデレラは黙々とジャガイモの皮を剥きながら、義姉達はお城の大広間で王子様とお目通り叶っているのだろうかと思いを巡らしました。そしてこうも思いました。再び自分が王子様と会える日がいつか来るのだろうか…。
その時です、馬のいななきが聞こえたのは!
誰かしら、義母たちが用事を早めに切り上げて戻ってきたのかしら…。
不審に思ったシンデレラはジャガイモの皮剥きの手を休め、表に出ました。そしてシンデレラはあっと声を上げてしまいました。
そこにいたのは、誰であろう、白馬に乗った王子様だったのです。
「お、王子様…」
シンデレラは目の前に王子様がいることが信じられず、言葉を失っていました。
王子様はそんなシンデレラを横目でちらりと見ると、さらりとした前髪を優雅にかきわけ、ひらりと白馬から降り立ちました。
「シンデレラよ…」
どこで調べたのか、王子様はシンデレラの名を優しく呼ぶと、シンデレラがあの日忘れていった片方だけの靴を彼女に差し出しました。
王子様…。
シンデレラは感激のあまり、涙を流しそうになりました。
私の、私のために、わざわざ、靴を、届けて、くれ、る、なんて。王子様…。
王子様は、シンデレラの手を優しく包み込み、そっと靴を握らせると、耳元でこうささやきました。
「シンデレラ、この靴を、このボロボロの薄汚い靴を、あの日と同じようにガラスの、いや、出来たら金の靴に変えてくれないか、私の、目の、前で」
さて、これにて一段目は終了です。
随分と性悪な結末になったものと自負しております。二段目はさらに輪を掛けて極悪なものとなっています。
そういったものが苦手な方、食傷気味な方は読み進めない方が賢明でしょう。
それでは二段目をどうぞ。
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