この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

今さらながら杉田水脈自民党衆議院議員の雑誌「新潮45」への記事を読みました。

2018-09-28 23:55:22 | 戯言
 今さらながら杉田水脈自民党衆議院議員の雑誌「新潮45」への記事を読みました(全文はこちら)。
 思うところを述べてみたいと思います。

 こう言っては何ですが、杉田議員は正しいことを言っている、そう思いました。
 ただその正しさは“愛”というものを本質的に理解していない人間の正しさですが。

 “愛”とは何か、人によって定義は様々だと思いますが、ここでは「ある存在を自分の命よりも大切に思うこと」だとします。
 理想的なことを言えば“愛”は同年代の異性に向けられるのが望ましいです。杉田議員の言葉を借りれば、同年代の異性のカップル間の“愛”が一番生産性が見込めるからです。

 ただ、残念ながら“愛”は同年代の異性に対して自然発生的にホイホイと生まれるものじゃないんですよね。
 生きる環境が違い、生きてきた人生が違うのであれば、何に対して愛情を抱くのか、当然違ってきます。
 異性を愛することもあれば、同性を愛することもある、人ではなく、犬や猫に人に向けるものと同じ愛を抱くこともある、車やバイク、二次元キャラ、アイドル、そういったものであっても、その存在を自分の命以上に大切に思うのであれば、それは“愛”と言えるでしょう。

 まぁ二次元キャラにいくらお金をつぎ込んだところで喜ぶのはひたすら著作権を持つメーカーだけであって、何の報いもない。見返りもない。不毛ですらある。
 でもそれこそが“愛”なのです。

 ひたすら生産性を重視し、効率を重視すれば、杉田議員の言っていることは正しいと言えます。
 ただし、その正しさには“愛”がない。
 “愛”がない世界で私たちが生きていく楽しみを見いだせるのか、笑顔でいられるのか、杉田議員は一度考えてみるべきでしょう。

 何だか杉田議員の記事を100%否定するような記事になってしまいましたが、そうではないのです。共感できる部分もあります。
 それは、
>少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。
 というところです。

 世の中には乳飲み子を抱えた母親が働きに出なければ暮らしていけない世帯もあります。
 そんな社会は絶対におかしい(乳飲み子を抱えた母親が働いてはいけないという意味ではないです)。
 女性が安心して子どもを産み、育てられる社会でなければいけない。
 
 同性愛者か、異性愛者か、そういったことを抜きにして、子どもを持たない者たちは、子どもを持つ貧困世帯を可能な限り支援する義務がある、自分はそう考えます。
 これは、子どもは親にとってだけでなく、社会にとっても宝なのだという考えに起因するものです。
 この考えは間違っていないと思うのですが、どうでしょうか。
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