アリ・アスター監督、ホアキン・フェニックス主演、『ボーはおそれている』、2/23、ユナイテッド・シネマトリアス久山にて鑑賞(2ポイント消費で鑑賞料金1000円)。2024年10本目。
映画の上映時間は基本的に2時間以内であるべきだと考えています。
なぜ映画の上映時間は2時間以内であるべきなのか?
理由はテレビで放映される時のことを考えて、、、といった大人の事情ではなく、単純に人間の膀胱の大きさを考慮すると、尿意や便意を我慢出来る平均時間はそれぐらいではないかと思うからです。
ですから、監督がどうしてもそれだけの時間が必要だと考えるのであれば、もしくは映画の内容がそれに見合うだけのものがあれば、上映時間が3時間(以上)になったとしても構わないと思います。
『ロード・オブ・ザ・リング』の上映時間が178分あることに文句を言う人はいないでしょう。
さて、『ボーはおそれている』の上映時間はどれぐらいかというと、『ロード・オブ・ザ・リング』とほぼ同じ179分です。
はっきり言わせてもらうと『ボーはおそれている』にそれだけの上映時間に見合う何かがあるかというと、自分はそうは思えませんでした。
延々と悪夢が続くことを表現するためにそれだけの上映時間が必要だったと監督は言うかもしれませんが、延々と悪夢が続くことを表現するのに上映時間を延々と引き延ばさなければいけなかったというのであれば、それは「私には映画を撮る才能がありません」と言っているようなものだと思いますけどね。
上映時間云々は横に置いとくとしても、単純にストーリー自体まったく感心しませんでした。
序盤のボロアパートを舞台に主人公のボウ(「ボウ」なのか、「ボー」なのかはっきりしろと言いたいです)に次から次に不運な出来事が起きるところまではよかったんですよ。
風呂場の天井に男が張り付いているのはプッと吹き出してしまいました。
しかし、ボウが医者(の妻)の車に轢かれた以降の展開は正直パッとしなかったですね。
だいたい医者(の妻)の車に轢かれたからといって、轢いた相手を医者が自宅に持ち帰るなんてこと、あり得ないと思うんです。
本作のようなシュールなコメディに「あり得ない」とツッコミを入れるのは野暮だと思われるかもしれませんが、限りなく可能性が低いことが主人公の身に立て続けに起きるから面白いのであって、あり得ないことが起きてしまっては面白くも何ともないです。
あり得ないことはその後も続き、母の死を聞かされたボウが自宅に戻ると、すべてはボウの忠誠心を試すための母親の仕組んだお芝居だったことが明かされます。
いやいや、あり得ないって!
何があり得ないって、ほぼほぼすべてあり得ないんですが、まず自宅があれほどの豪邸なのに、どうしてボウはあんなボロアパートで一人暮らしをしているんですかね?
そこらへんのことを監督に聞いてもたぶん適当にはぐらかすだけじゃないでしょうか。
母親の葬式は彼女自身が仕組んだ茶番なのですが、そのために長年使えてきたメイドを自分の身代わりとして殺してしまうのです。
そんなどーでもいい理由で殺されることに納得する人間っているんですかね。
ボウは母親から死んだと聞かされていた父親が生きていて、その父親がラブクラフト的な怪物であることを知るのですが、そのことで「えぇ?」と驚いたり、「ほぅ」と感心したりする人ってどれぐらいいるのでしょうか。
自分は「だから何?」としか思えませんでした。
最終的にボウは湖でボートに乗るのですが、なぜかコロッセオじみた裁判所に閉じ込められます。
整合性のある結末とは言えないので、これは彼の見る夢だということなのでしょう。
三時間の映画に付き合わされ、最後に用意されたものが「夢落ち」って何なんですかね。
『世にも奇妙な物語』ならともかく、三時間の超大作でそれはないなと思いました。
お気に入り度★☆、お薦め度★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
映画の上映時間は基本的に2時間以内であるべきだと考えています。
なぜ映画の上映時間は2時間以内であるべきなのか?
理由はテレビで放映される時のことを考えて、、、といった大人の事情ではなく、単純に人間の膀胱の大きさを考慮すると、尿意や便意を我慢出来る平均時間はそれぐらいではないかと思うからです。
ですから、監督がどうしてもそれだけの時間が必要だと考えるのであれば、もしくは映画の内容がそれに見合うだけのものがあれば、上映時間が3時間(以上)になったとしても構わないと思います。
『ロード・オブ・ザ・リング』の上映時間が178分あることに文句を言う人はいないでしょう。
さて、『ボーはおそれている』の上映時間はどれぐらいかというと、『ロード・オブ・ザ・リング』とほぼ同じ179分です。
はっきり言わせてもらうと『ボーはおそれている』にそれだけの上映時間に見合う何かがあるかというと、自分はそうは思えませんでした。
延々と悪夢が続くことを表現するためにそれだけの上映時間が必要だったと監督は言うかもしれませんが、延々と悪夢が続くことを表現するのに上映時間を延々と引き延ばさなければいけなかったというのであれば、それは「私には映画を撮る才能がありません」と言っているようなものだと思いますけどね。
上映時間云々は横に置いとくとしても、単純にストーリー自体まったく感心しませんでした。
序盤のボロアパートを舞台に主人公のボウ(「ボウ」なのか、「ボー」なのかはっきりしろと言いたいです)に次から次に不運な出来事が起きるところまではよかったんですよ。
風呂場の天井に男が張り付いているのはプッと吹き出してしまいました。
しかし、ボウが医者(の妻)の車に轢かれた以降の展開は正直パッとしなかったですね。
だいたい医者(の妻)の車に轢かれたからといって、轢いた相手を医者が自宅に持ち帰るなんてこと、あり得ないと思うんです。
本作のようなシュールなコメディに「あり得ない」とツッコミを入れるのは野暮だと思われるかもしれませんが、限りなく可能性が低いことが主人公の身に立て続けに起きるから面白いのであって、あり得ないことが起きてしまっては面白くも何ともないです。
あり得ないことはその後も続き、母の死を聞かされたボウが自宅に戻ると、すべてはボウの忠誠心を試すための母親の仕組んだお芝居だったことが明かされます。
いやいや、あり得ないって!
何があり得ないって、ほぼほぼすべてあり得ないんですが、まず自宅があれほどの豪邸なのに、どうしてボウはあんなボロアパートで一人暮らしをしているんですかね?
そこらへんのことを監督に聞いてもたぶん適当にはぐらかすだけじゃないでしょうか。
母親の葬式は彼女自身が仕組んだ茶番なのですが、そのために長年使えてきたメイドを自分の身代わりとして殺してしまうのです。
そんなどーでもいい理由で殺されることに納得する人間っているんですかね。
ボウは母親から死んだと聞かされていた父親が生きていて、その父親がラブクラフト的な怪物であることを知るのですが、そのことで「えぇ?」と驚いたり、「ほぅ」と感心したりする人ってどれぐらいいるのでしょうか。
自分は「だから何?」としか思えませんでした。
最終的にボウは湖でボートに乗るのですが、なぜかコロッセオじみた裁判所に閉じ込められます。
整合性のある結末とは言えないので、これは彼の見る夢だということなのでしょう。
三時間の映画に付き合わされ、最後に用意されたものが「夢落ち」って何なんですかね。
『世にも奇妙な物語』ならともかく、三時間の超大作でそれはないなと思いました。
お気に入り度★☆、お薦め度★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。