この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

見返りを求めて。

2022-06-23 22:55:32 | 戯言
 まずは昨日の記事の訂正から。
 昨日の記事の中で、
>ユナイテッド・シネマ福岡ももちでの6月25日の『神は見返りを求める』の上映開始時刻は11:20です。
>うん、ちょうどいい開始時刻だな。
 と書きましたが、よくよく考えたら6月25日はpaypayドームでホークスの試合が行われるのでした。
 ホークスの試合があっているときにユナイテッドシネマ福岡ももちに映画を観に行くもんじゃないですよね。
 考えに考えた末に『神は見返りを求める』はキノシネマ天神に観に行くことにしました。
 駐車場代がかかるけど、それが一番賢い選択だろう…。

 さて、あなたは見返りを求めますか?
 ぶっちゃけて言ってしまうと自分はめっちゃ見返りを求める人間です。

 以前、「【情けは人の為ならず】という諺は見返りを求めて行動しなさいという意味ですよね」とある人に言ったら、露骨に嫌な顔をされ、「その考え方は間違っている」と言われました。
 【情けは人の為ならず】をまさか「情けをかけることはその人の為にならない」という意味に取っている人はいないと思います。
 文化庁によれば【情けは人の為ならず】は「人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくる」という意味の言葉だそうです。
 ここでいう「自分に返ってくる良い報い」って一言で言ってしまえば「見返り」になると思うのです。
 確かに「見返り」という言葉に良い響きはありませんが、じゃあ「自分に返ってくる良い報い」と何が違うのかと聞かれたら、自分には具体的な違いは見いだせません。

 自分は見返りを求める人間だと言いました。
 でもこの場合の見返りは何も現金や即物的なものを指すのではありませんよ。
 ありがとうの言葉でもいいし、態度でもいい、要はその人に対して何かをしてあげて良かったと思える対価です。
 それは何も現金でなくてもいい。
 もちろん現金でもいいですけどね。笑。

 親切にしてあげたら親切にして欲しいし、逆に親切にしてもらったら親切にしてあげたいです。
 そういったことを求めて何が悪いのか、自分にはわかりません。
 親切は人を選ばずにするべきだ、という人もいるかもしれませんが、そこまで器の大きいことを求められても自分には無理です。
 特に自分に対して悪意を持つ人に対して親切にしようなどという気はさらさらありません。

 器の小さいことを言っているのかもしれませんね。
 ともかく自分はそういう人間なのです。
 あしからず。
コメント (4)
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