この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

とろサーモン久保田を擁護してみる。

2018-12-10 22:07:49 | 戯言
 上沼恵美子への暴言を吐いたとろサーモン久保田へのバッシングは凄まじいものがありますね。
 これだけ激しくバッシングされるのであれば仕事も激減、最悪芸能界から追放されるかもしれませんね。
 ただ自分は捻くれ者なのであえて彼のことを擁護してみたいと思います。

 まず、「酔っているのを理由にして」とか何とか前置きするのはめっちゃカッコ悪いですよね。
 酔っているんだから何を言ってもよい、何をしてもよいってことにはならないですから。
 それに「更年期障害云々」っていうのも頭悪いこと言ってるなぁと思いました(この発言は久保田ではない)。

 ただ、「自分目線の感情だけで審査するのやめてください」というのには完全に同意します。
 審査するのが漫才という、明確な審査基準のないものだからこそ審査員各自の公平な審査基準が当然欲しい。

 ギャロップの自虐ネタに対する完全否定とも取れる酷評を聞いたときは「厳しいこと言うなぁ」とは思いつつもそこまで不快な気持ちにはなりませんでした。
 そっか、上沼恵美子は自虐ネタに対して否定的なスタンスなんだな、と思っただけでした。

 しかしミキの自虐ネタには手のひらを返したように「あんたたちのネタ大好き!」と大絶賛したときには開いた口が塞がりませんでした。
 ほんのついさっき、「自虐ネタは不快」みたいなことを言ったばかりなのに!
 世の中テレビカメラの前でこうもあからさまに依怙贔屓が出来る人間がいるのか!と驚くとともにこれ以上ないっていうぐらい不愉快な気持ちになりました。

 たぶんこの気持ちは、依怙贔屓をする側の人間、そして依怙贔屓をされる側の人間にはわからないんでしょうね。わかるのは依怙贔屓をされない(で生きてきた)側の人間だけなのでしょう。

 その証拠に上沼恵美子は暴言騒動に言及して、「(M1の審査で)私は依怙贔屓はしません」と言ってのけたそうです。
 あれが依怙贔屓でないのか!!
 本当にビックリしました。
 依怙贔屓をする人間は依怙贔屓をしている自覚がまったくないということなのでしょう。

 これはイジメをしている人間がイジメをしている自覚がなく、虐待をしている人間が虐待をしている自覚がないのと通じるものがあると思います。

 本来であれば抗議する権利はギャロップの二人にあります。
「何でボクたちのときは自虐ネタはダメと言っておきながらミキの自虐ネタは絶賛したんですか?ボクたちとミキの自虐ネタは何が違うんですか?」
 そう尋ねる権利が二人には間違いなくあったはずです。
 ただギャロップがそれをすると負け犬の遠吠えと取られる恐れがあります。
 だからこそ今回出場していなかったとろサーモンの久保田が代わりに言ったんじゃないですかね。

 確かに久保田の言葉には品がない。知性もない。ユーモアもない。
 でも芸人仲間のことを想って発したのであればその言葉には漢気がある、自分はそう思います。
コメント (2)
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