あるマイミクさんがマナー教室で同僚には「お疲れ様でした」、上司、もしくは目上の者に対しては「お疲れ様でございました」を用いる、というようなことを習ったと日記で書かれていました(注:若干脚色しています)。
お疲れ様でございました???
「お疲れ様」という言葉自体「お疲れ」+「様」で敬意を表しているのに、さらに丁寧口調となる「ございます」を語尾につけると何だか二重敬語のように自分には思えます。
気になって調べたところ、、「サザエです」の丁寧な表現が「サザエでございます」となるのと同じようなもので、「お疲れ様でございます」でも文法的には間違いでない、という意見がありました。
うん?そうなのかな?って首をひねりたくなります。
だって「サザエです」という表現には一切敬意が込められていないですからね。それを丁寧口調である「ございます」にして敬意を込めるというのはごく自然です。
一方「お疲れ様です」には元々「様」が含まれてますから、その語尾を「ございます」にして敬意をさらにこめるのはやはり違和感を覚えます。
また、「お疲れ様」というのは本来目上の者が目下の者に対して用いる労いの言葉であるから、「ございました」にしようがしまいが目下の者が目上の者に用いるのは誤りである、という意見もありました。
正直よくわかりません。
敬語は苦手です。
ただ一つ、間違いなく言えるのは、敬語を用いるのに何が一番難しいのかというと、それは文法的な問題ではない、ということです。
そんなものは敬語の入門を買ってきて、半日勉強すればおおよそわかることです(たぶん)。
より難しいのは、相手に対して敬意を持ち続けることです。
例えどんなに文法的に正しかろうが、心がこもっていなければそもそも敬語を用いる意味がありませんから。
あるバラエティ番組で敬語に関するクイズを出すコーナーがあるんですけど、その採点者であるどこぞの大学の教授がすっごい尊大な態度なんですよね。
間違った解答者に対して、何だね、その答えは?そんなことも知らないのかね?みたいな感じなんですよ。
自分は敬語に関しては全くの門外漢ですが、例え敬語で間違ったとしても、そのオッサンに誤りを指摘して欲しくないし、改めるつもりも一切ありません。
礼儀を欠く相手に敬意を持ちえない、というのはごく当たり前の感情だと思います。
しかし人はそれ以外にも些細な理由で簡単に敬意を失ってしまうものです。
例えば、それこそ無知であること、目下であること、考えが異なること、などなど。
自分も無知であることをひけらかすような人間は好きじゃありません。
でも無知であること自体は決して罪ではないはずです。
また敬語においてはよく目下、目上という言葉が用いられます。
自分は目下、目上という言葉自体好きじゃないです。
だって、十歳の子供であっても尊敬できるときは尊敬できるものだし、逆に八十歳の老人であっても唾棄すべき相手であることもありますから(もちろん目下、目上というのがそのまま年下、年上という意味でないということは承知していますけどね)。
そして人はしばしば自分と考えが違う相手に対して侮蔑的な態度を取ります。
これこそナンセンスですよ。
なぜなら人はどのような考えを持とうが自由なんですから(他人に迷惑を掛けないという条件付きで)。
だから、最初の問題に戻ると、「お疲れ様でございます」という表現を用いるのも構わないのですが、しかしそこにそれだけの敬意がこもっていないのであれば、形だけ最上級の敬語であっても意味はない、ということです。
自分もいつか、自然と「お疲れ様でございます」と言えるような、心から尊敬できる相手に出会ってみたいものです。
お疲れ様でございました???
「お疲れ様」という言葉自体「お疲れ」+「様」で敬意を表しているのに、さらに丁寧口調となる「ございます」を語尾につけると何だか二重敬語のように自分には思えます。
気になって調べたところ、、「サザエです」の丁寧な表現が「サザエでございます」となるのと同じようなもので、「お疲れ様でございます」でも文法的には間違いでない、という意見がありました。
うん?そうなのかな?って首をひねりたくなります。
だって「サザエです」という表現には一切敬意が込められていないですからね。それを丁寧口調である「ございます」にして敬意を込めるというのはごく自然です。
一方「お疲れ様です」には元々「様」が含まれてますから、その語尾を「ございます」にして敬意をさらにこめるのはやはり違和感を覚えます。
また、「お疲れ様」というのは本来目上の者が目下の者に対して用いる労いの言葉であるから、「ございました」にしようがしまいが目下の者が目上の者に用いるのは誤りである、という意見もありました。
正直よくわかりません。
敬語は苦手です。
ただ一つ、間違いなく言えるのは、敬語を用いるのに何が一番難しいのかというと、それは文法的な問題ではない、ということです。
そんなものは敬語の入門を買ってきて、半日勉強すればおおよそわかることです(たぶん)。
より難しいのは、相手に対して敬意を持ち続けることです。
例えどんなに文法的に正しかろうが、心がこもっていなければそもそも敬語を用いる意味がありませんから。
あるバラエティ番組で敬語に関するクイズを出すコーナーがあるんですけど、その採点者であるどこぞの大学の教授がすっごい尊大な態度なんですよね。
間違った解答者に対して、何だね、その答えは?そんなことも知らないのかね?みたいな感じなんですよ。
自分は敬語に関しては全くの門外漢ですが、例え敬語で間違ったとしても、そのオッサンに誤りを指摘して欲しくないし、改めるつもりも一切ありません。
礼儀を欠く相手に敬意を持ちえない、というのはごく当たり前の感情だと思います。
しかし人はそれ以外にも些細な理由で簡単に敬意を失ってしまうものです。
例えば、それこそ無知であること、目下であること、考えが異なること、などなど。
自分も無知であることをひけらかすような人間は好きじゃありません。
でも無知であること自体は決して罪ではないはずです。
また敬語においてはよく目下、目上という言葉が用いられます。
自分は目下、目上という言葉自体好きじゃないです。
だって、十歳の子供であっても尊敬できるときは尊敬できるものだし、逆に八十歳の老人であっても唾棄すべき相手であることもありますから(もちろん目下、目上というのがそのまま年下、年上という意味でないということは承知していますけどね)。
そして人はしばしば自分と考えが違う相手に対して侮蔑的な態度を取ります。
これこそナンセンスですよ。
なぜなら人はどのような考えを持とうが自由なんですから(他人に迷惑を掛けないという条件付きで)。
だから、最初の問題に戻ると、「お疲れ様でございます」という表現を用いるのも構わないのですが、しかしそこにそれだけの敬意がこもっていないのであれば、形だけ最上級の敬語であっても意味はない、ということです。
自分もいつか、自然と「お疲れ様でございます」と言えるような、心から尊敬できる相手に出会ってみたいものです。