私が私の中の七人の私に気づいたのは私がまだごく幼いころのことだった。
物心ついたときには私の中には七人の私がいて、私は私以外の六人の私と普通におしゃべりをしていた。
だから幼いころの私は空想好きな子供と思われていた。
他人の目には見えない誰かといつも楽しげに話をしていたからだ。
幼稚園ではずいぶんと気味悪がれ、疎まれた。
そんな私を私の中で一番聡明な(そして口の悪い)ツキコが諌めた。
「バカだね、ツクシって。みんなと同じようにやらないとイジメられるってことがわかんないの?」
どうしてみんなと同じようにやらなければイジメられるのか、幼稚園児の私にはわからなかったけれど、とにかくそういうものらしかった。
わからないことは他にもあった。
私の中には私を含め七人の私がいるのだけれど、他の人はそうでないのだろうか?
そのことをツキコに尋ねると、ツキコは少し考えてこう答えた。
おそらく私みたいな人間は私だけじゃない。でもその人たちは上手くそのことを隠している。そうしないと大変なことになるから。
大変なことってなーに?
この質問にはツキコは黙ったまま答えてはくれなかった。
ツキコのアドバイスに従って、それからの私は私の中に七人の私がいることを隠して暮らすようになった。
これは結構大変なことだった。何しろ七人の私は趣味嗜好がてんでバラバラだったからだ。まとめ役の私はいつも苦労が絶えなかった。
いつだったか、まとめ役を代わってよ、とツキコにお願いしたことがあった。
大体ツキコは私よりはるかに頭がいい。同じ私なのに私の知らないことをいろいろ知っている。私より上手くまとめ役が出来るに違いなかった。
けれどツキコは、そんな面倒臭いことやなこった!と舌をペロリと出して消えてしまった。
やっぱりツキコは頭がいい。
十代の終わり頃になると私も私なりに多重人格であることを悩んでいた。一つの身体に七つの人格が存在するのってとてもまともとはいえない。もしかしたら精神病院に行くべきなのかも?
しかしながら当然のごとくツキコを始め六人の私はそれに猛反対した。
精神科医なんてろくな奴らじゃない。人の心の弱みにつけこむ人間のクズだ。精神科にかかったってせいぜい検体としてモルモット扱いされるか、パンダの如く見世物にされるのがオチだ。それにお前は七人のうち六人が消されるようなことを望むのか?この人でなしめ!!
そういわれると反論出来なかった。思い返してもツキコに口で勝った試しがなかった。
二十代半ば私は人並みに結婚した。
夫は超のつくお人よしで、当然のことながら私が多重人格であることにこれっぽっちも気づいている様子はなかった。
キミって謎めいてるところが魅力的だよね、という夫の言葉に私はぎこちない笑みを返した。
私が結婚したのはひとえに子供が欲しかったからだ。
といっても私は特に子供好きだったというわけではない。
生まれてからずっと一人で(七人で)抱えてきた秘密を子供と共有出来ないだろうかと考えたのだ。
つまり子供が多重人格であることを期待したのだ。
考えてみればひどい母親だ。
だが、生まれてきた子供はごくごく真っ当な人間で、夫は喜び、私は落胆した。
月日が流れ、子供は成人し、夫は亡くなった。
ある朝病院のベッドで目覚め、いい加減私も解放されていいだろう、そう思った。
このときはツキコもさすがに反対はしなかった。
それどころか今までお疲れ様、と労ってさえくれた。
午前の検診に来てくれた看護婦に私でない私が言った。
「ねぇ、わたしのお友だちのツキコはどこ?それにアカリは?ミズキは?ジュリは?カナコは?ツクシは?みんなどこに行ってしまったの?」
物心ついたときには私の中には七人の私がいて、私は私以外の六人の私と普通におしゃべりをしていた。
だから幼いころの私は空想好きな子供と思われていた。
他人の目には見えない誰かといつも楽しげに話をしていたからだ。
幼稚園ではずいぶんと気味悪がれ、疎まれた。
そんな私を私の中で一番聡明な(そして口の悪い)ツキコが諌めた。
「バカだね、ツクシって。みんなと同じようにやらないとイジメられるってことがわかんないの?」
どうしてみんなと同じようにやらなければイジメられるのか、幼稚園児の私にはわからなかったけれど、とにかくそういうものらしかった。
わからないことは他にもあった。
私の中には私を含め七人の私がいるのだけれど、他の人はそうでないのだろうか?
そのことをツキコに尋ねると、ツキコは少し考えてこう答えた。
おそらく私みたいな人間は私だけじゃない。でもその人たちは上手くそのことを隠している。そうしないと大変なことになるから。
大変なことってなーに?
この質問にはツキコは黙ったまま答えてはくれなかった。
ツキコのアドバイスに従って、それからの私は私の中に七人の私がいることを隠して暮らすようになった。
これは結構大変なことだった。何しろ七人の私は趣味嗜好がてんでバラバラだったからだ。まとめ役の私はいつも苦労が絶えなかった。
いつだったか、まとめ役を代わってよ、とツキコにお願いしたことがあった。
大体ツキコは私よりはるかに頭がいい。同じ私なのに私の知らないことをいろいろ知っている。私より上手くまとめ役が出来るに違いなかった。
けれどツキコは、そんな面倒臭いことやなこった!と舌をペロリと出して消えてしまった。
やっぱりツキコは頭がいい。
十代の終わり頃になると私も私なりに多重人格であることを悩んでいた。一つの身体に七つの人格が存在するのってとてもまともとはいえない。もしかしたら精神病院に行くべきなのかも?
しかしながら当然のごとくツキコを始め六人の私はそれに猛反対した。
精神科医なんてろくな奴らじゃない。人の心の弱みにつけこむ人間のクズだ。精神科にかかったってせいぜい検体としてモルモット扱いされるか、パンダの如く見世物にされるのがオチだ。それにお前は七人のうち六人が消されるようなことを望むのか?この人でなしめ!!
そういわれると反論出来なかった。思い返してもツキコに口で勝った試しがなかった。
二十代半ば私は人並みに結婚した。
夫は超のつくお人よしで、当然のことながら私が多重人格であることにこれっぽっちも気づいている様子はなかった。
キミって謎めいてるところが魅力的だよね、という夫の言葉に私はぎこちない笑みを返した。
私が結婚したのはひとえに子供が欲しかったからだ。
といっても私は特に子供好きだったというわけではない。
生まれてからずっと一人で(七人で)抱えてきた秘密を子供と共有出来ないだろうかと考えたのだ。
つまり子供が多重人格であることを期待したのだ。
考えてみればひどい母親だ。
だが、生まれてきた子供はごくごく真っ当な人間で、夫は喜び、私は落胆した。
月日が流れ、子供は成人し、夫は亡くなった。
ある朝病院のベッドで目覚め、いい加減私も解放されていいだろう、そう思った。
このときはツキコもさすがに反対はしなかった。
それどころか今までお疲れ様、と労ってさえくれた。
午前の検診に来てくれた看護婦に私でない私が言った。
「ねぇ、わたしのお友だちのツキコはどこ?それにアカリは?ミズキは?ジュリは?カナコは?ツクシは?みんなどこに行ってしまったの?」