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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

恐竜がなぜ滅んだか?その一。

2005-04-22 23:57:38 | 蘊蓄・雑学
先日のブログで恐竜がなぜ滅んだか?については後日、なんてことをつい口走ったばかりに今日のブログでそのことを取り上げることになってしまいました。
人間、迂闊なことを口にするものではありません。

最初に断っておきますが、これから述べることは与太話の類いです。
納得するもよし、納得しないもよし、けれど「ナニデタラメ抜かしとんじゃあああああ!!」とか「よくそんな非科学的な作り話をでっちあげられますね?」などというふうに怒鳴り込んでくるのは止めてください。
別にこっちは恐竜博士ってわけじゃないので。
(より高度に専門的な立場から間違いを指摘してくださるのはもちろん歓迎です。)

恐竜がなぜ滅んだか?について考察する前にまずは恐竜とは何か?を定義してみたいと思います。
恐竜とは?という問いに即答できる人はそれだけで恐竜博士といってよいでしょう。
科学的な定義はさておき、ここでは恐竜を次のように定義します。
恐竜とは化石によってのみその存在を実証できる爬虫類のこと。
シンプルでよいでしょ?

さて恐竜は今から約2億年前に地球上に出現し、約6500万年に突然姿を消したとされています。
その姿の消しっぷりがあまりにも見事なために人々は長らく頭を悩ませる羽目になりました。
まぁ消えたといっても人間と違って失踪したのではなくてそれ以降の地層から化石が出ないってだけのことなんでしょうけどね。
現在恐竜絶滅のもっとも有力な説は皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう、『巨大隕石衝突説』って奴です。
何でも直径十キロもの超巨大な隕石が地球に衝突して、その際に舞い上がった煤が地球全体を覆い、そのため環境が劇的に変化して云々。。。
しかしこの説が間違っていることは、言い換えるとこの説だけでは説明しきれないってことはちょっと考えればわかります。
単純ですよ。
恐竜が絶滅するほど劇的な環境の変化が地球上に起こったなら、別に恐竜に限らずすべての生物が絶滅してますって。
おそらく6500万年に巨大隕石が地球に衝突したっていうのは本当なんでしょう。
しかしそれによって恐竜絶滅の理由にしよう、っていうのは無理がある。
恐竜の絶滅と隕石の衝突を時期的に同じだったってことで強引に結び付けただけってところなんでしょう。

ではなぜ恐竜が滅んだのか?そろそろ本題に、、、おや、もうこんな時間か。
そろそろ眠くなってきたので続きはまた別の機会ということで・・・。

ps.与太話ですが、執筆にはそれなりの労力を要します。もしまったくリアクションがなかったら続きを書くことはないでしょう・・・、などと傲慢なことをいったりして。笑。
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サンドイッチを考えたのは・・・。

2005-03-25 23:22:07 | 蘊蓄・雑学
サンドイッチを一度も食べたことがないって人はたぶんいないと思います。
もしかしたら、今日のお昼がそうだった、という方もいらっしゃるかもしれませんね。
では、その由来はご存知ですか。
これもまた、知ってるよ!という方が多くいらっしゃるでしょう。
サンドイッチ伯爵だか、公爵だかが考え出したものだろう、というふうに。
まあ、有名な定説です。
ジョン・モンターギュ・サンドイッチ伯爵、十八世紀のイギリスの海軍大臣にしてサンドイッチ家の四代目当主、そして何より賭博好きだったことで知られています。
その彼が食事のためにカードゲームを中断するのが嫌って、パンの間に具材をはさんで食べるようになったのがサンドイッチの始まり、よく耳にする話ですよね。
でも、よくよく考えてみると、この話、変です。
どれくらい変かというと、ご飯と、海苔と、梅干がありながら、千年以上もの間誰もおにぎりを考え付かなかった、というくらい変です。
まあ、小麦がいつの時代から人類の手で栽培されていたのか、よくは知りません。けれど、紀元前、というのは間違いのないところでしょう。
小麦を生で食すとは考えにくいので、小麦が栽培される、これすなわちパンが食されると考えても構わないと思います。
パンがあり、そしてパンに挟むものがあるというのに、誰一人挟もうとはしなかったのでしょうか・・・?
いえいえ、そんなわけはありません。
調べたところ、古代ローマやアラビアで、すでに同様の食べ方はあったそうです。
たぶん、それがあまりにもありふれた食習慣であったため、誰も、それこそ十八世紀になってサンドイッチ伯爵が命名するまで、名前をつけようなどと思わなかったのでしょう。
つまり、サンドイッチ伯爵はサンドイッチという食べ方の命名者であるかもしれないが、決して考案者ではありえない、というのが自分なりに調べた上での結論です。

ちなみにこのサンドイッチ伯爵、アメリカ独立戦争の影の功労者だそうです。
へー、そんなにアメリカ独立に尽力したのかあと思ってしまいそうですが、実際はその逆で、彼がアメリカ独立肯定派をあからさまに侮蔑したために、かえって肯定派の活動が活発になったそうです。
さすがはサンドイッチ伯爵、きっと食事どころか政務もないがしろにしてカードゲームに熱中したに違いありません。

ところで、ネットでサンドイッチのことを調べていたら、『サンドイッチの日』があることが判明しました。
さて、何月何日でしょうか。
いわれたら、ああ、なるほどね、と思わないことはないかも。
結構当てるの難しいと思います。

(調べたところ小麦の栽培が始まったのは紀元前9000年、製粉するようになったのは紀元前四千年だそうです。ではその間の五千年は小麦をどうやって食べていたのでしょうね?)
コメント (4)
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数え年。

2005-03-21 09:34:38 | 蘊蓄・雑学
3/15のブログで数え年についての私見を述べたところ、一言で言えば数え年という慣習が廃れたのはライフスタイルの変化によるのではないか、というものでしたが、その認識は間違っている!というご指摘を頂きました。
正直びっくりしました。
というのも自分のブログなんて誰も注目なんてしていない、極端な話、エルビス・プレスリーは生きている!と声高に叫んだとしても然したる影響はない、なんてふうに思ってましたから。
これからはもう少し慎重を期さねば、そう思いました。

その指摘には具体的にどう違っているのかが示されていなかったのですが、とりあえず数え年について検索してみました。
指摘にもある通り、というかブログでも書いていた通り、自分は数え年についての検索を怠っていました。
理由は主に二つあります。
(自分で話を振っておいてなんですが)ぶっちゃけた話、自分には真実は二の次で、より大切なのは自分なりに納得できる答えが得られるかどうかだったのです。
つまり数え年が廃れたのはライフスタイルによるという(仮に頓珍漢なものであったとしても)自分なりの答えが得られた時点で数え年は自分にとってそれ以上興味を惹く話題ではありませんでした。
もう一つはインターネットに対する個人的な信用度の問題、つまり検索したところで真実がわかるかどうかは不明であるということが挙げられます。
以前、「漢字の『右』と『左』、書き出しが違うのはなぜか?」ということを検索したとき、(自分が納得できる程度の答えは得られたものの)最終的な結論は出ませんでした。
このときはインターネットへの信用度は今よりずっと高かったので、検索して真実が得られなかったことに多少ショックを受けましたが、知人は苦笑してネットに全ての答えがあるはずもない、というようなことを言いました。
それも道理ですね。ネットで全ての答えが引き出せるなら誰も図書館などに行ってわざわざ重い資料と格闘するはずもありませんから。

さて、検索しての結果ですが、「数え年が廃れたのはライフスタイルの変化による」という私見を明確に否定する記述は残念ながら(といっていいものかどうか)見つけられませんでした。
新たに知ったこととして、数え年はお正月に歳神様をお迎えし、歳神様の御霊をいただくことによって1つ年をとると言う考え方からきている、ということがありますが、これは別に私見と相反するものだとは思えません。
他には数え年で実際いつ年を取るのか、新暦の元旦なのか、旧暦の元旦なのか、それとも立春なのか、それがはっきりとは決まっていない、というような記事も面白いとは思いましたが、それも直接関係があることではありません。

結局検索してわかったのは、生まれた年も含めこれまでに何回正月があったか、その回数がそのまま年齢となるという数え年の定義が間違ってはいないということ、そしてインターネットの資料性の限界(もしくは自分の検索能力の未熟)でした。
数え年については検証を怠ったまま情報を発信しましたが、仮に充分な検証をしていたとしても内容ががらりと異なっていたということはないと思います。
これから何らかの情報を発信するとき慎重は期したいと思いますが、残念ながら万全まではお約束できません。
その際情報の誤りを指摘していただくことは大変ありがたいのですが、出来たら具体的にどう間違っているのかまで言及していただけたら、そう思っています。
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風邪を引いたとき風呂に入るのは・・・。

2005-03-18 23:33:21 | 蘊蓄・雑学
先日のブログで、自分は風邪を引いたときも風呂に入ります、というようなことを書いたら、私もそうですよ!とコメントをしてくれた方がいて、へぇ、自分だけじゃなかったのかぁと思わずほっとしました。
あれから気になったので今日はもう少しだけそのことについて考えてみたいと思います。

まずは経験則から。
風邪を引いて風呂に入ることは決して悪いことではないと思います。
暖かい風呂に入ると血行がよくなるし、汗をたくさんかくし、何よりさっぱりしますからね。
ただし気をつけなければならないのは、長風呂にならないようにすること、そして湯冷めをしないようにすること!そして風呂から上がったらすぐに寝る!!
といったところなのですが、さてさて検索したらどーかな、と。。。
ほぅほぅ、[風邪、風呂]で検索してみたところ、まぁ自分の経験則は的外れではなかったのだな、ということを知りました。
まずお医者さんの意見から、こちら。
続いて相談系サイトから、こちら。
医学的な定説はないようですが、どうやら『風邪を引いたとき風呂に入ってはいけない』というのは古い考えみたいです。
というか、昔の家屋って家の中に風呂がなかったですよね?ですから当然風呂に入る=銭湯に行く、ってことだったのですが、風邪を引いて寒風吹きすさぶ中銭湯に行って、風呂から上がって帰り道湯冷めをしつつさらに寒風に身をさらす、、、これは今の常識からいっても当然勧められるようなことではありません。
ですから昔は風邪を引いたときは風呂に入ってはいけなかったのです。
けれど今は貧乏学生の下宿でもない限り大概家の中に風呂はあります。
留意点を守っている限り風呂に入っても問題はないようです。

というようなことを書きながら熱を計ると37.4℃ありました。
十一時半過ぎてるし、しかも風呂から上がって三時間以上はたつし・・・。
留意点を守ってないのはお前の方やん!と自分で自分にツッコミをいれちゃいました。
みなさんはくれぐれも風邪を引かないようにご注意ください。
引いたときはちゃんと安静にしてください。
というわけでオヤスミナサイ。。。
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クイズの答えです。

2005-03-15 23:04:36 | 蘊蓄・雑学
Q.あるところに生まれて二日になる赤ん坊がいました。
しかしそばにいたおじいさんがこの子の年は二歳だといいました。
はたしてそんなことってありえるのでしょうか?

さてこのクイズの答えです。
A.十二月三十一日に生まれたばかりの赤ん坊の年齢を一月一日におじいさんが数え年で言ったから。
数え年とは生まれた年も含めてこれまでに何回正月があったか、その回数がそのまま年齢になる年の数え方のことです。
年齢の数え方が満年齢以外にもう一つあることに気付けば答えは簡単にわかるのですが、数え年なんて廃れている慣習といってよいですからね、わからなくても不思議はありません。

というわけで、今日は数え年について少し考察してみたいと思います。
昔の人はなぜ年齢を数え年で数えていたのでしょうか?言い換えればなぜ現代では数え年という慣習は廃れてしまったのでしょう?
(これから述べることは私見です。)
思うに、それらの違いはライフスタイルの違いからくるのではないでしょうか。
つまり、現代が昔に比べ裕福になったために日本人は数え年では年齢を数えなくなってしまった。
どういうことかというとですね、現代において例えば四人家族であれば、よほど誕生日が近くない限り家人それぞれの誕生日を祝うでしょう。
それに比べ一昔前、別に江戸時代まで遡らなくても戦時中でも十人家族、もしくはそれ以上なんてそう珍しくはなかった。仮に十人家族だったとして、その十人の誕生日をそれぞれ祝うほど裕福ではなかった。経済的に個々のお誕生日会を開くゆとりがなかった。
そう思います。
それぞれの誕生日を祝えないのであれば、どうすればよいか?
実際に生まれた日がいつにせよ、一年のある一日に一度に祝ってしまえばよい(例えるなら幼稚園のお誕生会みたいなもの?)。その日とは他でもない一月一日、つまりは正月。
一月一日を迎えて家人が一斉に一つ歳を取る。例えその前日に生まれた赤ん坊であっても。これが数え年の正体なのではないでしょうか?
だとすると正月の意味合いは今よりもずっと重かったに違いないです。
だからこそ正月ってのはめでたかったんですよ、きっと。
自分は別に歴史学者でも民俗学者でもないですが、今述べたことは当たらずといえど遠からずじゃないかと思っています。根拠は特にないのですが。

というような記事を書いたら数え年に対する認識が謝っている!というご指摘をいただきました。
いい機会なので週末にでももう少し数え年のことを調べてみようかと思います。
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生まれて二日目で二歳になる赤ん坊。

2005-03-13 23:27:17 | 蘊蓄・雑学
突然ですがクイズです。
Q.あるところに生まれて二日になる赤ん坊がいました。
しかしそばにいたおじいさんがこの子の年は二歳だといいました。
はたしてそんなことってありえるのでしょうか?

答えがわかった方はとりあえずは「わかった!」とだけコメントしてください。
正解発表は3/15の火曜日の予定です。

*このクイズ、使いまわしのネタなのでまたかよ!と思われる方もいるかもしれません。。。汗。
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『ぐっすり』の語源は『Good Sleep』ではないそうですが。

2005-03-04 23:15:56 | 蘊蓄・雑学
『トリビアの泉』によると『ぐっすり』の語源は『Good Sleep』ではないそうです。
へぇ×10って感じです。自分もどこかでその説を耳にして、何となく信じていました。
それにしても一体どこの誰が「『ぐっすり』は『Good Sleep』から来てるんだぜ~」みたいなことを言い出したのでしょうか?
純真な人間をからかうのがそんなに楽しいのでしょうか?
まったく、ガセネタを発信するのも程々にして欲しいものです。
というわけで、今日は自分がとっておきの言葉に関するトリビアを披露しましょう。
英語の「Good morning」は直訳すれば「いい朝です」、転じて「おはよう」って意味ですよね。
同様に「Good night」は「おやすみ」とか「さよなら」ってふうに訳されます。
どちらも何かを「良い」と形容しています。
では英語でもっともポピュラーな別れの挨拶である「Good bye」の「Good」は一体何が「良い」といっているのでしょう?言い換えれば「Good bye」の「bye」って何なんでしょうか?
良い別れ?良い再会?いえ、どちらでもありません。
実は「Good bye」は元々「God be with ye」(「ye」は「you」の古語)を短縮したものであり、意味は「神があなたとともにありますように=神のご加護があらんことを」となります。
ですから「Good bye」ではなく、「Good by」と「e」が省略されて書かれているのを見かけることがありますが、間違いではないのです。(当然その場合副詞の「by」ではありません。)

というような蘊蓄をですね、先日ある友人に語ってみせたところ、友人は感心したようにいいました。
「へぇ、よく出来たネタだねぇ!」と。
・・・・・。
(自分が考えた)ネタじゃねぇ!!
ネタを仕入れるよりも信用を得る方が先だな、とつくづく思いました。とほほ。
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