徳川3代将軍の家光が、現在の東京都港区にある愛宕山の下を通
り、山頂に咲く紅白の梅に目をとめて「誰か乗馬のまま上がり、手
折ってまいれ」と命じた。それに応じ、見事果たしたのが四国丸亀藩
の曲木平九郎。「日本一の馬術の名人」とたたえられ、そこは「出世
の石段」と呼ばれるようになった。
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標高約26m、自然の山では東京23区内で最も高い愛宕山に、
今は86段を数える「男坂」が約40度角度で延びる。脇に穏やか
な「女坂」もあるが、正面の男坂を一息に上がる人が多い。
一段が高く、幅も狭い。踊り場もないので休まずに登らざるを得な
い。人生になぞらえて「一歩ずつでも前に進むように、という教え
では」とおしゃる方もいる。
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目もくらむような急角度の石段を、武士が手綱を引き、馬を励まして
上る。石段を上った平九郎は紅白の梅の枝を襟に差し、再び馬で下
りて将軍の御前に進み出る。品格も備わった振る舞いは、平和の時
代にふさわしい武士象であった。
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平九郎が石段を上ったのは、出世よりも自分の技量を試したかった
からだという。高いビルに囲まれた現在、かっての眺望は想像もつ
かない。しかし石段を上りきった時、平九郎もさぞや、と思わせる
達成感が胸に沸いた。
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