ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本義隆著 「近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻」(岩波新書2018年1月)

2019年09月13日 | 書評
渡良瀬遊水地 中央エントランスの遊水地案内板

エネルギー革命で始まる「殖産興業・富国強兵」は総力戦体制で150年続き、敗戦と福島原発事故で二度破綻した 第18回

第6章) 戦後社会 (その3)

戦後の高度経済成長は官・産・学の共同体制で進められてきたと本書は言う。私には、戦後の官僚にそんな指導力があるとは思えない。管掌分野の裾野が広がり企業の多様化と企業数の拡大で官僚機構の統率力は及ばなくなっている。世界との競争において利益誘導の調整機能はあるが、新産業創出の力があると見るのは幻想に過ぎない。古くは水俣病、いまは原発問題において、官僚が解決の邪魔をすることは多い。公害問題で企業の責任が問われるまですごく時間がかかるのは、必ず学識経験者と言われる学者の公害の要因を不明とするかく乱操作が入るからである。「権威ある」大学教授や学界のボスが介入し、企業サイドに立って思いつきの原因論を流布する。情報かく乱、目つぶし効果的役割を演じる。そういいう意味で「権威ある」大学教授の犯罪行為である。「学会内では諸説あり原因は確定されていない」という常套文句をメディアに流し、企業への追求の前に立ちはだかるのだ。「疑わしいは罰せず」に持ち込めばその教授の役割は大成功となる。死者450人、CO中毒者839人を出した三池炭鉱爆発事故で、九州工業大学の荒木教授の調査団は「炭塵の爆発」という報告書を出し、三池炭鉱側の清掃をしなかった不作為行為の責任を問うたが、九州大学の山田教授は「風化砂岩」中和説をだして「炭塵の爆発」を否定した。今では実験をすれば決着がつきそうな問題だが、九州工大より権威のある九州大学の説をとって政府は動かなかった。被災者側は三井炭鉱を相手取って損害賠償訴訟を起こし、堆積した炭塵が爆発の原因だと認定する判定を勝ち取るまでに30年かかった。専門家が被害者に対して権力そのものであった。公害問題は、経済成長を追い続けた近代日本の歴史が常に弱者を犠牲にしてきたことを身近な問題として暴露した。企業を擁護してきた政府が公害問題に対処したのは1970年の「公害国会」からであった。それと同時に国内の経済成長に陰りを見せたので、経済成長を持続するには労働力が安く合理化に従順な企業内労働組合と協力して公害規制の緩やかな開発途上国に資本が向かった。1970年代の2度の石油危機を乗り切ることができたのは大手企業が生産拠点を海外に移したからである。有害物質の総量規制と石油化学工業の成長停滞により、国内の大型コンビナート建設計画は全てとん挫した。大手企業の海外拠点はかっての大東亜共栄圏の東南アジアに向かい、フィリッピン、インドネシア、ミヤンマー、ベトナムにインフラの整備、プラント建設を行った。1970年から1990年バブル迄、日本企業は生産拠点の海外移転、経営の合理化と効率化を図り、自動車排ガス規制クリア車、省エネ技術、半導体生産により海外に輸出を伸ばし、年率3%を超える経済成長を維持した。しかし1990年代はグローバル化した世界経済の中で競争力維持するために新保守主義の構造改革が進められ、資本の身勝手な行為によりその結果格差の拡大と20年以上のデフレが進行した。その間世界の生産は中国に重点が移り、日本は半導体、家電部門で全面的後退を余儀なくされた。日本の自動車企業、家電企業の身売りが進み、2008年のリーマンショック以来、鉄鋼や自動車や電化製品の市場は縮小している。IT産業や情報産業で日本は米国に大きな差をつけられている。成長の無いところで利潤を重視すればそのしわ寄せは労働者側配分を減らすことになり、多数の中間層が没落し社会的弱者となった。もはや技術革新で成長するということは21世紀には幻想になりつつある。現在日本政府と財界が目論んでいるのは、原発輸出と軍需産業である、かっての武器輸出三原則は無視され、2014年安倍内閣は「防衛装備移転三原則」を閣議決定し、武器輸出が全面解禁された。2017年度防衛庁予算は4兆8996億円、米軍再編成関連予算を含めると5兆1251億円となった。

(つづく)