ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 高木貞治著  「近世数学史談」 岩波文庫

2016年08月05日 | 書評
18世紀末ー19世紀初めの近世数学興隆記 ガウス、コーシー、アーベル、ヤーコビらの軌跡 第8回

4) 楕円関数論 アーベルとヤコ-ビ

アーベル(1802- 1829)はノルウェーのオスロで生まれた。彼は終生貧乏で結核によって27歳で世を去った薄幸の天才であった。アーベルには二人の生涯の恩人がいた。中学校の教師ホルンボ-とクリスチャニア大学教授のハンステンです。アーベルからホルンボーへの書簡に多くの数学的発見が語られている。1824年アーベルが政府留学生として外国に行く前、5次方程式の代数的解法が不可能であることの発見があった。数百年来の懸案が北欧の田舎の青年によって解決されたのである。出版の手当てがない青年はこの証明をお粗末なパンフレットにして、シューマッハの手からガウスに送ったことが、後のガウスとアーベルの確執になった。全く無名の青年からの数学的証明にガウスは「よくこんなものが書けたものだ」と取り合わなかった。海外留学はゲッチンゲンとパリで2年間であったが、結局ガウスには面会しなかった。1826年クレルレ誌最初の出版にこの論文が掲載された。有理区域又は体という概念が論文の基調になっており、5次代数方程式の解法の不可能性は表に出ていなかったことが、ガウスの目に留まらなかった理由でもあった。それよりも前1805年にルフィ二がこの問題を証明したといわれるが、その証明は判別不能であったので歴史には残っていない。アーベルは代数的に解き得るすべての方程式が備える特徴を体として整理することが終生の課題であったが、それは後にガロアが解くことになる。クレルレ誌第1巻にアーベルは「冪級数1+mx+[m(m-1)/2]x^2+…の研究を寄稿したが、これは級数論として画期的なモノとなった。収斂円における級数の動作がもれなく研究された。これは2項定理の収斂条件で、|x|<1なら (1+x)^m=1+mx+[m(m-1)/2]x^2+…は正しい。またx=1ならm>-1に限って正しいがその他の場合は発散する。無限級数の発散の問題はコーシーの「綱要」にも掲載されている。三角級数も場合も然りである。かように無限級数の和の問題はコーシーは「発散級数は和を有しない」という。「代数的に解き得るすべての方程式の形を決定すること」の論文をパリ留学中にルジャンドルとコーシーが審査することになったが、どうもルジャンドルは読んだ様子もなく、論文が無くなってしまっていた。とんでもないところに論文を送ったものだとアーベルは落胆し、1827年ドイツのゲッチンゲン大学のガロアのところにも寄らずにアーベルは帰国した。アーベルの研究は超越関数一般なかでも楕円関数理論に傾いていた。1827年5月アーベルは「楕円関数研究」をクレルレ誌第2巻と第3巻に寄稿した。ところがヤコービが天文報知123号1827年9月に「楕円関数の変形に関する定理」を証明なしに報告した。ここからアーベルとヤコービの確執(大競争)が始まった。それはアーベルの楕円関数論からは証明できることで、ライバル出現に驚いたアーベルは研究をいったん停止して、急いで対抗論文「楕円関数の変形に関する一般的証明の問題の解決」を作成し1828年6月の天文報知に掲載した。ノルウェイに帰っても、ゲッチンゲンやパリのお墨付きがなければ、独自の判断を持ちうる数学界ではなかった。だからガウスに無視され、パリでも黙殺されたアーベルにとって、楕円関数論はアーベルの最後の切り札であったので、ヤコービの挑戦には背水の陣で戦わざるを得なかった。アーベルが中断せざるを得なかった楕円関数論研究第2弾はアーベルの死後1829年クレルレ第4巻に「要論」として掲載された。「代数的に解かれうる一種の方程式」はアーベルの方程式を論事るものであるが、1828年クレルレ第4巻に掲載された。アーベル方程式は、等分方程式から抽象して得られた楕円関数研究の副産物で、アーベルにとって方程式論と楕円関数論は互いに深く影響しているようだ。パリに送った論文は2年間も放置されたまま、コーシーの手元で発見されたが、アーベルは1829年1月「ある種の超越関数の一般A的性質の証明」という論文にしてクレルレ誌に送った。これがアーベルの絶筆となった。アーベルの死後に任意の複素数に関する「アーベルの加法定理」は絶賛され、アーベルの名声はにわかに高まった。レムニスケート関数の場合は楕円関数の虚数乗法の最も簡単なケースである。オイラーが三角関数でなしたところのものを、楕円関数の上に拡張したのである。アーベルにしても、ヤコービにしても、又ガウスにしても完成した関数論の上に立脚していなかった。それはリーマン、ワイヤストラスの出現を待たなければならなかった。ヤコービのθ関数、ガウスのモジュラー関数、アーベルの虚数乗法の合同で関数論が生まれた。

(つづく)