ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 中野晃一著 「右傾化する日本政治」 (岩波新書2015年7月)

2016年08月28日 | 書評
安倍政権の復古主義を、新自由主義の帰結として、政治の右傾化と寡頭支配の中で捉える 第1回

序(その1)

本書を読んで、安倍第2次内閣の急速な右傾化政策は彼個人の信念によるものか、それとも時代の流れによるものか、時代の流れによるとすれば右傾化を推進する原動力はなにかについて、初めて正面向った議論を聞いた気がする。右傾化は1980年代に始まる新自由主義の世界的潮流の特徴であり、1990年ごろの東欧とソ連邦の崩壊による冷戦構造の消滅によって一層加速されたとされる。それは「資本主義の勝利」という歴史的ターニングポイントを経て、グローバル(全世界的)資本主義の時代に超独占資本の寡占支配が確立すると、政治と経済(労働と生活)の全面で右傾化が進行した。日本では中曽根、小沢、小泉、安倍が右傾化の代表選手といわれるが、中曽根の時代は保守本流に縛られて口ほどには右傾化は進まなかったが、バブル崩壊後のデフレの中で保守本流の55体制が弱体化し、湾岸戦争、9.11アフガン戦争・イラク戦争をへて小泉時代から破壊的に右傾化が進行した。その流れを受けて安倍政権が右傾化を促進したということになる。では安倍という個性の問題かというと、ヒトラーが政権を奪取してナチスというファッシズムを作ったことをヒトラーという個性の問題に閉じ込めて反省しないのと同じ過ちを犯すことになる。ドイツを取り巻く第1次世界大戦後の世界情勢とドイツ経済の要請がヒトラーを生んだと言わなければならない。連合軍の勝利もヒトラーの殺害で終わるのではなく(中東の戦乱がラディンやフセインの殺害で終わらなかったように)、そのまえにドイツ社会経済そして軍部と産業の徹底破壊によって得られた勝利である。安倍が怪物か名門お坊ちゃん政治家かどうかは知らないが、安倍がいなくても誰かがやったに違いない。名門三世政治家はパワーエリートを自任する寡占エリート(少数の支配的指導者と官僚機構)に取り囲まれているに過ぎない。しかもそのエリートたちは経団連の言いなりであるとするならば(まだ日本では軍部エリートが重要なアクターでないことは不幸中の幸いであるが)、結局右傾化推進の原動力は財界(超独占企業家)ということになる。そもそも昔も今も企業内に民主主義がるわけではない。企業を支配しているのは激烈な才能競争(市場原理)とパワーハラスメントの忠誠のみである。社会生活で自由と民主主義を謳歌しても、「企業に入ったら民主主義もへったくれもない」といわれる。その同じ原理を社会に要求するとすれば効率のいい社会となるという理念は、必然的にファッシズム支配が最高に効率のいいシステムにつながる(アテネの民主制よりスパルタの軍事独裁制が強力であったように)。だが寡占エリート独裁制になったらすぐに腐敗し、民衆の支持はなくなる。社会構成員(人民)から常にコントロールを受けない体制(西欧的王侯貴族性、東洋的皇帝・天皇制、ドイツ的ファッシズム・軍部独裁制)の腐敗・転落は早い。しかしどうしたら右傾化を阻止できるかについては本書は答えていない。これらの問題はロック、ルソー、トクヴィルらの政治学の永遠の課題である。詰るところ人民の支持にもとずく政治を目指すことになるが、選挙制度、議会民主主義、3権分立などの諸問題に解答をしなければならない。以上のことが本書を読んだ読後感のまとめであるが、今しばらく本書に則って著者中野晃一氏の論拠をたどってゆこう。2012年12月安倍晋三が第2次内閣を組んで以来、その復古主義的な政治理念から、日本の軍国主義化を懸念する声が上がっている。その歴史修正主義的な政治家が今や自民党の主流をなし、公明党、維新の会、民主党の一部にも見られることはこれまでみられなかった事態である。本書は日本政治が大きく右傾化しつつあるという立場をとる。その右傾化プロセスは過去30年ほどの長いスパンで進行しつつあったと見ている。その結果が安倍内閣の集団的自衛権容認閣議決定と安保法制国会審議という政局となった。その特徴は国民の声を聴かずに右傾化が政治主導(政治エリート主導)で進められていることである。右傾化は今回が初めてではなく、30年来の繰り返し的な政治的運動の結果である。そしてこうした右傾化の本質は「新右派転換」という自民党主流派の変質であることだ。一部の突出した政治家の暴言ではなく、自民党政策の主流として現れていることが大きな特徴である。

(つづく)