ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

何の関係もない2つのニュース 人様々

2011年05月25日 | 時事問題
asahi.com 2011年5月25日
津川告白!兄死去の日、自分はICUに
 消化管出血で亡くなった俳優長門裕之(ながと・ひろゆき)さん(本名・加藤晃夫=かとう・あきお、享年77)の葬儀が24日、東京・善福寺麻布山会館で営まれ、約250人が参列した。弟津川雅彦(71)が、喪主のあいさつで長門さんの亡くなった21日、自分も心筋梗塞で都内の病院のICUにいたと明かした。

asahi.com 2011年5月25日0時45分
小沢氏・渡部氏、3年ぶり合同誕生会 党内融和は見えず
 野党提出の内閣不信任案に同調する動きをみせる民主党の小沢一郎元代表と、「脱小沢」を主導してきた前原誠司前外相がさや当てする一幕が24日にあった。
 都内であった小沢氏と渡部恒三最高顧問の合同誕生会。発起人の一人の前原氏は、菅直人首相から預かった福島県飯舘村の地酒を手に「お二人にお祝いを申し上げてほしい」という首相の言葉を紹介。「大同団結し、政権交代の果実を着実に上げる時期だ」と結束を呼びかけた。

兄弟でICUにいて助かる方と亡くなる方、黄門さんと闇将軍 思惑はいかが

読書ノート 天野郁夫著 「大学の誕生」 中公新書

2011年05月25日 | 書評
帝国時代の高等教育システムの歴史 第1回

 わが国の近代的大学はどのような経過をたどって生まれたのだろうか。資源小国日本の立つ由縁は教育資源にあるという。比較的短い期間で初等教育の体制を整備できたのも、徳川幕府以来の寺子屋の普及と教育熱心な国民性にあったことはよく言われている。しかし「大学」という名の高等教育は武士階級が担っており、「藩校」や「幕府洋書取調べ所」、儒学林家の「湯島の聖堂」、市井(特に大阪)の蘭学などが合流して近代国家枢要の人材養成学校としての「近代的大学」の祖となったようだ。明治10年(1977年)わが国最初の大学となった東京大学が設立され、明治19年(1886年)に帝国大学となった。明治19年には日本の教育システムの基本的骨格を作ったとされる、小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令という4つの勅令(議会の無い時代、天皇の勅令として公布)が公布された重大な年であった。帝国大学の設計図を描いたのは、初代内閣総理大臣伊藤博文と文部大臣森有礼であった。伊藤が目指したのはドイツ型君権主義国家のための大学であった。何もない時期にどうしても上からの改革であった高等教育システムは東京大学を中心にして語らざるを得ないのが、日本という国の歴史であり、文化後進国の宿命である。
(つづく)

環境書評 原科幸彦著 「環境アセスメントとは何か」 岩波新書

2011年05月25日 | 書評
持続可能な社会を作るために必須のツール 第3回

 著者原科幸彦氏のプロフィールを紹介する。1946年生まれ、1975年東京工業大学理工学部博士課程終了、国立公害研究所(現:国立環境研究所)主任研究員を経て東京工業大学助教授、現在は東京工業大学大学院教授である。専門分野は環境計画、住民参加、環境アセスメント、合意形成論だそうだ。主な著書には.『環境計画・政策研究の展開』岩波書店、2007年、『市民参加と合意形成』学芸出版社、2005年、『改訂版・環境アセスメント』放送大学教育振興会、2000年、『環境アセスメント基本用語事典』オーム社、2000年、『戦略的環境アセスメント(監訳)』ぎょうせい、1998年などがある。2010年に環境科学学会賞、2011年4月文部科学省「科学技術賞(理解増進部門) 持続可能な社会への環境アセスメント制度と方法」を受賞した。そして2011年度に東京工業大学大学院教授を定年退官することになっている。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「自 悔」

2011年05月25日 | 漢詩・自由詩
送春恨雨故人稀     春を送り雨を恨む 故人稀に

吾到頽齢百事非     吾頽齢に到り 百事非なり

老骨傾樽今日是     老骨樽を傾け 今日は是なり
  
不羞白髪幾時帰     白髪を羞じず 幾時か帰る


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(韻:五微 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)