ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

東日本大震災と医療問題:外部被爆量より 核種による内部被爆情報開示を

2011年05月04日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年5月2日) 「放射性核種による内部被爆について情報公開を」 山野辺滋晴 共立耳鼻咽喉科院長 より

 今回の福島原発事故では、国際放射線防護委員会ICRPの提案に従って、人の被爆限度量を年間1mSvから20mSvに緩和され、水道水中のヨードは300bq/Lに暫定的に引き上げられた。これらの措置は住民の避難移住を緩和するためであるが、外部被爆だけでなく、放射性核種による内部被爆についてはたして住民の安全を守っているのであろうか。平常時の環境モニターは指針が確立しているが、事故のような緊急時モニターではヨウ素、セシウム、ウラン、プルトニウムだけに限定され、ストロンチウムなど多くの放射性核種が測定対象になっていない。したがって大気や海中の放射性核種の情報は公開されていない。また一時緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(プルームモデル)が出されたが、場所によっては30kmを越える地域で影響が予測されたためか以降発表や情報提供は中止されたままである。医学的に内部被爆量を把握するために原発作業者には3ヶ月に一度「ホールボディカウンター」(全身測定)が実施されているが、今回の事故では住民にも実施すべきではないだろうか。国立ガンセンターの嘉山理事長は原発付近住民にもフィルムバッチ(積算被爆量測定感受性フィルム)を配布すべきであると提案しておられる。


読書ノート 白波瀬佐和子著 「生き方の不平等」 岩波新書

2011年05月04日 | 書評
生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なる 第5回

1)子供たちの不平等 (2)

 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだものでした。世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の合計特殊出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高いが、母子世帯の割合は3%と他国に較べて低いことが特徴である。シングルマザー・離婚・死別などで母子家庭に落ち込む確率は低いものの、母子家庭になれば確実に貧乏になる。つまり母子家庭を対象とした社会保障が満足ではないからだ。日本の母子家庭数は約75万世帯である(2005年)。80%が離婚によるもので、母親の85%は働いている。労働形態は非正規労働で低賃金のワーキングプア-を強いられる。母子家庭が貧困を遁れるひとつの手立ては親と同居することであるが、それもままならぬ場合には貧困家庭となる。18歳未満の子供がいる貧困層にある世帯の家族構成を見ると、60%が二人親核家族で、30%が1人親世帯であった(2007年)。二人親がそろっていても貧困世帯である。これは社会全体の貧困と密接に絡んでいる。一人親(母子家庭・父子家庭)世帯の18歳未満の子供の高校在学率は、普通の家庭が98%であるに較べ、それより10%以上低い数値である。1人親家庭で育つことで、教育の機会が減っていることを示す。親の収入に対する教育費の割合は、年収1000万円以上の世帯で1%以下であるが、年収250万円以下の世帯では3%となり、子供の教育費が家計を圧迫する。子供の貧困は子どもを養う親の経済力によるところが絶対的であるので、子供の貧困への解決は親の貧困と同じ問題である。ただ親の生活援助をすればいいだけかというとそうではなく、子供の福祉という普遍的福祉政策が必要である。民主党政権が始めた高校授業料無料化をはじめ、給食費の無料化、学習補助政策などが必要となる。
(つづく)

読書ノート 小田部雄次著 「皇 族」 中公新書

2011年05月04日 | 書評
明治以降の皇族の歴史を知ろう 第13回

第2部 昭和前期時代 昭和天皇と戦争 軍人皇族と軍部の台頭 (2)

 1930年ロンドン海軍軍縮条約締結問題に端を発して軍部や右翼の政治的台頭が目立ってきた。浜口雄幸首相が狙撃されるまでに、艦隊派と条約派の対立が深まった。海軍軍令部にいた伏見宮博恭王は艦隊派にかつがれ、御前会議を要請する「天機奉伺」を主張して、条約を批准する方針の政府には悩みの種となった。岡田啓介海軍大臣ら条約派は天皇に決定させないことが皇室への怨嗟を防ぐ有効な手と考え、伏見宮、東郷ら艦隊派は天皇軽視だと反発した。天皇をどちらが抱きこむかが政争の決めてとなった。この間政治家と皇室の間を奔走したのが原田熊雄と西園寺公一であった。平沼騏一郎枢密院副議長らは倒閣運動の先頭となった。その時1931年3月武力による国家改造を企む陸軍将校ののクーデター未遂事件がおきた。事件には東久邇宮稔彦王、軍務局長小磯国昭、朝鮮総督宇垣一成らが首謀したといわれる。陸軍の派閥争いには閑院宮載仁親王が統制派に取り込まれ、1935年皇道派の真崎甚三郎教育総監を更迭した。そして1936年2月に2.26事件が起きた。真崎は伏見宮を動かして反乱軍の国家改造を実現すべく、天皇の詔を得ようと動いた。3月事件、5.15事件、2.26事件と相継ぐクーデター計画に「皇族がいたるところで関与しており、昭和天皇は皇族の動きに心を悩ましたようだ。皇族軍人たちが昭和天皇の立場を支持しなかった理由は、軍人経験のない昭和天皇への優越感であり、軍人としての誇りであった。昭和天皇は元老西園寺らと新時代の外交と軍事の方向を模索していたが、皇族軍人らは対米戦争と対ソ連戦争の強硬方針に賛成しており、決して利用されただけではすまないのである。勃興する小国が世界中を相手に戦争をするという冒険主義を推進したという責任は免れない。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「雨餘前庭」

2011年05月04日 | 漢詩・自由詩
今朝雲去雨餘天     今朝雲去って 雨餘の天

暁露前庭春物妍     暁露の前庭に 春物妍なり

争艶朱欄花爛漫     朱欄に艶を争って 花爛漫と
 
吹風翠檻竹嬋娟     翠檻に風を吹いて 竹嬋娟たり


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(韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 パガニーニ 「24の奇想曲」

2011年05月04日 | 音楽
パガニーニ 「24の奇想曲」作品1
ヴァイオリン:シュロモ・ミンツ
DDD 1981 ドイチェ・グラモフォン

奇想曲はカプリッチョといい、自由な形式に縛られない作品という意味である。パガニーニのヴァイオリンはイタリアの伝統を引き継ぎ、天才的なテクニックを駆使し耳を驚かすことに長けていた。