ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

対立を煽るメディア 読者にとっては意図・意味不明

2011年05月22日 | 時事問題
asahi.com 2011年5月22日3時0分
班目委員長「私は言っていない」 再臨界の危険性発言
 班目春樹・原子力安全委員長は21日夜、朝日新聞の取材に対し、政府・東電統合対策室の会見について「再臨界の危険性があるなどと私は言っていない。侮辱と思っている」と反論した。 班目委員長は「発表文は東電と官邸と保安院が作ったもの。原子力安全委員会として抗議する」と話した。

asahi.com 2011年5月22日0時39分
海水注入を中断、再注入 政府に伝わらず 3月12日
 政府と東京電力で作る政府・東電統合対策室は21日、福島第一原子力発電所1号機で3月12日にいったん始めた原子炉への海水注入を、東電が自主的に中断していたことを明らかにした。官邸にいた東電幹部から、経済産業省原子力安全・保安院などが原子炉への海水注入について安全性を検討するとの連絡を受けたためという。注入開始や中断の情報は当時、政府に伝わっておらず、連携の悪さが改めて示された。

asahi.com 2011年5月22日11時7分
海水注入中断は東電の判断 枝野氏が認識示す
 枝野幸男官房長官は22日、東京電力福島第一原発1号機で震災翌日の3月12日にいったん始めた原子炉への海水注入が一時中断された問題について「東電がやっていることを(政権側が)止めたようなことは一度も承知していない」と語り、海水注入の中断は東電側の自主的な判断との認識を示した。被災地視察で訪れた青森県三沢市で記者団の質問に答えた。

朝日新聞という良識の府が、到底理解できないレベルの記事を書くとは。なにか対立やミスか裏があることを煽るだけではメディアの責任を果たしているとは思えない。噂のレベルでは週刊誌と同じではね?もう一段階調べて熟慮した上で記事を書くべきではないか。

読書ノート 藤木久志著 「中世民衆の世界」 岩波新書

2011年05月22日 | 書評
百姓の生活、村のおきて、村のあらそい 第10回 最終回

5)直 訴ー平和への道

 1550年、小田原の北条氏は百姓と地頭や代官との間にもめ事があったら、大名法廷に訴訟するようにという直訴の道を開いた。その前に大地震があり、耕作に絶望して村を棄てる人々が続出した。どうやってもとの村へ百姓を戻すか。大名の思い切った保護策に大きな期待がかかっていた。そこで百姓の直訴を積極的認め、苛斂誅求な代官や地頭から百姓を守らなければならなかった。それが直訴の勧めの本音であったと思われる。その後1560年上杉謙信に小田原城内に深く攻め込まれ、領域を徹底的に破壊され、それが引き金になって激しい飢饉に見舞われた。そこで北条氏は下々の百姓まで、目安箱を置いて諸人の訴えを聞いた。江戸時代に有名な目安箱が1世紀も前に小田原で実施されていた。領主や代官をこえて、百姓が大名へ直接訴える事を保障していた。戦国時代に軍隊による乱暴狼藉は村の自治力で防いでいたが、そのためにはそれなりの村の武装も必要であった。戦国大名は自軍への協力を誓った村には安全保障を約束した。直訴、目安箱などの政策が、荒廃した戦場の村に村人たちが戻る事を促した。豊臣秀吉は百姓の異議申し立てには家来任せにせず、自分がじかに裁くことを約束した。そして1580年秀吉は次の事を言った。「理不尽なやからがいたら、村人達の力で逮捕し、直訴すべし」という、村の武力を前提とした警察システムによる秩序維持に期待した。緊迫した戦国時代の村自治の有様であった。直訴というシステムによる百姓村での武力行使の回避、抑制策は大きく広がってやがて徳川時代の政治の骨格となっていった。1603年徳川家康は将軍となると「御領所直轄領と私領旗本領の百姓七箇条のこと」を定めた。
①直轄領と私領の百姓に、領主の非にもとづく逃散権を保障する。代官や領主がその百姓に還住を強制することは禁止する。
②「出入り勘定」つまり年貢の支払いを済ませば、移住は村人の勝手である。
③幕府に異議申し立てをする時は、村を出る覚悟をせよ。
④年貢率の高下についての異議は受け付けない。
⑤幕府への直目安は禁止する。地頭に人質を取られた場合の緊急時はこの限りにあらず。
⑥代官に落ち度がある時、越訴を保障する。
⑦領主による私的な制裁を禁止する。幕府の法廷での公平な裁判を保障する。
(完)

文藝散歩 藤井貞和著 「日本語と時間ー時の文法をたどる」 岩波新書

2011年05月22日 | 書評
古代の時間を表す助動詞6種「き、けり、ぬ、つ、たり、り」の運命 第10回

5)古代を乗越える 「たり」

 本書の一番重要なことは、今しがた起きた「つ」が「あり」と結合して「たり」をうみ、そして近世に「た」となったということである。時枝文法では接続助辞「て」に「あり」が結合したというが、筆者は助動辞「つ」の連用形の「て」に「あり」が連続して「たり」が成立したと考える。そこで問題は「たり」と「り」の違いである。源氏物語「若紫」に「髪は扇をひろげたるように・・立てり」(・・広げてある状態にして・・・立ちある)というように、「たり」と「り」を完全に使い分けている。「り」は存在の「あり」の同質異像で、そうなった状態「たり」とは一緒にできない。おなじ「若紫」に「伏籠のうちに籠めたりつるものを」(とじこめておいたはずなのに)とあるのは、「たり」が「つ」と「あり」の結合であれば、助動辞の重出であるが、不自然さは無い。同出「源氏の君こそおはしたなれ」(いらしたそうな)とあるが、「た」は「たり」にすぎず伝聞の助動辞「なり」の已然形の上の接続している。古文の「たり」と、中世から近世にかけて成立する「近代語」である「た」には強い意味上の脈絡がある。完了と過去との親近関係が生じた。江戸時代には「き」、「けり」はとっくに消滅しており、終止形「たり」はもう存在していないというのが通説である。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「初夏偶成」

2011年05月22日 | 漢詩・自由詩
薫風爽快麦秋天     薫風爽快なり 麦秋の天

新緑点紅榴火燃     新緑紅を点じて 榴火燃ゆ

春去芭蕉青展扇     春去て芭蕉 青扇を展べ
  
夏来蓮葉碧舗銭     夏来て蓮葉 碧銭を舗く


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(韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 ショスタコーヴィッチ 「交響曲 第2番10月革命、第15番」

2011年05月22日 | 音楽
ショスタコーヴィッチ 「交響曲 第2番10月革命、第15番」
ラディスラフ・スロバーク指揮 チェコスロバキア放送交響楽団
DDD 1991 NAXOS

第2番「10月革命に捧ぐ」は1927年の作品、1楽章形式の合唱と管弦楽、レーニン賛歌である。15番は最後の交響曲で1972年の作品。45分の大作である。