伝記文学の傑作 森鴎外晩年の淡々とした筆はこび 第1回
森鴎外の著作は私の高校以来の愛読書であった。しかるにこの「渋江抽斎」だけは読む気がしなかった。第1回目は大学生の夏休みに読み始めてあまりの退屈さにギブアップし、第二回目は2001年のころ中公文庫の手ごろな本の値段(571円)に引かれて購入し、なんかのきっかけで中断したままであった。そして2010年夏、意を決して第3回目の正直で3日間で読了した。これもなにかの因縁かもしれない。「渋江抽斎」は決して歴史上の人物として特記されるべき人物ではない。江戸時代末期の漢方医であり考証学者である。維新の魁を担った人物でもない。だからというわけでもないのだが、森鴎外の「渋江抽斎」は淡々と進行する退屈な事実の羅列に過ぎないと、若い頃の自分は思ったために読む気がしなかったのだろうか。森鴎外の生涯は語りつくされている感がするので述べないが、東京にある森鴎外の遺跡は機会があるたびに訪問した。上野不忍池の北にある森鴎外新婚当時の家が、ホテルの中に囲い込まれて現存している。また陸軍省に馬で通ったという文京区立本郷図書館(千駄木)となりにある「観潮楼」の旧宅から海が見えたという。東京都三鷹市の禅林寺の「森林太郎の墓」に詣でたことが懐かしく思い出される。すべて昔の事になったのだが、今において再度森鴎外の「渋江抽斎」を読む気にさせたものは、尾形仂著 「鴎外の歴史小説ー史料と方法」(岩波現代文庫 2002年)であろうと思う。森鴎外を天皇制へのアンチテーゼとして読む文学観、そして職業倫理である。封建制批判は角度を変えれば乃木大将殉死の天皇制批判となる。ここに森鴎外の歴史上人物への思い入れが見られ、本書「渋江抽斎」にはそのような文藝史観はないが、森鴎外自身の軍医・文藝愛好家としての共感と職業倫理に徹した名著として残る作品である。
(つづく)
森鴎外の著作は私の高校以来の愛読書であった。しかるにこの「渋江抽斎」だけは読む気がしなかった。第1回目は大学生の夏休みに読み始めてあまりの退屈さにギブアップし、第二回目は2001年のころ中公文庫の手ごろな本の値段(571円)に引かれて購入し、なんかのきっかけで中断したままであった。そして2010年夏、意を決して第3回目の正直で3日間で読了した。これもなにかの因縁かもしれない。「渋江抽斎」は決して歴史上の人物として特記されるべき人物ではない。江戸時代末期の漢方医であり考証学者である。維新の魁を担った人物でもない。だからというわけでもないのだが、森鴎外の「渋江抽斎」は淡々と進行する退屈な事実の羅列に過ぎないと、若い頃の自分は思ったために読む気がしなかったのだろうか。森鴎外の生涯は語りつくされている感がするので述べないが、東京にある森鴎外の遺跡は機会があるたびに訪問した。上野不忍池の北にある森鴎外新婚当時の家が、ホテルの中に囲い込まれて現存している。また陸軍省に馬で通ったという文京区立本郷図書館(千駄木)となりにある「観潮楼」の旧宅から海が見えたという。東京都三鷹市の禅林寺の「森林太郎の墓」に詣でたことが懐かしく思い出される。すべて昔の事になったのだが、今において再度森鴎外の「渋江抽斎」を読む気にさせたものは、尾形仂著 「鴎外の歴史小説ー史料と方法」(岩波現代文庫 2002年)であろうと思う。森鴎外を天皇制へのアンチテーゼとして読む文学観、そして職業倫理である。封建制批判は角度を変えれば乃木大将殉死の天皇制批判となる。ここに森鴎外の歴史上人物への思い入れが見られ、本書「渋江抽斎」にはそのような文藝史観はないが、森鴎外自身の軍医・文藝愛好家としての共感と職業倫理に徹した名著として残る作品である。
(つづく)