ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

医療問題  朝日新聞ガンワクチン報道事件の検証-5

2011年02月18日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC by 医療ガバナンス学会(2011年2月11日) 「朝日新聞ガンワクチン報道事件 第4の権力の暴走-5」 小松秀樹 虎ノ門病院泌尿器科部長 より

7) 規範的予期類型と認知的予期類型

 ニクラス・ルーマンによると社会の発展により昔は社会を運営してゆくために機能的に規範を基準とした概念が整理された。現代社会は社会システムの機能分化が進んだ部分社会で成り立っている。部分社会のコミュニケーションは規範的予期分類型(法、政治、行政、メディアなど)と、認知的予期分類型(経済、学術、技術、医療など)に大別できるという。規範的予期分類型は道徳を掲げ、確信と制裁・合意により支えられその対応は比較的緩やかである。認知的予期分類型は知識を増やすことで急速な変化に対応し、学習して自らを変えるのである。短期的には合意の得やすい規範的予期が有意であるが、長期的には適応型で学習の用意がある認知的予期が有意である。耐震偽装問題に対する報道を受けて、建築基準法が改正され審査が厳格になった半面、建築確認申請が滞り建築着工が遅れ倒産した企業も出た。過熱報道は日本の建築界に大被害をもたらした。こういった規範的予期行動とメディアの本質を次に考察する。
(つづく)

文藝散歩 森鴎外著 「渋江抽斎」 中公文庫

2011年02月18日 | 書評
伝記文学の傑作 森鴎外晩年の淡々とした筆はこび 第7回

津軽藩近習医師抽斎

 文政5年(1822年)5月抽斎は18歳で家督を相続し、表医者を仰せ付けられた。文政6年抽斎は19歳で下野佐野の浪人尾嶋忠助の娘定と結婚した。定17歳であった。抽斎の母縫は文政7年剃髪して寿松と称した。文政8年津軽家では寧親が隠居し、信順が封を襲いだ。文政9年抽斎22歳の時、姉須磨が25歳で亡くなった。そして師市野迷庵が62歳で没した。この年に抽斎に長男恒善が生まれた。文政12年抽斎25歳は多事であった。3月に師井沢蘭軒(53歳)が没し、近習医者補を命じられた。6月に母寿松が55歳でなくなった。11月には妻定を離別した。12月には二人目の妻比良野文蔵の娘威能を迎えた。貧家の出の嫁を追い払って要職者の娘を迎えたという筋書きとなる。天保2年抽斎27歳のとき、長女純がうまれ妻威能が没した。12月蘭軒の門下で机を一緒にしていた岡西玄亭の妹、備後国福山の医官岡西栄玄の娘徳を3人目の妻に迎えた。天保4年4月抽斎(29歳)は藩主信順に従って初めて弘前に下り、翌5年に江戸に戻った。天保6年抽斎31歳のとき、師狩谷液斎(61歳)が亡くなった。11月には次男優善が生まれた。天保7年抽斎32歳で近習詰めに進んだ。師池田京水(51歳)が没した。天保8年7月抽斎33歳のとき、藩主信順に従って弘前に行った。12月父允成が74歳で没した。翌9年劇通で奇行で有名であった森枳園(31歳)が芝居の俳優として舞台に立ったことがばれて阿部家から永久追放処分を受け、借金のため夜逃げをし、大磯に逃れたという。天保10年派手好きで浪費家のため藩の財政困難を招いた藩主信順は40歳で隠居し柳嶋に移り、順承が封を継いだ。抽斎は信順附きとなって柳嶋の館に勤務した。天保11年抽斎36歳のとき、画家谷文晁(77歳)が没した。天保12年妻徳が2女好を生んだが夭折し、翌13年には三男八十三郎を生んだがこれも夭折した。抽斎37-38歳のときである。天保14年抽斎39歳は藩主順承の近習に進められた。同年「躋寿館」で書を講じた。翌弘化元年抽斎40歳のとき、幕府の直参となり「躋寿館」の講師に任じられた。2月に妻徳が没し、11月に神田鉄物問屋山内忠兵衛の二女五百が4人目の嫁に迎えられた。長女純(16歳)が幕臣馬場玄玖に嫁いだ。
(つづく)

読書ノート 宇野重規著 「'私'時代のデモクラシー」 岩波新書

2011年02月18日 | 書評
個人主義の時代に、私たちの問題を話し合うデモクラシー 第13回

3)「私」と政治 (3)

 政党や政治家は、「私」の問題を「私たちの問題」へつなぐ、一貫した政治的理念や展望を伴ったアピールが必要である。事態は深刻である。政治の脈絡のなさと行き場のない不満がコインの表裏の関係となり、人々が無力感に陥ることは日本社会にとって危機的状況となるだろう。サブプライムローンに端を発した世界経済危機と、日本の派遣切りに象徴される雇用問題の深刻さは「新自由主義・市場原理主義」への失望(市民は誰も期待していなかった)となった。そのなかでアメリカでは2008年オバマ大統領が就任し、日本では2009年民主党が政権交代を果たして鳩山内閣が成立した。いずれもまだ現状変革の成果は現れていないが、このままの状況が続けば再度政治不信が高まり、ニヒリズム、ナショナリズムが台頭する心配がある。日本政治の現在の最大の機能不全は生活保障問題である。ながらく「小さな福祉国家」でサプライヤー優先政策に徹してきた保守政治と官僚政治は、企業や業界、組合といった機能に雇用や生活保障を任せていた。日本的社会構造が1990年以来崩壊の一途をたどり、社会保障制度の脆弱性や不備により個人の生活保障問題が急に露になった。日本政治は社会集団間の分裂が可視化し、財政悪化によりもはや裁量や補助金つけの経済的余裕はなくなった。政治学者の大獄秀夫は「日本政治の対立軸ー93年以降の政治再編成の中で」において、政策対立軸が冷戦の終焉と政界再編製のなかで消滅したという。55体制の主軸は「安保問題」であったが、ソ連がなくなってみると自民党の求心力はなくなり、実にさまざまな政界再編成が起きた。1980年代末から欧米では「新自由主義」を導入して経済の建て直しを行い、金融ビックバンへ大きく舵を切った。バブル崩壊後の日本の対策は後手後手にまわり、「失われた10年」という時代を取り返すべく、21世紀より始まった小泉流「新自由主義改革」は、本来日本社会が「擬似的社会民主主義国家」であった経済的構造を破壊し、医療や生活セーフティネットまでも切り崩した。日本において擬似的社会民主主義機能をはたし、不平等を一定の範囲に抑えていた社会構造が最終的に崩壊した。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「月夜看梅」

2011年02月18日 | 漢詩・自由詩
竹林黄鳥報春来     竹林の黄鳥 春を報じて来り

数点江梅犯雪開     数点の江梅 雪を犯して開く

皎皎月光寒照水     皎皎たる月光 寒くして水を照し
 
氷魂痩影浄沾苔     氷魂の痩影 浄にして苔を沾す


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(韻:十灰 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)