今や茂木さんは哲学者 脳から人間存在の本質に迫る 第12回
第19回 欲望と社会
欲望を最終的に生物学的に定義すると、やはり生物としての個体維持本能、種保存本能に帰結するのかもしれない。道徳や倫理に人間を合わせることは出来ない。生きることの本質は本来どうなるか分らないという遇有性にある。経済行為も誰も予測できない遇有性が基本である。マクロ経済動向は予測できない。明日のことが予測できる経済アナリストは誰一人としていない。みんな後付けの理屈を言っているのだ。とりあえず自分の欲望を肯定することで人間はスタートする。生きる上で避けられない遇有性を引き受ける形でアダムスミスの経済が成り立っている。経済を計画できると思った社会主義は崩壊した。人間も社会規律で縛りつける全体主義も破綻した。人間存在の原罪である遇有性(どうなるかわからない)を引き受けるのが人間の宿命ではないだろうか。
第20回 1回性を巡る倫理問題
人生は1回性(繰り返すこと、やり直しのきかないこと)にあり、全ての宗教的体験の本質も1回性にある。人生のリセットが出来ないかぎり、気付きを重ねて学習を続けるのが人生である。ひらめきと云う1回性の認識は「一発学習」であり何時訪れるかは分らないが大切な事である。しかしそれを大事にするセレンディピティとは偶然を必然に転化する「メタ認知」のことである。
(続く)
第19回 欲望と社会
欲望を最終的に生物学的に定義すると、やはり生物としての個体維持本能、種保存本能に帰結するのかもしれない。道徳や倫理に人間を合わせることは出来ない。生きることの本質は本来どうなるか分らないという遇有性にある。経済行為も誰も予測できない遇有性が基本である。マクロ経済動向は予測できない。明日のことが予測できる経済アナリストは誰一人としていない。みんな後付けの理屈を言っているのだ。とりあえず自分の欲望を肯定することで人間はスタートする。生きる上で避けられない遇有性を引き受ける形でアダムスミスの経済が成り立っている。経済を計画できると思った社会主義は崩壊した。人間も社会規律で縛りつける全体主義も破綻した。人間存在の原罪である遇有性(どうなるかわからない)を引き受けるのが人間の宿命ではないだろうか。
第20回 1回性を巡る倫理問題
人生は1回性(繰り返すこと、やり直しのきかないこと)にあり、全ての宗教的体験の本質も1回性にある。人生のリセットが出来ないかぎり、気付きを重ねて学習を続けるのが人生である。ひらめきと云う1回性の認識は「一発学習」であり何時訪れるかは分らないが大切な事である。しかしそれを大事にするセレンディピティとは偶然を必然に転化する「メタ認知」のことである。
(続く)