ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

企業の事業再編大忙し 日立テレビ不振 昭和シェル太陽電池へ

2009年04月02日 | 時事問題
2009年4月1日19時23分
日立、宮崎プラズマパネル工場を昭和シェルに売却へ 
 日立製作所は1日、プラズマテレビのパネル製造子会社、日立プラズマディスプレイの宮崎工場(宮崎県国富町)について、昭和シェル石油への譲渡協議を始めたと発表した。昭和シェルは太陽電池工場に転用し、11年度の稼働を目指す。譲渡する設備や移籍する人員規模などは6月ごろまでに詰める。

日立のデスプレイ部門大不振 競争激化で撤退か 昭和シェルの太陽電池工場建設へ

文藝散歩 戦国時代の戦記文学

2009年04月02日 | 書評
「信長公記」  角川ソフィア文庫 第6回

信長公記 首卷 (3)

 武田信玄は甲斐・駿河・相模(武田・今川・北条)三国同盟を結んで西進の戦略策をとった。この時期天台宗の天沢という僧(尾張春日の出)が甲斐に寄った時、織田信長のことを委しく聞いたらしい。信長六人衆に弓三張として浅野又右衛門・太田又助・堀田孫七、鑓三本として伊藤清蔵・城戸小左衛門・堀田左内を記している。ここに著者太田又助(後の太田牛一)の名が出て、ちゃっかりと信長の侍として永遠に名を刻む遺志が伺えてほほえましい。駿河への備えとして黒末入海・善照寺・南中島・丸根山・鷲津山城を取って兵を入れた。永禄3年(1560年)5月、佐久間大学と織田玄蕃の情報により今川義元は4万5千の兵を動かして桶狭間で休息していることを知った。この時徳川家康は今川と同盟して大高城に陣を構えた。善照寺から信長は300人で打って出たが完全に今川勢に破れ、2000人で小中島へ移った。桶狭間は狭く、反対の田は深田といい足をとられる地形であった。急襲された今川の大軍は混乱して討たれる者3000人、毛利信介が今川義元の首を取った。鴫原城,、鳴海城、大高城、沓懸城、池鮒鯉城の五城をとった。家康は岡崎城に逃げ籠った。永禄4年(1561年)三州梅が坪城を攻め落として帰還。

永禄2年(1559年)上総介信長は上洛して足利義照と面会した。ここに3件の面白い話が挿入されている。一つは、美濃から小池吉内ら5名の上総介暗殺団が京へ派遣されたが、それを知った信長に適当にあしらわれて、無事信長は清洲へ帰還したと云うこと。二つは、比良城主佐々蔵人謀反の噂があって、天が池に大蛇が出るという噂を確認するという名目で比良へ出向き無事謀反を抑えた事。三つは尾張大屋の甚兵衛と左助の訴訟に、信長自らが火起請(昔の「くがたち」)で裁定した事。これの三つの話は作り話の気配が濃厚である。要は無血で事を納めた信長の器量の例え話であろうか。
(続く)




医療問題 「現場からの医療改革レポート」  Japan Mail Media

2009年04月02日 | 書評
絶望の中の希望ー医師は「医療崩壊」の現状をネットに訴える 第58回

第24回(2009年2月11日)「メデァが報道しない都立墨東病院事件の背景」 第6回 「医療再生への特効薬は、メディエーションと対話型ADR」 東京大学医科学研究所 上昌広 
 
 医療過誤の民事訴訟の濫発が医療崩壊を招いたアメリカの経験をもとに、日本の医療再生の道を探ってゆこう。アメリカでは1970年代より医療訴訟が頻発し、賠償金の支払いの増大から多くの保険会社が医師賠償保険から撤退した。そして訴訟リスクの高い産科や救急医療から医師が消えた。結局患者が大きな迷惑を蒙ったのである。患者をたきつけて利益を得たの弁護士だ。1975年カルフォニアの麻酔科医が医療過誤危機に対してストライキに入ったのきっかけに、州知事は「医療被害補償改革法」MICRAを通して、賠償金の上限を25万ドルに制限した。その後2002年ネバダ州で大手保険会社が赤字を出して医賠責保険から撤退したため、保険料が高騰し、リスクの高い診療科医は保険料の安い他の州へ逃げ出した。そこでアメリカでは医療事故の初期対応、とくに当事者同士の対話が注目され、訴訟より対話の方向が社会のコンセンサスとなりつつある。2008年ヒラリー・クリントンとオバマ氏が連名で医学専門誌に「医療事故発生時の初期対応システムの普及」について寄稿した。またアメリカでは、紛争のとき第三者メディエーターが当事者間の話し合いに参加し、両者の意見の橋渡しを演じる試みがなされている。メディエーターは調停等の法律的な解決には関りあわない。このような制度は医療訴訟に疲れた米国医療界に急速に普及しつつあります。2007年「裁判外紛争解決鉄好きの促進に関する法律」ADRが施行され、仲裁、調停、斡旋などの手法を用いて迅速に紛争を解決することを目指している。わが国の医賠責保険も破綻寸前にある。賠償額は1億円を越す事もあり、1億円が認められると弁護士費用は1100万円となる。日本医師会の医賠責保険は既に139億円の累積赤字になっている(2003年)。日本では賠償金に上限を設けることは、自動車賠償保険とのならびで国民の同意を得ることは難しい。対話的ADRの普及が望ましい方向ではないか。
(続く)