ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

北朝鮮 ミサイル(人工衛星?)発射間近か 舌戦活発  

2009年04月03日 | 時事問題
朝日新聞 2009年4月3日8時33分
北朝鮮軍、日米韓を非難 「迎撃したら攻撃加える」
 【ソウル=牧野愛博】北朝鮮の朝鮮人民軍総参謀部は2日、「人工衛星の打ち上げ」に対する日米韓3カ国の動きを非難する報道文を発表した。朝鮮中央通信が伝えた。「4~8日」とした予告期間を目前に控え、北朝鮮メディアは連日、打ち上げの正当性を訴えている。

朝日新聞 2009年4月3日3時1分
日米韓、制裁確認の決議目指す 北朝鮮が発射なら
 【ソウル=牧野愛博】日米韓3カ国は、北朝鮮が「人工衛星打ち上げ」を名目に弾道ミサイル発射に踏み切った場合、ただちに国連安全保障理事会を開き、北朝鮮による06年の核実験を受けて採択された制裁決議の厳格な履行を各国に強く求める新決議の採択を目指す方針を固めた。

6カ国協議の破綻を狙った北朝鮮のいつもの挑発戦術に乗せられてはいけない、経済制裁が一番の策だ

犬猿の仲 猿追っ払い成功するか

2009年04月03日 | 時事問題
朝日新聞 2009年4月3日7時21分
犬猿ガチンコ勝負!サル食害対策に5匹出動 大分
 ミカンなど柑橘(かんきつ)類の産地で知られる大分県津久見市で、サルの食害対策に飼い犬が実戦配備された。名づけて「モンキードッグ」。犬猿の仲のサルを追い払う訓練を終えた精鋭の5匹だ。
 市によると、鳥獣による農作物の被害は07年度が約780万円で、面積は13.5ヘクタールにも及ぶ。イノシシが最も多いが、最近はサルが犯人とみられる被害がポンカンの栽培ハウスなどで増えてきた。

サルも餌を求めて里に降りてきたのに、犬に追われるのも可哀そう

文藝散歩 戦国時代の戦記文学

2009年04月03日 | 書評
「信長公記」  角川ソフィア文庫 第7回

信長公記 首卷 (4)

 弘冶元年(1555年)美濃の守護土岐頼芸を追い出した斉藤道三は嫡子義竜を廃して、実子三男孫四郎を立てようとした。11月義竜は病と称して欺いて弟二人を自邸に呼び殺害した。驚いた道三は鶴山に篭城し、翌弘冶2年(1556年)4月長良河で親子決戦となり、小真木源太が道三の首を取った。信長は同盟の関係で出兵したが、何もせず帰陣した。その義竜は尾張上四郡の織田伊勢守と組んで清洲城を襲った。信長は下四郡の半分を奪われてピンチとなったようだ。弘冶2年(1556年)4月三河の吉良・石橋・武衛らが語らって謀反したので、岩倉浮野で戦い織田信賢らを退けた。永禄元年(1558年)7月、永禄2年(1559年)岩倉城をせめて破壊した。

永禄3年(1560年)5月に今川義元を倒してからは、信長は西美濃に侵攻した。同年5月美濃勢が墨俣から兵を出したので、尾張の永井甲斐守・日比野下野らは森辺口で戦ってこれを破る。勘気を蒙っていた前田利家はこの戦いで功を挙げて赦された。翌永禄4年(1561年)5月に信長は西美濃に侵攻し、十四条の戦いで勝利して墨俣に帰陣した。6月には於久地をせめた。永禄6年(1563年)犬山の二の宮山城から小牧山城に移った。永禄7年(1564年)8月美濃勢の佐藤紀伊守親子が信長側に寝返り、宇留摩城・猿はみの城を奪った。また犬山の家老和田信介・中嶋豊後守が信長側に寝返った。同年9月には堂洞城の岸勘解左衛門を攻め、太田又介(著者)が弓で大活躍。信長が引き上げる時関口から斉藤龍興の兵3000に攻められ大損害を出す。永禄9年(1566年)4月川中島で斉藤龍興と戦い敗北、木下秀吉の築いた一夜城墨俣で龍興の攻撃を防いだ。永禄10年(1567年)8月美濃三人衆、稲葉伊予守・氏家卜全・安東伊賀守が信長側に寝返った。井口山から瑞龍寺山へ兵をすすめて斉藤龍興を追い出し、美濃国を平定した。信長稲葉山上に入り、美濃を岐阜と改名。永禄11年(1568年)義照の弟足利義昭を加賀朝倉義景から迎えて入洛する。足利義昭を征夷大将軍にした。
(続く)


医療問題 「現場からの医療改革レポート」  Japan Mail Media

2009年04月03日 | 書評
絶望の中の希望ー医師は「医療崩壊」の現状をネットに訴える 第59回

第25回(2009年2月25日)「医師臨床研修制度」  東京大学医科学研究所 上昌広 


 医療事故に鑑み医療界の隠蔽体質を糾弾するとするメディアの批判に答える形で、厚生労働省は2004年「プライマリーケアーを中心とした幅広い診療能力の習得」を目的とした臨床研修制度をスタートさせた。メデイァの批判をバックに厚労省官僚が医師教育方針まで統制を強めることになったのである。ところが「高邁な理念」と裏腹に、地方の医師不足を加速する結果になり、2008年9月森元首相が「臨床研修制度見直し」を命じた。その結果、これまで2年間で7科目全科の必修を義務化し、研修医の計画派遣のために財団法人「医療研修推進財団」を設置して200億円の予算をつけるものであった。官僚にとっては天下り先の確保となって、まことにおいしい制度であった。今回の見直しでは内科と救急、地域医療を必修とし、2科目を選択するもので1年で必修研修は終了する。あと1年の研修は専門科の自由選択である。プライマリーケアー重視はとりもなおさず専門科の軽視であり、医者を全員地域の開業医として訓練するようなものだ。また全科のローテーションは既に大学医学部で実施済みであるので重複した施策である。そして最悪の厚労官僚の狙いは、臨床研修と医師不足対策と医療費削減を絡めた支離滅裂な施策となったことだ。今回の見直しも決して楽観はできない。審議会の委員が5年前の制度創設委員とダブっているからである。古い皮袋に古い酒を入れる事になりかねない。その証拠に「医療研修推進財団」と200億円の予算はそのまま2年間分ちゃっかり確保しているのである。
(続く)