<七面山の上で眺めた日の出>
松前の道の駅で朝を迎える。今日も、松前の薮山低山巡りの予定だった。まずは、昨日の七面山で気付かなかった鳥居を探しに再訪。
◎七面山再訪
頂上は単なる薮で鳥居などはなかった。しかし、ちょっと南側に進んでみたら、下に建物が見えたので下りてみた。
その建物は鳥居があったので神社かと思ったが、ログハウス風の寺社のようだ。寺社でも鳥居があるのは、明治以前の神仏混淆の名残であろう。そばに「七面宮」と彫られた石柱と「南無妙法蓮華経」と彫られた石柱が立っていた。「七面宮」の石柱の裏には「寛延四年藤原正高建立」と彫られている。寛延四年は1751年である。
境内は、薮で覆われていて、もう何年も訪れる人もなく、整備などはされていない感じである。
身延山の近くにある同じ名前の七面山は日本二百名山に選ばれていて、日蓮宗の信仰の山だった。そこに鳥居があるのは変だと思ったが、調べて見たら、下記のようなことが分かった。やはり、神仏混淆時代のなごりのようだ。
※全国の七面宮に祀られている七面大明神は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。 七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。
立派な御影石の鳥居。文化十年正月吉日の銘がある。文化十年は1813年なので、「七面宮」の石柱建立より後である。それにしても、こんな山中にこのような神仏混淆時代の寺社があるのは、さすが松前である。
◎丸山(525m)途中撤退
この山の頂上近くには、地図上では、南の勝軍山から、西の札前からの牧場管理道路の先から、東の大千軒岳への松前石崎線から別れる土岐沢林道の先から・・・と3方向から点線で記載された作業道があることになっている。
いずれもかなり長距離の先である。その中で、もし、奥まで入ることができれば、札前からの牧場の管理道路の先が最短距離である。
そこで、札前から舗装された林道を進む。地図上の実線部分は入ることができた。その先の点線部分の牧場の管理道路にはゲートがあり、鍵が掛けられていた。そこから丸山までは、直線距離で3kmである。
ゲート前の広場に車を置いてスタート。舗装された道の先の左側に目指す丸山と思われる山が見えている。
管理道路を1.5kmほど30分歩き、この先の林の中の丸山へ向かう点線との接続部分へ到着。
ここから丸山までは直線距離で1.5kmである。作業道か林道跡でもあれば、薮漕ぎでもなんとか辿りつける距離である。
背丈を超える笹薮に突入。GPSの地図に掲載されている作業道跡を探しながら、笹薮を掻き分けて進むも、それらしい痕跡はまったく見当たらない。おまけに平坦な尾根で、前も見えないので目指す方向もはっきりしない。GPSを見ながら進んでもコースを外してしまう。
前日の疲れもあり、2日連続の先の見えない薮漕ぎに気が滅入ってしまう。誰か相棒でもいれば頑張れるのだが、嫌気がさして撤退することにした。ここ2~3年は大千軒岳への松前石崎線は不通なのでこのコースしかない。改めて出直すことにする。
戻ったら、朝は自分の車しかなかったのに数台の車が増えている。すべてタケノコ採りの車だった。
車を置いた場所から先に続く山への道路を走ってみた。眼下に海岸段丘面と海岸線、その向こうに松前小島が見えた。
◎林道偵察
まだ9時前だったが、薮漕ぎ登山は疲れもあり気分も乗らないので止めて、いつか挑戦するつもりの御三流、越エバ山、健八流のアプローチとなる大鴨津川沿いの林道とその先の五番沢林道の偵察をした。
越エバ山のすぐ東側のゲートまで入ることができた。3山への取付き地点を確認した。
この3山はすべて薮漕ぎなので、1日では無理である。御三流と越エバ山に1日、健八流に1日は必要であろう。
五番沢林道から眺める御三流・・・山容は良いが、厳しい斜度である。
このあと、小鴨津川沿いの清部林道を入って、笹山へのアプローチの可能性を探ってみた。林道終点500m手前の沢を利用すれば、1.5kmほどの距離である。
そのほかあちこちの林道を偵察し、11時から営業の松前温泉に入って、帰路に就いた。