癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

黄金色に輝くイチョウ並木

2011年11月05日 | 花・紅葉だより
         スキー関係の会議に、札幌日帰りで往復。前日の内にタイヤ交換。
             早く着いたので、北大のイチョウ並木を見に・・・・。
                北大の北13条門から西へ延びる道路の両脇に、約400mにわたり計70本が植えられている。

          今年の紅葉は、どこも不作だったが、ここは黄葉も紅葉もおみごと!

         

                 

大正ロマンの街並み「銀座通り」界隈

2011年11月04日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
 第70回箱館歴史散歩の会のテーマは、「大正・昭和の大繁華街「銀座通り」と函館の基礎を作った高田屋嘉兵衛の歴史を学ぶ」だった。

 コースは、馬車鉄道跡~市電操作塔~花かるた~消防本部跡~願乗寺川跡~高田屋嘉兵衛屋敷跡~銀座通り~錦輝館跡~蘭亭跡~綿羊飼立場跡~高田屋嘉兵衛資料館。

○馬車鉄道跡と電車操作塔
 
○馬車鉄道跡
 函館の馬車鉄道は明治30年に弁天~東川間で始まり、明治44年に函館水電が買い取り、路面電車へと転換するまで続いた。路線も最盛期は、路面電車が最盛期だったころとほぼ同じで、軌道の幅も当時のまま。東京の馬鉄の技術指導を導入したので、軌道が東京馬鉄と同じなので、今でも中古の路面電車は東京都電しか対応できない。

○市電操作塔
 路面電車のポイント切り替えを上から見て操作する塔。昭和14年から平成7年まで現役だった。一番多いときで、6棟あったそうだ。この操作塔が出来る前は、旗振りで、切り替えを行っていたらしい。
 自分が高校時代(昭和35年頃)、下駄を履いてここを通ったときにポイントの切り替えにぶつかり、切り替えたレールに下駄の歯を挟まれたことがあった。慌てて外そうとしたが、なかなか外れない。この操作塔から見ていた係員が上で操作して外してくれたことを思い出した。

○花かるた(現在は居酒屋「花かるた」)
       
 昭和9年の函館大火以降の建物で、総檜造り。もとは児玉商店という北海道における花札の総代理店だったそう。ちなみにこの児玉商店は幕末から花札販売をはじめ、2代目はマージャンを函館に普及させた人物だったという。
 2階に掛けられている天狗印の看板は、明治期に京都の花札製造元より贈られたものだという。

○消防本部跡と願乗寺川跡(今の高砂通り)
 現在の婦人センターの場所に、昭和9年の大火までは寶小学校が建っていて、その辻向かいには消防本部があり望楼が建っていた。消防署は自分の記憶では昭和50年代もここにあったはず・・・?

 願乗寺川は、安政6年(1859)当時の願乗寺(現在の西別院)の僧堀川乗経が、五稜郭の堀を造った松川弁之助と共に企画し、開削した人工の川(長さ4km、幅4m、深さ4m)。それは亀田川を鍛治橋のあたりで分派し、中の橋を経て銀座通りにあった旧堀割に注いでいた。
 この川によって飲用水に不自由することがなくなり、人口の東進のきっかけとなった。明治期に入り、この水を飲んでいた人々の間にコレラが流行し、明治21年に「新川」へと切り替えられて、埋め立てられ、今の高砂通りとなった。翌22年に上水道が新設されるまで、約30年間市内に飲用水を供給し続けた。

○高田屋嘉兵衛屋敷跡
       
 寛政13(1801)年、嘉兵衛の後を継いだ弟金兵衛は、幕府の許可を得て、この地に5万坪を幕府から拝借し、その一角に豪壮な邸宅を建てた。敷地の中には米倉数棟、雇傭者の長屋等を建て、屋敷には池や築山、庭木、奇石、石灯籠などを配していた。有名な亀石も、この庭に運ばせた。松前藩主を迎えて歓待するために、大阪か大勢の大工を招いて、屋敷を5軒も建てたとのこと。そのことが、ねたみを買うことになり、高田屋取りつぶしのきっかけともなった。

○銀座通り
      
        (昭和11年の銀座通りの写真)
 大正10年の大火の後、火事に強い町づくりが進められた。防火帯としての広い道路、鉄筋コンクリート製の不燃建築、3階建て以上の高さなどで66棟が建てられた。7割はキャバレーやカフェで一大繁華街だった。東京の銀座に模して柳も植えられた。しかし、昭和9年の大火で半分近く焼け、現在残っているのは10棟程度。
      
       

当時の建物に残る飾り(植物や果物が多いとのこと)
     
     

○錦輝館跡と蘭亭跡(現在のチサングランドホテルの辺り)
 明治42年の日本最初の常設映画館と隣にあった中華料理屋。この蘭亭の息子が「函館ステップ」を歌った瀬川伸は瀬川瑛子の父親。

○高田屋嘉兵衛資料館
      
 左は明治36年、右は大正12年の建物。当時はこの辺り一帯は埋め立て地で3島6橋で結ばれていた。
 中で、館長より高田屋嘉兵衛の一生や業績についての説明を聞いて、展示を見て解散。

最高の沢納め

2011年11月03日 | 登山・旅行
             
  <入渓して20分で現れた8M、2mほどの2段の滝・・・とても直登は無理で、右から20分掛けて大高巻きをした>

 今時期、これ以上の暖かさはないだろうと思われる最高の天候に恵まれ、SHOさんと今春釧路から転勤してきたタニさんの同行を得て、今年度の沢納めとして、八雲町の盤石岳北東面直登沢を遡ってきた。

 実は、先週末に沢のスペシャリストである札幌のganさんからこの沢のお誘いを受けたが、所用のため参加できなかった。しかし、巨岩とナメが楽しかったという報告を読んで、今年の沢納めとしてぜひ遡ってみたかった。そこで、お二人を誘って実現となった。 
        
 次々と沢を塞ぐように立ちふさがる巨岩・・・この様な巨岩が30個ほどもあったのでは?この巨岩に覆われた沢を抱く山の名前が、まさに「重く大きな石」を表す「磐石」にピッタリで、この山名を付けた人もこの沢を登ったのではないかとさえ思ってしまうほどだった。

             
 このような快適なナメの他にミニゴルジュや甌穴なども見られ、大高巻きももう一箇所あり、飽きることのない変化に富んだ楽しい沢だった。源頭からの薮漕ぎは30分要したがそれほど辛くはなかった。 
             
        
 今年2回目となった盤石岳頂上にて・・・この後、苅分道と送電線管理道を繋ぎ、林道を歩いてゴールイン。当然、快適な秘湯・盤石温泉でのんびりしたのは言うまでもない。

 登り3時間、下り1時間30分。

 昨年の沢納めでは、滝から滑落してむち打ち症を患って、スキーシーズンを棒に振っただけに、今回は慎重に歩くように努めた。

 多くの写真と詳しい遡行記録は下記の親サイトにて・・・。
 http://sakag.web.fc2.com (明日アップ予定)

晩秋の頂稜漫歩

2011年11月02日 | 登山・旅行
      
          <袴腰岳から広大な横津岳斜面と駒ヶ岳をバックに>

千歳の岳友・たかさんご夫妻が函館近郊の山に登りに来たので、横津岳~烏帽子岳~袴腰岳の巴スカイラインピストンに付き合った。

 上空は、爽やかな秋空が広がっていて、快適な小春日和の陽気だった。しかし、お二人が楽しみにしてきた函館山や市街地の眺めを初めとする遠望は、霞んではっきり見えなかったのが残念。しかし、このスケールの大きな眺めには満足してもらえたようだ。

      
 横津岳頂上から、駒ヶ岳をバックに・・・噴火湾も水平線の上が霞んで遠望は利かなかった。

      
 山の木々は、すっかり葉が落ちてしまい、ナナカマドの実の赤だけが目立っていた。

 この巴スカイラインは、今年お客様を案内して2度も歩いた。前回は上空は低く黒い雲に覆われていたが、見える範囲の展望は全て見渡せた。しかし、今日は、上空は素晴らしい青空が広がっていたのに、期待した大展望は霞んで十分に得られなかった・・・天気の神様は、実に気ままだ・・・。

 ご夫妻は、明日は恵山と海向山に登るそうだが、天候が回復して、遠望が得られることを願いたい。


○そして、夜は「函館ライフスポーツ・コーチ交流会」

      
 いよいよシーズンインを前に、スキーが中心の中高年スポーツクラブ(一般会員65名、コーチ会員20名)のコーチ会員の交流会があった。全員SAJ公認スキー指導員資格保有者であるが、自らも常に今が青春の中高年である。

 飲みながらではあったが、今シーズンの課題やら新たな取り組み等の検討などの交流を深め合った。自分は、昨シーズンは晩秋の沢登りで滝から滑落し、むち打ち症を患い、1シーズンまったくお役に立てなかっただけに、今シーズンに掛ける想いは強い・・・。 

往復3時間の薮漕ぎ~「設計山」

2011年11月01日 | 登山・旅行
       
 雲一つない秋晴れの下、登山道はないので、一般的には雪山の時期しか登らない近郊の一等三角点の薮山「設計山(もっけやま)」へ登ってきた。興味を惹きそうな山名の由来は、親サイトの山行記録で・・・。

 8年前の3月に山スキーで登ってはいるが、あえて薮漕ぎで登ろうと思ったきっかけは、本州からやってくる一等三角点マニアの方々が、夏にこの山に登っていることや、その標石の写真をアップしているサイトがいくつか見られることであった。「彼等が、薮漕ぎで登っているのに、自分が登れないはずはない・・・やってみよう!」という乗りで、以前から目論んでいたことである。こんな変態山行に付き合う物好きはいないだろうから、当然一人でトライ・・・・。

 あと、最近の積雪期の記録を見ると、自分のときにはなかった頂上標識があるので、それも見たかった・・・。

       
 雪の時期では目にすることができない一等三角点の標石・・・これをカメラに収めたかった。

       
国道227号線の中山トンネル入口の駐車場に車を停めて、MTBに跨り、直ぐ手前の 戸切地中山線林道ゲートへ。尾根取り付きまでの林道部分は、距離にして約2.5km、標高差は150mだが、登りは半分ほど押して歩いて20分。帰りは、わずか10分のダウンヒル。         

       
 山スキーのときと同じ大野と上磯が合併する前の町境界線だった一面笹藪で覆われた西尾に取り付いた。幸い、太いネマガリダケはなかったが、終始密度の濃い笹藪漕ぎだった。尾根取り付き地点から見えていたピークを越えて、ようやく頂上(右)とご対面。

 尾根取り付きから登り1時間40分。下り1時間10分。冬の山スキーでは、登り45分、下り20分だったのに、わざわざ物好きな・・・。でも、好天のお陰で、スキーで登ったときには見えなかった景色も見えた。

 詳しい山行記録は、下記、親サイトにて、どうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/mokke11.htm