今日は仙台宿までの盛岡道が終わるところだが、宿の関係で仙台宿の中心地まで行けなかった。明日は、わずかな残りを歩いて、いよいよ白河までの仙台道となる。
今までで最も暖かく、初めて汗を掻いた。そのせいもあるが、ソメイヨシノはどこも見事に咲いていた。また、吉岡宿と富谷宿は宿場の観光にも力を入れているようで、往時の面影を色濃く残していた。
三本木宿~吉岡宿
うれしい5:00からのバイキングの朝食を腹一杯食べてスタート。
三本木宿に入って行くと、北町がその中心地だったようで、右手に新澤醸造店の蔵屋敷が現れる。
さらに進んでいくとカーブするところに、左右に門構えの旧家が現れる。
三本木宿を抜けると、国道4号の歩きとなるが、朝の交通量がものすごい。ときどき左右に残っている街道に入るとほっとする。
やがて、国道から離れ、見晴らしの良い高台の歩きが続く。しかし、それも、そのあと工業団地の造成で街道が寸断され、その団地の中のあたらしい道路を迂回することになる。
広大な工業団地を抜けて、本来の街道に出ると、吉岡宿へと入っていく。「吉岡宿本陣案内所→」の看板があり、期待を抱かせる。
吉岡宿に入っていくと、やたらと映画「殿、利息でござる!」の映画の説明が多い。この吉岡宿を舞台とした映画があったようだ。調べてみたら、2015年の映画で、原作は磯田道史の評伝「穀田屋十三郎」で、18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』を元にしているとのこと。
下町に進む。左手に門柱に「酒類醸造所」の看板が架かった早坂家が現れる。ここは下町で一番の大店だったそうだ。ここも映画の中に登場したらしい。
このあと、高札場跡や映画の主人公の穀田屋跡の説明板もあった。
その先の角を曲がると、「吉岡宿本陣案内所」があった。もとはセブンイレブンの建物だったようで、ここが本陣跡とのこと。案内所は残念ながら定休日だった。
その前が街道だったのに、それまで歩いてきた道を街道だと勘違いして、往復1km以上も無駄足を踏んだ。
戻って進んで行くと、歴史を感じる大きな木造の建物があったが、説明はなかった。
吉岡宿~富谷宿
吉岡宿を抜けると、4kmほどの国道歩きが続く。反対側から警官をたくさん乗せた装甲車が次々とやって来る。全部で15台以上はあったろう。あまり来るのでナンバーを見たら、宮城、岩手、福島、秋田、山形と青森以外の全てがあった。どこへ、なんの目的で向かったのか非常に気になった。
やがて、国道から離れ、富谷宿へ入っていく。
その曲がり角に内ヶ崎別邸がある。河北新報社の観光百選にも名を連ねた庭園があったとのことだ。
先に進むと土蔵づくりの家が現れたりする。
その先には、脇本陣気仙屋跡碑がある。
少し進むと、内ヶ崎家が現れる。本陣とともに酒造店も営んでいたようだ。南部信濃守宿などの関札などが残っているとのことだ。
その隣には土蔵づくりの店があり、富谷宿をとおった松前藩、南部藩などの大名の宿札のレプリカが展示されているらしい。
富谷宿~七北田宿
往時の宿場の面影を色濃く残している富谷宿を抜けると、ずっと国道歩きが続く。仙台が近くなるせいか、道路幅も広く交通量も多い。時おり残る街道へ渡るにしても信号のないところは無理である。
そんな中、国道のすぐそばを通る農道に転用されている街道歩きはうれしかった。
仙台市に入る手前のガストで、昼食に月替わりランチを食べた。やがて、国道から別れて七北田宿へ入っていく。
この七北田郵便局の辺りに、往時には本陣があったそうなので、郵便局と通りの写真を撮った。あとは、宿場の面影を残すような建物も見当たらなかった。
七北田宿~仙台宿
七北田宿を抜けると、広い県道に出る。しばらく進むと、県道の右手に上がっていく道となる。街道は県道と平行しているが、高いところを通っている。
騒音で賑やかな車道を見下ろしつつ進む。気持ちの良い眺めだ。
ももなくして、「仙台藩刑場跡」が現れる。お地蔵様と南無妙法蓮華経と刻まれた供養碑がたち、花が供えられていいる。1690年から百姓、町人等の罪人の磔、火焙り、斬首、獄門の刑がここで執行され、その数5300人とも7000人ともいわれている。なお車道側の地蔵様は車道の東側にあったものを、道路拡張工事にともなって現在地に移設したとのことである。それにしても大勢の人が処刑されたものだなと思った。合掌!
どんな大きな町や都市でも、宿場は街道筋にあったので、必ず国道や広い県道沿いにはない。国道や県道から別れて、細い街道へと入っていく。
大都市の仙台もそうである。その入口に、「御仲下改所(おすあいどころあと)」の案内板がある。これは城下に持ち込まれる商品から税金を取る北の番所跡で、東西南北にあったものであるとの解説と絵が書き込まれている。
その隣に佐大ギャラリーがある。往時は堤焼きの窯元が沢山あった所だが今はなく、堤焼きを展示している佐大商店だけが残っているようだ。
やがて、光明寺の階段の下に、スペイン、ローマへと渡ってきた支倉常長の墓があるとの標柱が立っていた。見に行きたかったが、すでに40km以上も歩いた足にその階段を昇る元気はなかった。
その先に、サクラに彩られた青葉神社があったが、ここも境内はパス。そこから向きを変えて、仙台宿に向かって直線の狭い国分町通り商店街が続く。
しばらく進むと、右手に検段屋敷だった伊澤家が現れる。門構えがあり、どっしりとした蔵造りの建物はやや壁がいたんではいたが街道筋の面影を残している。左の通りに、仙台市役所や宮城県庁を見ながら進む。
15:55、ホテルが近くなって来たので、定禅寺通りとの交差点を今日のゴールとした。
5分ほどで今日のカプセルホテル・リーブスに到着。これまでで最も遅いゴールかも?
昼食後に一応じゃらんを通して予約を入れたら、突然割りという2000円の企画があったので、当然それにとびついた。チェックインの時に聞きそびれたが、空いていたのと、入口のドアのそばのベットだからではないかと勝手に解釈した。
20:30にようやくブログを打ち終えたので、これから夕食へ。残念ながらホテルのなかに食べるところはないので、着替えて外へ出なくてはならないのがちょっと面倒くさい。
「7日目へ」のページへ
今までで最も暖かく、初めて汗を掻いた。そのせいもあるが、ソメイヨシノはどこも見事に咲いていた。また、吉岡宿と富谷宿は宿場の観光にも力を入れているようで、往時の面影を色濃く残していた。
三本木宿~吉岡宿
うれしい5:00からのバイキングの朝食を腹一杯食べてスタート。
三本木宿に入って行くと、北町がその中心地だったようで、右手に新澤醸造店の蔵屋敷が現れる。
さらに進んでいくとカーブするところに、左右に門構えの旧家が現れる。
三本木宿を抜けると、国道4号の歩きとなるが、朝の交通量がものすごい。ときどき左右に残っている街道に入るとほっとする。
やがて、国道から離れ、見晴らしの良い高台の歩きが続く。しかし、それも、そのあと工業団地の造成で街道が寸断され、その団地の中のあたらしい道路を迂回することになる。
広大な工業団地を抜けて、本来の街道に出ると、吉岡宿へと入っていく。「吉岡宿本陣案内所→」の看板があり、期待を抱かせる。
吉岡宿に入っていくと、やたらと映画「殿、利息でござる!」の映画の説明が多い。この吉岡宿を舞台とした映画があったようだ。調べてみたら、2015年の映画で、原作は磯田道史の評伝「穀田屋十三郎」で、18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』を元にしているとのこと。
下町に進む。左手に門柱に「酒類醸造所」の看板が架かった早坂家が現れる。ここは下町で一番の大店だったそうだ。ここも映画の中に登場したらしい。
このあと、高札場跡や映画の主人公の穀田屋跡の説明板もあった。
その先の角を曲がると、「吉岡宿本陣案内所」があった。もとはセブンイレブンの建物だったようで、ここが本陣跡とのこと。案内所は残念ながら定休日だった。
その前が街道だったのに、それまで歩いてきた道を街道だと勘違いして、往復1km以上も無駄足を踏んだ。
戻って進んで行くと、歴史を感じる大きな木造の建物があったが、説明はなかった。
吉岡宿~富谷宿
吉岡宿を抜けると、4kmほどの国道歩きが続く。反対側から警官をたくさん乗せた装甲車が次々とやって来る。全部で15台以上はあったろう。あまり来るのでナンバーを見たら、宮城、岩手、福島、秋田、山形と青森以外の全てがあった。どこへ、なんの目的で向かったのか非常に気になった。
やがて、国道から離れ、富谷宿へ入っていく。
その曲がり角に内ヶ崎別邸がある。河北新報社の観光百選にも名を連ねた庭園があったとのことだ。
先に進むと土蔵づくりの家が現れたりする。
その先には、脇本陣気仙屋跡碑がある。
少し進むと、内ヶ崎家が現れる。本陣とともに酒造店も営んでいたようだ。南部信濃守宿などの関札などが残っているとのことだ。
その隣には土蔵づくりの店があり、富谷宿をとおった松前藩、南部藩などの大名の宿札のレプリカが展示されているらしい。
富谷宿~七北田宿
往時の宿場の面影を色濃く残している富谷宿を抜けると、ずっと国道歩きが続く。仙台が近くなるせいか、道路幅も広く交通量も多い。時おり残る街道へ渡るにしても信号のないところは無理である。
そんな中、国道のすぐそばを通る農道に転用されている街道歩きはうれしかった。
仙台市に入る手前のガストで、昼食に月替わりランチを食べた。やがて、国道から別れて七北田宿へ入っていく。
この七北田郵便局の辺りに、往時には本陣があったそうなので、郵便局と通りの写真を撮った。あとは、宿場の面影を残すような建物も見当たらなかった。
七北田宿~仙台宿
七北田宿を抜けると、広い県道に出る。しばらく進むと、県道の右手に上がっていく道となる。街道は県道と平行しているが、高いところを通っている。
騒音で賑やかな車道を見下ろしつつ進む。気持ちの良い眺めだ。
ももなくして、「仙台藩刑場跡」が現れる。お地蔵様と南無妙法蓮華経と刻まれた供養碑がたち、花が供えられていいる。1690年から百姓、町人等の罪人の磔、火焙り、斬首、獄門の刑がここで執行され、その数5300人とも7000人ともいわれている。なお車道側の地蔵様は車道の東側にあったものを、道路拡張工事にともなって現在地に移設したとのことである。それにしても大勢の人が処刑されたものだなと思った。合掌!
どんな大きな町や都市でも、宿場は街道筋にあったので、必ず国道や広い県道沿いにはない。国道や県道から別れて、細い街道へと入っていく。
大都市の仙台もそうである。その入口に、「御仲下改所(おすあいどころあと)」の案内板がある。これは城下に持ち込まれる商品から税金を取る北の番所跡で、東西南北にあったものであるとの解説と絵が書き込まれている。
その隣に佐大ギャラリーがある。往時は堤焼きの窯元が沢山あった所だが今はなく、堤焼きを展示している佐大商店だけが残っているようだ。
やがて、光明寺の階段の下に、スペイン、ローマへと渡ってきた支倉常長の墓があるとの標柱が立っていた。見に行きたかったが、すでに40km以上も歩いた足にその階段を昇る元気はなかった。
その先に、サクラに彩られた青葉神社があったが、ここも境内はパス。そこから向きを変えて、仙台宿に向かって直線の狭い国分町通り商店街が続く。
しばらく進むと、右手に検段屋敷だった伊澤家が現れる。門構えがあり、どっしりとした蔵造りの建物はやや壁がいたんではいたが街道筋の面影を残している。左の通りに、仙台市役所や宮城県庁を見ながら進む。
15:55、ホテルが近くなって来たので、定禅寺通りとの交差点を今日のゴールとした。
5分ほどで今日のカプセルホテル・リーブスに到着。これまでで最も遅いゴールかも?
昼食後に一応じゃらんを通して予約を入れたら、突然割りという2000円の企画があったので、当然それにとびついた。チェックインの時に聞きそびれたが、空いていたのと、入口のドアのそばのベットだからではないかと勝手に解釈した。
20:30にようやくブログを打ち終えたので、これから夕食へ。残念ながらホテルのなかに食べるところはないので、着替えて外へ出なくてはならないのがちょっと面倒くさい。
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