癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

日光街道歩き旅〈1日目〉東照宮~1鉢石宿~徳次郎宿(30km)7時間25 分

2019年11月04日 | 登山・旅行
    

 いよいよ五街道の1つ日光街道歩き旅の始まりである。
 奥州街道も「北から歩く人は非常に珍しい」とあちこちで言われた。
 ここも、東照宮から江戸を目指すことになる。これもかなり珍しいはずだ。
 日光街道はそもそも東照宮詣でで歩かれることが目的の道だからである。日光街道については、10/30の記事を参照されたい。
 しかし、宇都宮から江戸までは奥州街道と重複するので、その間は参勤交代の大名も通っている。
 
 日光街道の計画は後半の方がきつくなっているので、1日増やすことにして、調整しながら歩くことにした。
 今日は15時をメドに街道のバス停で切り上げて、宇都宮駅まで戻ることにした。

 JR宇都宮駅発5:57の日光行きの電車に乗った。さらにバスに乗り換えてスタート地点の東照宮まで移動。
 
 今日はこれまでで一番寒い日だった。ウィンドウブレーカーを来たままでも汗を掻かなかった。
 連泊となるホテルに不要な荷物を預けて歩くことができた。

東照宮~1鉢石宿

〈日光東照宮〉
 栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが比較的多い。

 日光街道は、鉢石宿の日光橋が終点だが、せっかくなので、東照宮をスタート地点とした。



 7:20、東照宮は過去に2度訪れていて、中も拝観しているし、まだ営業前の時間なので、今回は写真だけ撮ってスタート。


「神橋(しんきょう)」
 奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから。
 もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用された。橋手前に「下乗石」があり、将軍もそこで駕籠から降りて、徒歩で日光山内へ入った。
 一般の通行はすぐ下流に日光橋を架けて通行することとなった。
 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられている。

鉢石宿~今市宿
〈鉢石宿〉
・人口985人、家数227軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠19軒
※この記録は、このあとも天保14年(1843年)の日光道中宿村大概帳による
・芝田善平の宅地に鉢を伏せたような石があることから鉢石村と呼ばれていた
・戊辰戦争の時には官軍の板垣退助と幕府軍の大鳥圭介が話し合って日光を戦火から守った


 日光街道の終点となる日光橋を渡ると、左側に「板垣退助像」が立っている。
 総督府参謀の板垣退助は日光廟に立て籠った大鳥圭介等の旧幕府軍を説得し、日光山内を兵火から守った。その功績を讃える像なのであろう。
 大鳥圭介らも旧幕府軍の象徴でもある東照宮は守りたかったので、説得に応じたそうだ。


 その隣に建つ大きな土産店は国指定の重要有形文化財である。 


 鉢石宿の地名の由来となっている「鉢を伏せたような石」


 土産店が並ぶ中を下っていくと、宿場の中心地となる。
 右の現「さんフィールド」は、「高野本陣跡」


 右の現「手打ちそば魚要」は、「入江本陣跡」


 町並みが切れると、日光街道の象徴とも言える「松並木街道」が続く。このように国道119号として車が通っているのは初めのうちだけである。


このような古道然として残っているところもある。


 しかし、国道119号が並走する感じで、このような旧道として残っているところがほとんどである。
 この画像は石畳だが、未舗装のところや舗装されているところも多い。
 途中の集落や今市宿や大沢宿で切れることはあるが、延々と15km以上も続く。
 初めのうちは感激していたが、だんだん飽きて来て、途切れるとホッとするくらいだった。

今市宿~大沢宿

〈今市宿〉
・人口1122人、家数236軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒
・日光道中、例幣使街道、会津西街道の合流地点であり玄関口として賑わってきた
・今村は宿駅となってから賑わい市が立つようになると今市と改めた。


 この現「今市宿緑ひろば」が「脇本陣跡」


 今市宿の中心地だった現市街地


 この道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の向かい側に「高橋本陣跡」があった。
 後ろの建物は「船村徹記念館」~出身は隣の塩谷町だが、旧制の今市中学校に通ったことが縁らしい。


 今市宿を抜けると、再び杉並木街道となる。


 杉並木の中にある「七本桜の一里塚」~両塚が現存する。塚には杉を植えるのがこの街道の特色。江戸から33里目


 そのすぐ先にある「さくら杉」~杉の幹の1.5mほどから山桜が寄生している珍しい現象。


 森友の集落で杉並木は切れるが、再び続く。


 「水無の一里塚」~江戸から32里目。「特別史跡、特別記念物」に指定されている。


 杉並木を抜けると大沢宿へと入っていく。

大沢宿~徳次郎宿

〈大沢宿〉
・人口278人、家数43軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠41軒
・1617年日光御鎮座の後、街道が開け大沢村改め大沢宿となる


 大沢宿の中心地の交差点。この先を左に入っていく。ガイドブックにも本陣跡にも脇本陣跡にも触れていない。


 再び、杉並木に入っていく。結果的にここが最後だった。


 杉並木の最後に立っている「並木寄進碑」
 徳川家康、秀忠、家光の3代に仕えた武州川越藩主松平正綱が寛永2年(1625年)から約20年の歳月を掛けて杉並木を植栽し、家康33回忌に東照宮に寄進した…と記されている。
 この杉並木の壮大な歴史を初めて知ることができた。


 「石那田堰」~二宮尊徳の指導で堰が築かれ、用水が引かれた。
 右に二宮金次郎像、石祠、記念碑がある。


 「石那田の一里塚」~北塚を残している。江戸から30里目。
 やがて、徳次郎宿へと入っていく。

徳次郎宿

〈徳次郎(とくじら)宿〉
・人口653人、家数168軒、本陣2軒、仮本陣1軒、脇本陣3軒、仮脇本陣1軒、旅籠72軒
・下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎の三宿を合わせて徳次郎宿といわれる
・日光・久次郎村より移住してきたことから外久次郎村、または遠久次郎村といわれていた
・新田徳次郎なる者が居住していたことから徳次郎の文字となる
・当初は上徳次郎村だけだったが、中徳次郎、下徳次郎、その他の村ができ徳次郎六郷となる


 上徳次郎に建つ、すべてが大谷石で造られている屋敷。


 中徳次郎の交差点。ガイドブックにもこの徳次郎宿の本陣跡も脇本陣跡も触れられていない。


 14:45、今日のゴールとした下徳次郎のバス停「宮里小学校前」。
 ここが徳次郎宿の南口とのことで、町並みを振り返る。

 5分もしないうちに宇都宮駅行きのバスがやって来た。
 連泊となるホテルに戻り、先ずは同じ建物の中にあるコインランドリーで洗濯をしながら、風呂に入り、ブログを打つ。

 昨夜の夕食と今日の朝食は、昨日Ka女史からの差し入れで十分間に合った。
 昼食は途中で野菜ラーメンを食べた。夕食はこれから宇都宮餃子を食べに出る。
 一番食べたかったもちもち感が売りの餃天堂駅前店は、夜の寒空に20以上が並んでいたのて、諦めて隣の典満餃子に入った。
 
 左上・揚げ餃子と生ビール、右上・焼き餃子、左下・ネギまぎれ揚げ餃子、右下・水餃子。
 一通りたべて、さらに焼き餃子一皿追加で仕上げ。十分美味しかった。考えてみたら30個も食べたことになる。
 しかし。外に出たら、餃天堂にはまだ20人以上が並んでいた。きっと美味しいんだろう、ちょっと心残り。


4 コメント

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奈良朝最後の所縁の地 (栄町住人)
2019-11-05 13:09:16
sakagさん。江戸時代の街道は敢えて避けたのでしょうか。石橋と小金井宿の中間の自治医大近くに、下野国薬師寺がありました。道鏡、勝道上人所縁の古寺(跡)ですが。通過済でしたら申し訳ありません。
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栄町住人さんへ (sakag )
2019-11-05 21:08:27
江戸時代の街道を歩いています。
石橋宿と小金井宿は今日でした。
下野薬師寺は、目にしましたが、ブログでは触れていません。すみません。
寺と神社はあまりにも多いものですから…。でも、道鏡縁りとはぜひ寄るべきでした。
 それにしても、お詳しいですね。
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古代の交通の要衝(長文) (栄町住人)
2019-11-06 20:34:22
sakagさん。少し長くなります。GOOGLEをはじめ多数のネット情報で行かなくても名所がわかる時代ですが、現地で初めて味わう感覚感情があると言われています。かつて大阪羽曳野の駅の乗換の時に、大阪の繁華街や函館の雰囲気と明らかに異なった感覚を味わった事を思い出します。駅には誉田八幡宮の看板があり、河内源氏の所縁である事はわかるのですが、言葉では到底説明できない雰囲気でした。日光街道付近の自治医大と昔の医療の薬師寺は非科学的ですが、偶然とも思われません。残念ながら新幹線で自治医大通過では何も感じませんでしたが。府中付近は甲州街道沿線とまではいきませんが、大國魂神社、深大寺、分倍河原、禅寺丸古木、国分寺と古代中世の遺構の地域です。函館にもこの時代の何かがあると、歴史の街と胸を張って名乗る事ができるのですが。
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栄町住人さんへ (sakag )
2019-11-07 05:31:58
まったく同感です。
私が街道歩きにはまったのは、北海道では味わえない、江戸時代中心とした古代・中世・近世の重層的な歴史に触れられるからです。
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