癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館レトロ建築探訪(その2)~大手町・豊川町・末広町

2020年04月25日 | レトロ建築・古民家カフェ

◎加賀谷旗店(大手町10-12)<大正3年(1914年)築>

 

 創業明治30年の老舗。当初は別の場所に店があったそうだが、大正3年に染物工場、店舗兼住居として建てられたここに移転。昭和9年の大火では近隣の多くの建物が罹災したが、加賀谷旗店は無事だったとのこと。過去に何度も補修されながら、大切に使われ続けて、外観や内部ともに当初の姿を留めているそうだ。

 下見板張りの外壁に、傾斜の緩やかな屋根。平たい妻面上部の白い漆喰塗と黒い下見板の対比がアクセントになっている。正面にある土管の煙突も素朴でレトロ。数少ない大火前の下町の店舗併用住宅の歴史を伝える貴重な建物。(函館歴風文化賞受賞)

 

◎カフェ&ダイニング リット(大手町3-10)<明治45年(1912年)築>

 木骨2階建ての土蔵として建築されている。室内の柱、梁などが創建当時のままである。このあたりは昭和9年の大火にあっているが、残ったと思われる。平成15年に飲食・雑貨店として再生した。(函館歴風文化省受賞)

 

 大手町には、このほかに目に付くレトロ建築では、「ニチロビル」と「函館大手町ハウス」があるが、下記の過去記事からどうぞ!

◎ニチロビル  ◎函館大手町ハウス

 

◎豊川町会事務所・豊川稲荷神社社務所(豊川町9-14)<昭和9年(1934年)ころ築>

 豊川町会事務所とこの前にある豊川稲荷の社務所を兼用している建物。コーナーにある塔屋が印象的な洋風建築。頂部に高さを違えて緑色の正三角形を東西南北の四方に向けている。棟の下部のペディメントや側面の丸窓など洋風のモチーフが随所に見られる興味深い意匠。一方、スクラッチタイル貼りの玄関周りは和風の雰囲気も漂う、遊び心を感じる設計である。(函館歴風文化省受賞)

 

◎佐藤十五郎宅(豊川町9-20)<昭和9年(1934年)ころ築>

 昭和9年の大火後の建築で、寄棟、平入り、2階建て。海産物問屋を営む店舗併用住宅で、前面を全て出格子窓で印象的な和風外観が見事である。大工は「茶屋亭」と同じ人で、材料は当主の出身地の新潟から取り寄せた欅材で上等な造りとのこと。

 

◎紫ぜん(豊川町10-10)<明治末期築>

 

 明治館と道路を挟んだ真向かいにある欧風レストラン「紫ぜん」。明治末期に建てられた呉服商の反物倉庫だった建物(海産物倉庫という情報もある)を再生利用している。木骨土蔵造り。

 左側に煉瓦壁にアーチ型の出入り口があるが、本館の土蔵との関係はよく分からないが、当初からは併設されていなかったた感じとのこと。外から見ただけだが、内部も梁や柱は当時のままのものが使われていて、落ち着いたレトロな雰囲気だそう。(函館歴風文化賞)

 

◎花かるた(旧児玉商店)(豊川町2-12)<昭和9年(1934年)築>

 銀座通りの1本北側の通りに残る、天狗の顔が描かれた看板が目を引く純和風「居酒屋・花かるた」。看板の右側には〔京都 大石天狗堂製天狗印〕と書かれている。
 実はこの看板こそこの建物の歴史を物語るもので、もとは児玉商店という北海道における花札の総代理店だったそう。「花かるた」というのは、花札のことなのだと言う。ちなみにこの児玉商店は幕末から花札販売をはじめ、2代目はマージャンを函館に普及させた人物だったという。

 児玉商店は戦後になり、花札のほかマージャンやトランプの販売をおこなっていたそうだが、昭和58年からは居酒屋としてリニューアルオープンしている。
 

 この天狗印の看板は、明治期に京都の花札製造元より贈られたものだという。この界隈は昭和9年3月の大火で全焼した地域なので、大火の当日店主は大切なこの看板を持って、火の手が迫るこの場所から避難したのだろう。そして大火後再建されたこの建物に、歴史ある天狗印の看板が再び掲げられる事になった訳である。

 

◎箱館昆布館(旧田中商店)(末広町12-17)<昭和5年(1930年)ころ築>

 鉄筋コンクリート造りにしては、和風の意匠が施された少し地味目な感じのする外観デザイン。しかし、また和風の商家というイメージでもない。1階両脇の庇の下には、洋風建築の定番であるアカンサスの装飾が付けられていたり、何とも摩訶不思議な印象を受けてしまう建物である。左横に金属製の昆布のレプリカが立っている。

 バブル経済が全盛だった頃の函館西部地区は、投機目的のマンションが多く建てられ、歴史ある古い建物の多くが姿を消していったという時代だったという。またこの箱館昆布館も一度は開発業者の手に渡り、近いうちに解体される予定だったという。しかし地元の市民団体が再度この建物を買い取り、昆布の資料館として再生されたのだという。しかし、現在では、資料館も閉鎖されてしまった。(函館歴風文化賞受賞)

 1階両脇の庇の下には、洋風建築の定番であるアカンサスの装飾が付けられている。

左横に残る「繋柱」~現在のベイ函館の浜の掘割にあった船の繋柱。ここに移設されたようだ

 

◎〈おまけ〉 餅の老舗・栄餅(栄町5-13)※創業明治33年(1900年)

 今日、撮り直したい写真があったので、その帰りに寄って、いくつかの餅菓子を買ってきた。

 レトロ建築とは言えないが、創業明治33年(1900年)で、120年たっている函館市内でもっとも古い和菓子屋。現在は4代目。昔はこの辺りの各町内にはそれぞれ餅屋がたくさんあったそうだが、今でも続けているのはここくらい。

 昔、近くの職場に転勤してまもなく、この店に寄ったら、奥さんが子供のころ旧大野町の近くの友達の家に同居していた叔母さんだったのには驚いた。今の店主のお母さんだが、今日、店主とそのときのことやお母さんの実家のことを話したら、とても懐かしがっていた。足は不自由だがまだご健在とのこと。

 

 ゲットした、薄皮さくら餅、べこ餅、豆餅(塩味)



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昭和期の建物 (栄町住人)
2020-04-25 19:05:47
Sakagさん。陸繋島の地域にも古い建物が結構ありますね。加賀谷旗店は一ノ橋跡、花かるたは目立つ看板で注目していた程度でした。個人的には、栄餅のうぐいす餅、べこ餅が好みです。
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はじめまして (万慈画伯)
2020-04-25 20:00:35
はじめてお邪魔いたします。
私、秀岳荘のHPに掲載されていた児玉保則氏の御本に興味を持って検索し、こちらのブログに偶然辿り着いた者です。(因みに登山未経験者です)
亡母が北海道出身者だったため、幼い頃何度か連絡船で本州から北海道に渡った思い出があります。この歳になって色々思うことが出てきました。母の故郷である北海道のことを何も知らないので、こちらのブログで色々教えて頂けたらありがたいです。
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栄町住人さんへ (sakag )
2020-04-25 20:35:23
東川小に最初に勤めていた頃には、もっといろいらあったような気がしますが、なくなっているのでしょうね。
一ノ橋跡って初めて目にしましたが、あの辺に橋があったということでしょうか?

最近、いろいろなスイーツが出回ってますけど、我々年代は、昔ながらのあのような素朴な和菓子が良いですね。
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万慈画伯さんへ (sakag )
2020-04-25 20:43:08
初めまして!拙サイトへのご訪問とコメントありがとうございます。
児玉さんとは、何度も一緒に山に登っています。
私の住む函館は連絡船で渡ってくる人の玄関口でしたので、覚えがあると思います。

このブログが、少しでもご期待に応えればうれしいです。
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