昨日に引き続き、SHOさんと二人で、八雲町にある名前の由来が気になる「鉄砲岳」(540.1m)に登ってきた。
八雲町落部から厚沢部町へ抜ける道道67号線沿いを走り、銀婚湯温泉の先に分岐のある下二股林道を除雪終点から6kmほど山スキーで歩き、カンジキに履き替えて南尾根に取り付いた。
地図で予想していたより、ずっと細くて急な尾根が続いていた(画像)。頂上には、古い白布と新しいピンクテープが木に結ばれていた。このようなマイナーな山でも、名前のある山は我々以外の物好きな登山者がいることが判明。
下二股林道を5kmも入った林の中に、「八雲町立二股分校跡地(昭和42年廃校)」の石碑を見つけてビックリ。どうやら、この林道沿いは戦後入植の開拓地だったらしい。
登り 3時間10分、下り 2時間10分
帰宅後、鉄砲岳の由来を知りたくて、八雲のスキー指導員仲間に、さらには、廃校1年前の昭和41年に新卒で上ノ湯小学校に勤めた友人に電話を入れた。山名の由来は、調べてくれるとのこと。上ノ湯小学校二股分校は、当時3年生まで在学し、4年生以上は本校へ通ったらしい。昭和41年で6~7名ほどの子供がいたような気がするとのこと。
詳しい山行記録は、明日アップ予定の下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/teppou.htm
八雲町落部から厚沢部町へ抜ける道道67号線沿いを走り、銀婚湯温泉の先に分岐のある下二股林道を除雪終点から6kmほど山スキーで歩き、カンジキに履き替えて南尾根に取り付いた。
地図で予想していたより、ずっと細くて急な尾根が続いていた(画像)。頂上には、古い白布と新しいピンクテープが木に結ばれていた。このようなマイナーな山でも、名前のある山は我々以外の物好きな登山者がいることが判明。
下二股林道を5kmも入った林の中に、「八雲町立二股分校跡地(昭和42年廃校)」の石碑を見つけてビックリ。どうやら、この林道沿いは戦後入植の開拓地だったらしい。
登り 3時間10分、下り 2時間10分
帰宅後、鉄砲岳の由来を知りたくて、八雲のスキー指導員仲間に、さらには、廃校1年前の昭和41年に新卒で上ノ湯小学校に勤めた友人に電話を入れた。山名の由来は、調べてくれるとのこと。上ノ湯小学校二股分校は、当時3年生まで在学し、4年生以上は本校へ通ったらしい。昭和41年で6~7名ほどの子供がいたような気がするとのこと。
詳しい山行記録は、明日アップ予定の下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/teppou.htm
鉄砲岳の名前はずっと謎でした。
カニが捕れるから鉄砲?
江戸時代に鉄砲にかかわる事件があったのか?
謎です。
八雲町界隈は廃校だらけで、近くの大新地区等々沢山あります。
いまだ校舎の残る廃校は、子供達の声が聞こえてきそうな気がします。
夕方電話したスキー指導員仲間の元八雲町役場職員の話では、「八雲の山名の由来が書かれた本を目にしたことがあるので、調べてみます」とのことでした。判れば良いのですが・・・。
まあ、現実的なところで、熊打ちの鉄砲に関係あるのでは?
上ノ湯小は知っていたのですが、二股分校は知りませんでした。八雲は多いときで小中学校で36校もあったとか・・・?
・・・というか、本来的には「鉄砲」は、あまり傾斜が無くとも使えるものかなー・・。
確かに、昔、沢や川に堰を作って、溜めた水と材木を、堰を切って一気に鉄砲水に乗せて材木を流すことは、何かで読んだことがあります。
そのような期待も含めて、なんとか由来が判明すればいいです。
雪の状態が良かったのと、南尾根はカンジキで登り下りしたので、行動時間が予定よりかなり短くて済みました。
御料林・・・皇室財産として宮内庁直轄の国有林ということですね。
この言葉を初めて知ったのは、七ッ岳頂上に設置されている「御料地」の標石でした。御料という地名もあちこちで目にします。