癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

旧函館信用金庫本店(旧第十二銀行)が解体された

2020年01月17日 | レトロ建築・古民家カフェ

 また、函館の貴重な美しい歴史的建造物がひとつ消滅したようだ。豊川町の旧函館信用金庫本店(旧十二銀行函館支店)である。
 茶褐色のタイルと、直線を強調したセセッション風のデザインが美しいこの建物は、大正15(1926)年に富山に本店を置く、第十二銀行(現在の北陸銀行)の支店として建てられたものである。昭和53(1978)年から平成15(2003)年までは函館信用金庫の本店として使われていたので、そちらの名称を出した方が馴染み深いかも知れない。

        (昨日の画像~他サイトから借用)

 この建物と土地を買収した業者が、この土地にホテルを建設することになり、12月下旬から解体工事に向け足場が組まれていたことは目にしていた。それが、昨日に解体されてしまい、もう目にできなくなったという。

 トータルで12年間務めた旧東川小学校の校区の建物で、いつも目にしていただけに、もう目にできないと思うと寂しさが募る。

 この旧十二銀行函館支店の歴史的価値は、3つの点があると言われている。
 まず1点目は、函館とは縁の深い富山(北陸)の銀行であること。函館と言えば北前船の時代からその中継点である北陸と親密な関係を持ち、明治以降この地域の住民が多数函館へ渡り住んでいる。そのような事からも、かつての函館と北陸の人的・経済的な繋がりを偲ぶことにできる建築物である。

 2点目は、東京四谷の迎賓館(明治42年築)、神奈川箱根の富士屋ホテル食堂(昭和5年築)、赤坂離宮(現迎賓館赤坂離宮、明治42年築)、旧竹田宮邸(現グランドプリンスホテル高輪迎賓館、明治44年築)などに携わった、建築家・木子幸三郎(1874~1941)の設計作品であるということ。

 そして、3点目は、昭和9(1934)年3月21日に発生した函館大火で、焼失を免れた数少ない建築物だという事である。多くのコンクリート建築は当日の猛火に勝てず、建物内が著しく焼けてしまったのに対し、十二銀行支店はほぼ無被害でこの大火を乗り切ったという。それは、偶然火災の難を免れたという訳ではなく、防火兼防雪のシャッターを設置したためである。このシャッターは大正10(1921)年4月に起きた大火を教訓に、第一銀行函館支店(設計:西村好時、現函館市文学館)、百十三銀行本店(設計:関根要太郎、現SEC電算ビル)に採用されている。

 同時代の第一銀行函館支店は現函館文学館として、百十三銀行本店は現SEC電算ビルとして、現在も利用されているだけに、残す手立てはなかったのだろうか?

 もう目にできないだけに、他サイトから借用した画像をアップしておきたい。

     

     

     

     


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
木子幸三郎 (法起坊見習い)
2020-01-17 21:52:16
聞き覚えの有る 設計 木子、、、
愛媛県庁舎設計者と記憶にありましたが、
ネットで調べてみたら、こちらは弟の木子七郎でした、
竣工昭和4年全面御影石造りで近代風建築物です立派な建物です。
Sakagさんが1回目遍路時に見られた萬翠荘は大正11年竣工(重要文化財)も七郎の設計です、共に松山の未来永劫の建築物です。
私も現役時代に幾度も打合で銀座8丁目ニッタビル竣工昭和4年に通いましたが退職3年前に建替えして、残念な記憶があります此れも設計は木子七郎でした。

何処も公共物で無い物は時代の流れには逆らえず、、
保存出来なかったんですねー
残念です。
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法起坊見習いさんへ (sakag )
2020-01-18 05:50:07
木子一族は、父親が平安神宮の設計をされているんですね。そして、幸三郎、七郎ご兄弟、凄いですね。
萬翠亭、確かに私の四国遍路日記に載っていました。見てたんですね。洒落た建物ですね。

こちらの解体された建物も、電車通りに面して、結構目を引く建物だっただけに残念です。
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